第六話 星蘭花
「いやぁ、仕事したくない、お家にいる!」
嫌がるスイを無視して、アイと僕は街を歩いている。スイは仕事は嫌だけれど、独りになるのは寂しいみたいで、いやいやついて来た。
アイは背中に大きなリュックを背負っていた。僕とスイは空っぽのカゴを背負わされている。
街は夜とは打って変わって賑わいを帯びる。落ち着いて歩けば色々なお店があることに気がついた。八百屋に雑貨屋、それからブティック……言葉はわからないけれど、大きい声で呼び込みをしている青人や、値切っている青人。転ぶ青人に笑う青人。それから宝石屋さんに玩具屋さん。
ここには人の営みがある。僕もスイも始めて都会に来たお上りさんの様に、まわりをキョロキョロと見回していた。
「スイ、盗っちゃだめだよ」
「ひうぅっ」
気がつくと露店に並ぶ宝石のような物にスイが手を伸ばしていた。間髪入れずにアイが釘を刺す。少し目を離すとすぐこれだ。アイもそれを理解しているのか、見逃すことはなかった。
「ちょ、ちょっと、触ろうと、しただけ、だよ?」
「うん、そうだね」
アイはスイの嘘を咎めようともしない。
それにしても、これからどんな仕事をするか分からない。だから、その前に確かめたいことがある。
「ねえ、アイ。ここはアイの世界なんだよね?」
「そう、アイの世界」
「それなのに、仕事をして稼がなきゃいけないの?」
「当たり前でしょ。なんでも思い通りになって、何もしなくていい世界なんて面白くない」
アイの世界といっても融通の利く物ではないらしい。少しだけがっかりしてしまった。
「それで、アイ。いったいどんな仕事を?」
「お花摘みだよ」
「お花摘み!?」
てっきり、どこかの食堂で皿洗いをしたり、道路の整備をしたり、そういう事をさせられるのかと思っていた。
「この世界にお金はない。だから欲しいものがあったら物々交換するのが基本」
「それで、お花摘みか」
「そう。それに二人はここの人と言葉が通じないし、そもそも仕事も出来なそうだから、お花摘みくらいしかねぇ」
あきれた様に溜め息をつかれた。言い返せないのが悔しいけれど、スイは嬉しそうだった。
「おでかけっ、お花摘み。たのっ、しそう!」
僕も実は楽しみだった。この
◇◇◇◇◇◇
街をぬけると、人が少なくなってきた。すれ違う青人に会釈をしたりする。穏やかな小道を過ぎると、小高い丘についた。
「つっ、つかれた、そろそろ、やすむ」
「僕もスイに同意だ。少しだけ疲れてきた」
もう一時間以上も歩いている。僕も疲労を感じるし、僕より小さいスイなら尚更だ。アイは二人にそう言われ、不本意そうに背中のリュックからシートを出して広げた。
「二人とも体力がなさ過ぎる……少し早いけどお昼ご飯にしよっか」
そう言いながらシートに座ると、アイはリュックから三人分のお弁当と三人分の飲み物が入った水筒をとりだした。
「おおっ、アイは、準備がいい。ありがとうっ」
リュックの中身が気にはなっていたけれど、まさか全員分の食事を持ってきていたなんて思わなかった。そうとうな重さのはずだ。僕よりも少し小さい身体で、体つきだって僕とそんなに変わらないはずなのに……僕はアイにとってもお世話になっている。
「ありがとう。アイ、とっても重かっただろう?」
「二人が体力無いのは見れば分かるからね。それに大変なのはこれからだから、ちょっとくらいはね」
「へっ?」
「アイ、これ、すごい、美味しいそう。ハンバーグ、ハンバーグぅ」
ニコニコ笑いながら、ハンバーグを食べるスイは、アイの発言に全然気がついていなかった。
◇◇◇◇◇◇
「はぁ、はぁ、はぁ、ア……イ、死んじゃう、休もう、もう、むり」
「スイの意見に賛成だ。僕もそろそろ……はぁ、はぁ」
息も絶え絶えになって、アイにお願いをした。いやこれはもう懇願と言ってもいい。スイも僕も限界が近い。
