第7話 運命の分岐点

 キーンコーンカーンコーン。何度目かのチャイムが、張りつめた教室の空気を切り裂いていく。鳴る度のことだが、今回は木っ端微塵にまったく容赦なく。


「孝幸君、テストどうだった?」


 教師が出ていったタイミングで前席の女子がくるりとこちらを振り返ってきた。さらさらと髪が揺れる。胸元のリボンが少し緩んでいた。


「まあ空欄はないって感じだな」

「正直さ、答案回収するたびにすごいなぁって思ってたんだ。この人、めっちゃ勉強できるじゃんって」

「まさか。ただ埋めただけだ。全部合ってるわけjなあい」

「でも、あれだけ書いてほとんど間違いですーっていうのも、悲しくない? アタシだったらショックで3日は寝込んじゃうな~」


 連城はしかめっ面で肩を竦めると、大げさに首を振って見せる。

 だが、すぐに表情を崩すと声を上げて笑い出した。このころのこいつは、輪をかけて笑い上戸だなとぼんやり思う。


 休み時間になる度に、連城はよく話しかけてくる。元々話好きなタイプで、さらに相手も選ばない気さくな性格だ。だから、特別なことじゃない。

 でも、1周目のときは全然違った。頻繁に話すようになったのは、共に学祭委員になってからのこと。


『最初話したとき全然素っ気なかったから、物静かなタイプだって思った』


 なんて言っていたくらいなのだ。というか、そのときの俺はいったいどれだけつまらない反応をしたんだろう。覚えていないが、少しだけ恥ずかしくなる。

 だが、今回は違う。昨日の時点で、結構言葉を交わした。スタート地点が変わったのだから、連城のこちらに対する第一印象が変わっていてもおかしくはない。とりあえずは話せそうなやつ、くらいにランクアップしたのかも。


 正直な話、彼女の顔を見ても昨日ほどの嫌悪感は覚えていなかった。ただのクラスメイトとして接することはできていると思う。

 けれど、完全な割り切りには程遠い。胸の奥はチクッと痛むし、腹の底はぐるぐると落ち着かない。我ながら器が小さいというか、ただ年齢をいたずらに重ねただけのガキだという自覚はある。


 自己防衛のためには、なるべく連城とは距離を置きたいところだ。だが、話しかけてくるのを邪険に扱うのは気が引ける。あいつをおもんぱかってというより、今後の学生生活を考えるとあまり波風は立てたくない。

 いっそのこと、他のことに夢中になれればいいが。

 手っ取り早いのは他の奴と話をすることか。ただ一番頼りになるのはといえば――


「それでよー」

「いや、それは百田ももたが悪いって」


 1年の時に初めてできた友人にして、高校時代最大の親友はすっかりほかのクラスメイトの談笑に夢中だ。そりゃそうだ。初日の会話をきっかけに仲良くなったんだから。現状、この男と交わした言葉はゼロ。

 はぁ。友達ってどうやって作るんだっけ。まだ当時の自分の方が積極的だった気がする。歳を重ねて、思いっきりは消えてしまったらしい。


「ねー、孝幸君は部活とかどうするの?」

「特に考えてないけど」

「そうなの? アタシはさー、いくつか気になってるのがあって」


 毛先を弄りながら、連城は部活動の名前を次々に挙げていく。楽しそうな表情で、スイーツ選びでもするかのような口調で。


 こちらの苦労も知らないで気楽なものだ。自分勝手な黒い感情に焚きつけられるまま、ため息をつきたくなる。


 ――こんなことを思ってしまうようでは、連城との関係をどうしたらよいかなんて決まっている。

 すっぱりと手を切ること。ただのクラスメイトとしての付き合いに徹すること。そのためには、絶対にやらなければいけないことがある。


「――ね、聞いてないでしょ、孝幸君」

 気が付けば、連城がじっとこちらを見ていた。

「中学のときやってたバレー続けるか、それとも新しいスポーツ始めるか。ハンドボールとかいいなぁ。でもいっそ茶道部とか書道部みたいな文化系も—―だろ」

「うわっ、ちゃんと聞いてたんだ」

 連城は驚いたように目を丸くした。若干身体をのけぞらせる。


 遠い昔にも同じ話を聞いてるからな。今もう一度聞かされて、ばっちりではないが記憶も蘇るわけだ。

 こうして色々興味を持つものの、こいつは結局生徒会に入る。学祭が終わったあとの話だ。思いのほか実行委員の仕事が楽しくかったからさ――そう教えてくれた葉月の表情は照れ臭そうだったけど、輝いていた。

 今の連城がそれと同じ道を辿るのは容易に想像がついた。目の前にいる女子はどこまでも真っ直ぐで純粋に見えた。


 でもいずれ変わってしまう。穢れを知ってしまう。

 それに俺は耐えられない――


「よーし、ロングホームルームやってくぞー」


 気だるげな声と共に、わざとらしい足音を立てながら男性教員が入ってきた。

 宣言に少し遅れてチャイムが鳴なる。教室の喧騒が徐々に収まっていく。連城もすっかり正面を向く。

 担任の葛西かさい先生は30半ばくらいのくたびれた感じのするもじゃもじゃ頭のおっさん。担当は数学でわかりやすさには定評がある。さらに授業外でも意外と面倒見がよく、総合的な評判は高い。