それなのに、アイはけろっとした顔で淡々と言う。
「さっき休憩したばっかりだから駄目。このペースじゃ日が暮れちゃう。そうなったらテントも何も無いのに野宿することになる」
「いっ、イヤっ! 野宿は、怖いっ」
完全に舐めていた。小高い丘を登ったらそこで終わりかと思っていた。だけど、そんな事はなくって、そこが始まりだった。そこは山道の入り口で、木々が生い茂っている。獣道の様な所を、背の高い草をかき分けて歩いた。
崩れ落ちてしまいそうな細い道も通った。登り道が続き足はもうパンパンだ。スイは逃げたそうだけれど、ここには逃げ場なんてどこにもない。はぐれてしまえば一人では帰るのも困難だ。
「アイ、正直こんな険しい道が続くと思っていなかったんだ。お花を摘むだけでこんな辛い思いをしないといけないのか!?」
そういうとアイは少しだけムッとした。
「この世界は物々交換って言ったよね? 簡単に手に入る物より、中々手に入らない物の方が価値があるから沢山のものと交換できる」
確かにアイの言う通りだ。そこら辺に咲いている花を摘んだところで大した価値はない。苦労して手に入れるものだからこそ価値がある。
アイは一々正論をいう。なんというか。そう……大人だと思った。見た目は僕より少しだけ幼く見えるのに、僕よりも体力があって、僕よりも考えがしっかりしていて、色々な事を考えている様に見える。認めるしかない、アイは僕よりもしっかり者だ。
「アイの顔に何かついてる?」
そう言われて、アイをじっと見つめていた事に気がついた。その瞬間……
アイの顔のモヤモヤがなんとなくうっすらして、その奥が見えそうな気がした。
僕は目を擦ってもう一度見直すけれど、やっぱり見えない。
「何でも無いよ……アイ」
疲労困憊の中さらに歩き続けた、明るく美しい青色の空は、段々と暗くなっていって、太陽は見えないけれど日が沈みかけているのが分かる。焦りが生まれてくる。
それでも泣き言を言わずに、いや泣き言をいう気力さえ無く、細い山道を歩き続ける。途中でアイが小川から水を汲んで水筒に補給したりもした。
長い道のりだった。目の前の坂道を登れば広いところに出られる様な気がした……そしてついに、坂を上り終えると
「あっ、ああぁ」
「すっ、すごい、アイ! アオイ! きれい……」
その時の空は
風に導かれ、疲れも忘れて先に進むと、この高台から海が見えた。断崖絶壁の先には見たこともない海原がキラキラに輝きながら広がっている。
「あんまり崖の方に近づいちゃだめだよ。危ないから」
「でも、すごい、すごい、きれいだよぉ」
「ああ凄い! ここは本当に綺麗だなぁ」
アイの注意も何処吹く風で、僕とスイはこの絶景の中を走り回った。草原に寝転んでコロコロと転がって、スイも僕も幼子の様にはしゃいだ。
「アオイっ、凄い! 草が柔らかい! 見て、お空も、きれいだよ!!」
こうしてスイを見ていると、本当は無邪気な子だと言うことがよく分かる。僕は草っ原に転がりながらスイの頭を撫でてみた。
「きもちいぃ、私、ここにきて、よかったぁ」
拒絶はされなかった。僕はちゃんとスイと向き合える。そう思うと何故だかホッとした。
「はい、二人ともそこまで。ここに何しに来たか忘れてないよね?」
「えっ? ああ、勿論忘れてない」
――忘れていた。アイの言葉に少しだけハッとして、つい嘘を吐いてしまう。
「日が暮れる前に集めるよ、お花」
「お花っていっても一体何処に? 目の前には草原しかないし」
「よく見て、草の間に藍色の花がポツポツ咲いてるでしょ」
そう言われて、今まで寝転んでいた原っぱを凝視したら確かにあった。小さい小さいツブツブの花がそこかしこに沢山ある。それはあまりにも小さくて、自己を主張していなくって、言われるまで気がつかなかった。
そうこれは、うん、その言いづらいな。そう思っていたらスイが
「アイ、この花……地味。思ってたのと、違う」
スイは僕が言えなかった事を正直に言ってしまった。
「スイ、そういう時は嘘をついてもいいんだよ。控えめだけど、そのぉ、奥底に美しさが輝いているねとか、あっ、あはは」
僕が代わりに取り繕うけれど意味は無かった、アイは不機嫌そうだ。
「この花は星蘭花っていうの。とっても綺麗で希少価値もある。星蘭花は高地にしか群生しないから、ここはアイしか知らない特別な場所」
その特別な場所に二人を案内してくれたんだ。花は地味だったけれど、アイはこの景色を僕たちに見せたかったのかもしれない。
「さあ、このお花をカゴ一杯に摘んでいくよ」
「はーいっ!」
スイが元気にそう言うと、作業が始まった。優しく花を根元から抜き、カゴに入れる。その繰り返しだ。カゴが星蘭花で一杯になる頃には……
「どうし、よう。アイ? アオイ? くっ、くらくなって来ちゃった」
怯えるスイ。辺りは日が沈みかけ、橙と青の景色から、灰色へと変わってくる。明るいときは爽やかだった木々も不気味さを帯びてきた。
「そうだね。少し時間をかけ過ぎちゃったね。二人の体力の無さはアイも想定外だったから。今日はここで野宿するしかない」
「いやぁッ! こ、わい、よっ。 暗いのいや! 帰るっ、帰りたいっ」
今日は野宿するしかない。僕も薄々感じていた事だ。体力的にも時間的にもこれから引き返す事は不可能に近い。もし行けば、途中で完全に日が沈んで、結局は真っ暗闇で立ち止まることになる。
幼いスイにはそれが分からないんだ。それに僕だって……昨晩一人で夜道を歩いたときは怖かった。正直逃げ出したくもなった。それに加えてここは山中、灯りもなく暗闇と静寂とが互いに恐怖を煽るだろう。
「大丈夫だよスイ、アオイもアイもいるから何も心配ない。ねっアオイ」
急に僕に話しを振られた。僕だって怖いけれど、スイの手前不安を悟られる訳には行かない。
「勿論だよ、スイ! 僕もついてるから。だからっ」
「アオイっ!」
「なっ、なに?」
「顔……引きつってるよ? もしかしてアオイも怖いの? 暗いのが怖いのかなぁ?」
「なっ、僕は」
僕はそんなに分かりやすいのだろうか。言い訳を考えていると、アイは腰に手を当てながら馬鹿にしたような感じでこちらを見ていた。それに何か……何か企んでいるようにも見える。
アイは、ゆっくりと、それでいて不敵に、僕とスイに近づいてきた。そして目の前まで近づいてくると、ばっと両手を広げて
「なっ」
「ひゃっ」
僕とスイを抱きしめながら言った。
「大丈夫。怖くない、怖くない。お姉さんを信じてね」
小さい子を諭すように優しい声でそんなことを言われた。それがなんだか恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまう。全部ぜんぶ見透かされているようで、まるで自分もスイと同じ小さい子みたいに思える。自分の不甲斐なさを突きつけられている気がした。
「いっ、言っとくけど僕の方がアイより背が高いっ! そっ、それに年齢だってきっと僕の方がっ」
「アオイ、ムキになって、こども、みたい」
スイにまでそんなことを言われて、ますます顔が赤くなってしまう。何とか挽回したいけれどアイがたたみ掛けてくる。
「大人かどうかっていうのは、身体の大きさじゃない。アイからしたらアオイもスイも幼い子供にしか見えないなぁ」
「僕は子供じゃないっ!」
そう反論するけれど、アイは「はいはい」と言って僕とスイの頭を撫でた。これじゃあ本当に僕のお姉さんみたいだ。僕より小さいっていうのに。それなのに、何故かアイの胸が温かくて、心地よくて、何故だか僕の胸の奥に熱い何かが沸いてきた。それが嬉しくって、雫が溢れでた。
「アオイ、泣いて、るの?」