「センセー、ろんぐほーむるーむってなんですか? なんで高校に入るといきなり名前がかっこよくなるんですか?」

「知らん。そんなこと文科省に聞いてくれ」

「うわ、たらい回しだ」


 ははは、と一部から笑い声が起こった。


 賑やかしたのは、クラスいちのムードメーカー足立俊介あだちしゅんすけ。野球部の未来の正ショート。坊主頭がよく似合ってる。底抜けに明るいナイスガイだ。


「とりあえず初回ということでな、自己紹介からやってくから。じゃ、出席番号1番からよろしくな」


 葛西先生がぞんざいな口調で言って、だるそうに窓辺の教師用の椅子に腰かけた。


 これから自己紹介が始まるということは、運命の分岐点は迫っているということ。俺と連城が絆を深めるきっかけとなる、役員決めの時間だ。




       ◆




 じゃんけん。古来より、それは様々な決め事に用いられてきた。

 現代でもそれは変わりない。鬼ごっこ、掃除当番、給食のあまり争奪戦……俺たちは幼いころから飽きるほどこのゲーム? ええと、作業……手遊びを行ってきた。


 そして今は――


「さ、殺気立ってんな……」


 クラスの片隅に全男子が集まっていた。指を鳴らしたり、目を瞑ったり、祈りを捧げたり、これからの闘いに向けて思い思いに気を高めている。共通しているのはその険しい表情だ。

 もはや殴り合いでも始まりそうな気配すらある。グーは殴り、チョキは目つぶし、パーは張り手……高校生活2日目にしてあまりにもバイオレンス。そんなことをすれば、もれなく全員退学ものだろう。


「わっくぃーよ、お前さんはホントのんきだねぇ」

「もういいからわっきーって呼べよ。いちいちめんどくさいだろ」


 ポンと肩を叩いてきたのは、隣りの席の百田だ。見た目はちょっと派手だが、話してみるとかなり面白いやつだった。なんとなく波長が合いそうでよかった。


「見ろ、このラインナップ。明らかに地雷がいくつか混じってる」


 トントンと、百田は俺たちが取り囲む机の上にある紙を叩く。先ほど担任が押し付けてきた用紙には、クラス代表、書記、議長……縦に色々な役職が並んでいる。お世辞にも綺麗とは言えない字で。

 その下は今は空欄。これを埋めろというのが上からのお達しだ。


「もう一度確認するけど、立候補はないんだな?」


 流れでまとめ役となった男子生徒の言葉に誰彼ともなく頷いた。

 どう決めようか思い悩んでいたら、誰かがじゃんけんでよくないとか言い出した。

 このクラスは俺を含めて積極性の薄い連中で構成されているらしい。その提案に反対する者はいなかった。あるいは、単にノリがいいだけか。なんとなく後者な気はする。


 当然、全員でやっても無駄に時間がかかるだけ。とりあえず、ペアでじゃんけん。その勝者と敗者に別れ、その中で半分ずつじゃんけん。後は流れで。

 そんな変則的なトーナメント方式で行うことになった。この話し合いを取りまとめた奴こそ、議長になる資格があると思ったのは内緒だ。この雰囲気に水を差す勇気はない。


「わっきー、勝っても負けても恨みっこなしな」

「ああ、いくぜ。じゃんけん――」

「「ぽん!」」


 ……勝負の世界は非常だ。そこに友情は存在しない。容赦なく勝者と敗者が生まれてしまう。


「よーし、負け組こっちな」

「確かにそうだけど、その言い方は違う意味に聞こえていやなんだけど」


 ぶつくさ言いながら、ぞろぞろと敗者組が集まる。当然、みんなさっきよりも顔が険しい。それはたぶん俺もそうだ。これは決して負けられない闘いだ――


 ……得てして気合とは空回りしがちである。気楽に挑んだ方が逆にいい結果がでるというのはよくある話。


「さ、負け犬軍団、集まろうぜ!」

「もっとひどくなるのか……」


 俺は周りにいるクラスメイトの顔を一瞥した。さすが2連敗を喫しただけのことはある。みんな面構えが違う。

 もうあとはない。ここで負けてしまうと、残るのはおそらく厄介な役職だけだ。


「さ、行くぞ。じゃん」

「けん――」


 さすがにショックがでかすぎて、俺は適当な椅子に腰を下ろした。

 決めた。俺は金輪際、じゃんけんでぱーは出さない。一生縛って生きていく。手を前に垂らして、完全に意気消沈になりながら、それでも固く決意する。


 ひとり負けした俺に待っていた役職は、おおよそもっとも面倒そうなものだった。男子連中が憐れむような視線を向けて、俺が名前を書くのを待っていた。


「やっと決まったか。よーしそれじゃ発表するぞ」


 担任が男女から回収した紙を元に役職を任命していく。

 しかし、なにせ自己紹介は先ほど終わったばかり。男子はともかく女子は正直まだピンとこない。それはたぶんみんな一緒で、割と教室はざわついている。


 でも俺の相方はちゃんと認識できた。だってそれは――


「あっ、涌井くんか!」


 前の席にいる女子がくるりとこちらを向いた。その顔には人懐っこそうな笑みが浮かんでいる。


「じゃんけんで負けただけだけど。とりあえずもう二度とパーは出さないよ」

「あはは、なにそれー。うん、なんかうまくやれそうな気がする。よろしくね! ――ね、ちゃんとアタシ名前、わかる?」


 彼女は挑むような口調で、ニヤリと口角を上げた。

 ついドキっとしてしまって、つくづく女子慣れしていないなと恥ずかしくなる。


「……連城さん、だろ。こちらこそよろしく」

「よかったー、ちゃんと覚えててくれたー」

 ほっとしたように、彼女は顔を綻ばせた。


 初日に挨拶してもらったからよく印象に残っていた。とても人当たりがよさそうだったし。


 正直、女子にはちょっと苦手意識があった。中学以降、同性とばかり吊るんですっかり接し方がわからなくなっていた。

 けど、連城さんは何となく中学の女子とは違う感じがある。なんとなくうまくやれそうだ。根拠のない予感に、学祭委員という大役への不安感は若干薄れていた。

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