スイにそう言われて、はじめて頬を伝う液体に気がつく。何故そうなったのか自分でも理解出来ない。不安な世界で人の温もりを感じたからだろうか。
「ぼっ、僕は泣いていない」
「あっ、アオイも、うそ、つき、だね」
「ちがうっ、僕は……嘘が嫌いだ」
これ以上、顔を見られないように、腰を下ろして膝を抱えて顔を隠した。この草原の草はとても柔らかい。フカフカのベッドみたいで優しくお尻を包み込む。
「そろそろ日が落ちるよ」
三人で寄り添って、ぴったりくっ付いていると寒くはない。不安も……そうこうしているうちに、日は完全に落ちて暗闇が世界を包んでいく。アイがギュッと僕とスイを両手で抱きしめた。
どれくらの時間そうしていただろうか。アイが不意に宙を指さしながら口を開く。
「ほら、二人ともお空を見て」
俯いてばかりで空なんて見ていなかった。アイに促されるまま空を見上げると、そこには漆黒の代わりに光の粒がある。
一個、二個、三個と数えているうちにドンドン粒が増えていって輝きが増していく。
「ほっ星だ!」
「きれい……お星様たっくさん! どんどん増えてく」
スイも僕も興奮を隠せなかった、一秒経つごとに星は倍に倍に増えていって、空を埋め尽くしていく。最早、星のない場所を探す方が大変なくらいで、空一面が星屑に埋め尽くされた。その屑はやがて塊になって流れていって水平線の端から端まで繋がっていった。
「す、すす、すごいよ、アイ、アオイ、見てあれ! お星様の河が出来た」
「見てるよスイ! すごい、凄いよっ」
生まれて始めてみる星の河だ。まるで自分が宇宙の一部になって宙を泳いでいるような感覚になる。
「アイはこれを知っていたのか?」
「あれはね、
そうこうしているうちに、何かが宙を動いた。見覚えがある魚だ。たしかこの世界に来た時にも泳いでいた。
「お星様の河を魚が、泳いでるっ!!」
スイは大声で叫んだ。僕だってそうだ、竜宮城だってこんなに綺麗だとは思えない。この大空に浮かぶ星の大海原はここが
そういえば、アイが言っていた。ここは
それでも不安はなかった。なくなった。この光景をみたら誰だってそうなるに決まっている。
瞳を潤ませていると、アイがこちらを見ている。表情は分からないのに分かる。これは……これはどや顔だっ。何か悔しい
「二人とも、言っておくけど、こんなものじゃないよ?」
アイがそう言うと、地に広がる草原がポツポツと青白く光り始めた。
「そろそろだと思ったんだ」
その瞬間、光るポツポツが少しずつ増えていった。空の星と同じだった、一つ一つと増えて広がっていく。
「星蘭花はね、星の光に反応して輝く。とっても綺麗でしょ?」
「凄い凄すぎるよ!!」
「足下にも、おほしさまぁ」
「控えめだけど、その奥底に美しさが輝いているっ、とか言ってたのは誰だったかなぁ」
「うっ、ぐぅ」
自分の発言を恥ずかしく思う。アイは始めから知っていたんだ。はじめっから。
そんな事を考えているうちに、足下の星々は一面に広がり、空も地も全てが輝く星々に埋め尽くされた。
「アイ! アオイ! ゆめ、みたい! すごいよ! お空の中にいるよ! 星の中にいるよ!」
スイの言うとおりだ。いま僕たちは宇宙の中にいる。スイは興奮しながら星の海原を走り始めた。僕も、僕だって我慢出来ない。僕はスイと一緒に走り回った。
「光のない所は崖かもしれないから絶対にいっちゃ駄目だよっ!」
「わかったっ!」
アイは子供を見守る親の様に、僕たち二人を見守った。もう自分が幼いとか、子供じみているとかそんなことはどうでもいい。僕もスイもこの宇宙の中を全力で走って、転んで、転がって、泳いで、駆け巡った。
そうしていたら僕とスイの間を何かがグワっと横切る。それに驚き二人で尻餅をついてしまう。
「あはは、
アイがそう言った。「ちゅうぎょ」が何か分からないけれど、何となく分かる。魚だ。はじめてこの世界に来たときに美しいと思った景色。空を泳ぐ魚がここまで降りてきた。
「すごい! 凄いよスイっ!」
「すごい、アオイ凄いよぉ、私お魚さんとお星様の中を泳いでる」
もう見渡す限り星しかない。空も星。大地も星。全てに輝く星が埋め尽くされて、河があって、七色に光っている。
もう分からない。立っているのか座っているのか。走っているのか、泳いでいるのか。それすら分からなくなってこの宇宙の中を
「あはは、すごい、すごいよぉっ! 僕は空を飛んでいるんだ!」
僕は泣きながらスイと全力で走ったんだ。そこには不安も憂いも何も無い。嘘もなにもかも存在しなかった。
あぁ、僕はこの景色を、今の気持ちを言語化する述を持っていなかったっ! ただ……あぁ、ただ
「アオイっ、ねえアオイっ、フカフカのベッドだよ。お星様のベッド」
全力で走り回って、走り疲れて、泳ぎ疲れて、二人で星のベッドに寝転んだ。真上には相変わらず魚が泳いでいて、その上には星々が輝いている。
「アオイぃ、わたし、幸せ。こんな気持ち、いままでに、ない」
「ああ。僕も一緒だ、ぼくも幸せ……アイは……もしかしてアイはこれを僕たちにみせるために!?」
寝転ぶ二人の間にアイは強引に割って入ってきた。何か嬉しそうな雰囲気だ。何故だろう。何故だか今なら……
……いまなら、アイの顔が見えそうな気がした。
「どうしたのアオイ?」
「顔が……もやが晴れてっ、だからっアイっ!」
アイの顔を塗り潰されているグチャグチャとモヤがなくなりそうだった。だから僕はっ………………
「アイは、この景色を私と、アオイに見せたかったんだねぇ!? だから、わざと? 疲れさせて、帰れなくさせたの?」
その時スイが割って入ってきた。なかなか勘が鋭い。
「ああ僕も薄々そんな気がしてたんだ。スイはお利口だな」
頭を撫でると、スイは僕を暖かく抱きしめた。
「ふっ、二人とも何か勘違いをしている」
初めて見るアイの動揺だった。言い訳をするようにアイは続きの言葉を紡いだ。
「二人のひ弱さはアイにも分からなかった。本当は日が暮れる前に帰るつもりだったのに……これは想定外のこと」
「あはは、アイも嘘吐き、だよ。みんな……みーんな、うそつきっ」
スイにまで見抜かれる始末だ。スイも嘘つき、アイも嘘吐きだ……
みんなで星のベッドに寝っ転がって空の星をみる。そこには寒さも不安もない。やがて夜の帳が降りるように疲れ切ったスイは目を閉じた。
「スイ、寝ちゃったね」
「ああ寝てしまった。無理もないよ、今日はとても疲れたから。ぼっ、僕だってもう限界かもしれない……」
そんな事を言いながら目を擦った。もう少しだけ、この美しい景色を見ていたい。もう少しだけ……この時間をおわらせ…………たく……なっ
「待ってアオイっまだ寝ないでっ!」
必死そうな声が聞こえるけれど、頭はボーッとする。
「アイの顔っ! アイの事見える!?」
「あっ……あぁ、見えるよ……」
虚ろな思考で、僕はアイの顔が少しだけ見えかけた。はじめて見るアイの顔。あれ……これって……
その時だった! 急激な吐き気が身体を支配して、眠りの世界から一気に目が覚める。
僕はお昼に食べたハンバーグとかサラダとかを盛大に吐き戻した。アイが心配そうに僕の背中をさする。
「大丈夫……だいじょうぶアオイ!?」
吐き気の原因は分からない。ただ何か嫌な事を思い出した気がする。深く思い出せない。ただ胸が気持ち悪くて、その不快感が記憶に蓋でもする様に何も思い出せなくなる。
「はぁはぁ……大丈夫だ。急に気持ちが悪くなってしまって。アイの大切な場所なのに、汚してしまった」
「そんな事どうでもいい、落ち着くまでゆっくりして」
アイはしばらく背中を摩ってくれた。気持ち悪さも段々と遠のいて落ち着きを取り戻す。
「アオイ……もう大丈夫そう?」
「もう、大丈夫」
「よかった……それでアイのことなんだけど」
そうだ。気持ち悪くなる前、アイの顔が確かに見えた気がしたのだけれど、今はもう見えない。見た記憶も思い出せない。
そういえばスイにはアイの顔も僕の顔も見えている。アイだって同じだ。僕だけが何故か見えない。
顔が見えない理由も解決方法も分からず僕は俯いた。
「ごめん、やっぱり見えない……」
アイは静かに溜め息をした。
この場は汚してしまった。僕は眠るスイを抱えて、アイと一緒に移動した。眠気はすっかり無くなっている。
スイを星のベッドに寝かせ、小さな石にアイと腰掛けた。
「ねえアオイ、アイに教えてっ!」
アイは少しだけ焦っている様子だった。
「教えるって何をだい?」
僕がそう言った瞬間。アイの顔が暗くなった。ゾクッと寒気がして気温が下がったと錯覚する。なぜだか心臓がドキドキして押し潰される様な感覚を憶える。
胸のペンダントを強く握り、言い知れない不安を抑えこんだ。改めてアイの顔を見ると、いっそう暗くなってよく見えない。
それからアイはその暗い顔を上げてゆっくりと口を開いた。
「アオイの昔のことを教えて欲しい。そのペンダントのこと……」
アイはそう言って、僕のラピスラズリで出来た藍色のペンダントを指さした。
「ひっ」
「大丈夫アオイ? 無理しなくてもいいから」
そう言うアイの顔が……僕にはとても恐ろしく見えた。
なぜなら、ぐちゃぐちゃに塗り潰されて表情は分からないのに、とても怒っている様に見えたからだ………………
「そんなにアイを怖がらないで」
僕が怯えている事に気がついたのか、アイは後ろを向きながらそう言った。ゴソゴソと何かしている。何かを拭いている? けれど、何をしているのかは見えない。
アイがゆっくり振りむくと、いつものアイだった。
「ごめんアイ。なんか急に胸が痛くなっちゃってさ。まだ少しだけ調子が悪いみたい。それで、きっ、聞きたいのは、この形見のペンダントの事だよね」
「そう。形見ってことは死んじゃったって事だよね? 話すのが辛いなら別に話さなくてもいいけど……」
この世界に来てまだ二日目なのに、アイには沢山お世話になった。顔も見えなくて、怖いと思うこともあるけれど、アイはとってもいい子だ。隠す必要なんてない。
「このペンダントはね、一番大切な人にあげたものなんだ。一番大好きで……だけど大嫌いだった僕の妹に」
「そっか、妹にあげたんだね。だけど、死んでしまったから戻ってきた……」
「そういうこと」
「ねぇ、なんで好きなのに嫌いなの!? アイにはそれがどういう気持ちか分からないっ」
「僕もどう表現していいか分からない。でも好きと嫌いは相反しないと思ってる」
「でもっ、なんで? アオイは妹のこと……愛していなかったの!?」
「愛していたさ、とってもね。だけどね、僕の妹は嘘吐きだったんだ。スイみたいに……嘘吐きで、卑怯者で、直ぐに逃げる。そんな子だった」
「でもスイはいい子でしょ?」
「うん、スイはいい子だし、少しずつ好きになってきた。だけど僕は嘘が、嘘吐きが大嫌いなんだ。だから大好きと大嫌いが僕の心に同居してる」
「そっか。なんとなく分かったかな。それで…………それで、何があったか教えて欲しい」
何があったのか、それを話すのが苦痛なわけではない。ないはずなのに、胸の痛みと先ほどの吐き気が少しだけ戻ってくる。
気にしないように自分に言い聞かせているだけで、知らずにトラウマになっていたのかもしれない。
それでも僕は逃げたりはしない。自分の過去とだってしっかりと向き合える。もう一度しっかりと向き合うために何があったかアイに話そう。
「僕の妹はね、ぼくの事が大好きだったんだ。名前をミドリっていう」
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