第五話 「ありがとう」 と 「ごめんなさい」

 スイは「痛い」と「アオイが嫌い」を繰り返し喚き続けた。アイがそれを宥めながら部屋まで戻る。僕は無言だった。無言でベッドに潜り、何も考えない様にして布団を被かぶり眠りにおちる。


 気がつくとこの世界で初めての朝を迎えた。ベッドから起き上がって横を見るとスイがまだ寝ている。アイの姿は見えないけれど、何かいい匂いがする。スイを起こさないよう静かに寝室をでて匂いの元へと向かった。


「おはようアオイ、起きたんだね」


「おはようアイ。これはどうしたんだ!?」


 リビングに行くと、机の上には朝食が用意されていた。パンの上には目玉焼き、スープにサラダもある。


「アオイは朝ご飯も知らないの?」


「しっ、知ってるけど。僕の為にわざわざ作ってくれたのか?」


「違う。アオイとスイと、それからアイ自身のため。ご飯は皆で食べるものだよ」


 当然の指摘に恥ずかしく思う。僕も昨日までは両親とご飯をたべていた。ここでも同じだ、アイは三人で朝食を食べるために一番に起きて、朝食を作り、僕とスイが起きるのを待っていてくれたんだ。


「ありがとう……アイは優しいんだね」


 軽く頷いた後にアイは僕の顔を見た。何か心配そうな雰囲気で。


「……ねぇ? アオイはスイに優しくできそう?」


「えっ? ああ、そうか。そうだな、頑張るよ」


「ねえ? スイの事は好き?」


「正直苦手かもしれない。直ぐに嘘を吐くし」


 率直な意見を述べると、アイはがっかりした様子だ。何故だかアイはとてもスイを気に掛けている。


「アオイ、何で嘘吐きが嘘をつくか分かる?」


 唐突な質問だった。嘘吐きが嘘をつく理由なんて沢山ある。だけれど、たいていは保身のためだ。


「やましい事を隠して、何か利益を得るため。それか自分を守るためじゃないかな」


「そう。スイはね、きっと弱い自分を守るために嘘をつくんだよ」


 確かにそうかもしれない。スイは弱い。体力もそんなにあるとは思えないし、それ以上に言葉がたどたどしくて、自分に対して自信が持てていないのがよく分かる。僕自身も最近は自信を失いかけているけれど、スイはそんなレベルではない。


 自分を守るためにスイは嘘を吐く。


「じゃあアオイ。嘘吐きは誰に嘘をつくか知ってる?」


「は? そんなの騙したい相手に決まってるだろう」


 当然のことだ。スイは僕に嘘をついた。露店の店主。名前は確かキウアさん……に嘘をついた。そんな当たり前の事を問われた。

 他に騙している相手なんて……



「嘘吐きはね、自分に嘘をつくんだよ」



「なっ、そんなっ」


「嘘で自分を塗り固めて、自分がついた嘘を本当だと信じて、そうやって弱い自分を守る」


「それじゃあスイは!?」


「悪いのはアオイで、盗んだ自分は悪くないと思ってる。それどころか、もう本当に盗んでなんかいないと思ってるかもしれない……自分以外が悪いなら誰でもよかった。だからアオイを悪者にして自分を守ったんだね」


「…………」


 突きつけられた現実に言葉がすぐにでなかった。僕が思っている以上に、スイを理解するのは骨が折れそうだ。


 それでも大切なことを思い出した。なんで今まで忘れていたのだろうか。僕はスイによく似た子を知っている。僕はその子を救えなかった。スイはその子にそっくりじゃないか。


 胸にあるラピスラズリのペンダントを強く握り絞めながら、そう思った。


「アオイどうしたの苦しそうだよ」


「ちょっと昔の事を思い出してさっ」


「何を思いだしたの?」


「とても辛かったこと。このペンダントの持ち主のこと」


 いやまて、そうか。そういうことかもしれな。もしかしたら


「それってどんなっ」


「僕は、スイのこと何となく理解出来たよ!! いきなり嫌われてしまったけど、大丈夫。スイと打ち解けて、なんとかスイを救いたい」


 つい、興奮してアイの言葉を遮ってしまった。だけれど確信した。スイは弱くて自分と向き合えていない。もっと沢山喋って、信頼を得て。それから自分とちゃんと向き合うように、嘘を吐かないように説得できれば、スイは咎を払って現世うつよに帰れるのかもしれない。


 そして、僕の願いだ。僕も僕の願いを理解して、それを叶えたい。そうしなければ元の世界には帰れない。あの時に救えなかった大切な人。よく似たスイを救う事で僕の後悔の念を払えるかもしれない。


 これが僕の願いだ。スイは僕の願いのために現れたんだ。何故だかそう思った。


「アオイ、それで」


 アイが何かを言おうとした瞬間、ガチャリと扉が開いた。リビングにやって来たのはスイだった、寝起きで目を擦りながら気怠そうな顔だ。


「アイ…おは、よう。 アオイ……き、らい」


 挨拶代わりに嫌いと言われ顔が引きつる。アイの話しを聞いた後だからグッと気持ちを抑えたけれど、流石に傷つく。


「スイ、おはよう、昨日は大変だったね」


 スイは僕を無視するように、無言で椅子に腰掛けた。


「アイ、凄い。これ全部つくって、くれたの?」


「そうだよ。三人で食べようと思って、スイが起きるのを待ってたんだ」


「あっ、ありがとう……とっても、美味しそう」


「あのスイ? 昨日は……」


「………………」


 僕が話しかけてもスイはフイッとそっぽを向いて無視を決め込んでいる。つい溜め息がでてしまう。

 重い空気のなか、三人で食事を取り囲み、「いただきます」を言ってから食べ始めた。


「アイ、目玉焼き、美味しい……スープも」


「そう、それは良かった」


「こっちも、こっちも、美味しい。あっ、あり、がとう、沢山」


「どういたしまして。あとスイにお願いがある、アオイとも口をきいてあげて」


 スイは僕の事をキッと睨むと、口を開いた。


「アイが……そういうなら……いいけど」


「ぐ、ぐぅ」


 スイは何故だかアイには一瞬でなついた。アイの言うことなら素直に聞くようだ。


「ちゃんと喋って、あげるから。だから、アオイは、ちゃんと謝って……まだ、背中、痛い」


「なっ、それはっ」


 昨日に引き続いて、また謝罪を求めてきた。悪いのはスイだというのに。それでも、まずはスイの信頼を得ることが大事だ。僕はお姉さんだ。ここは大人の対応をしなければ。


「ごっ、ごめ」


 ごめんなさいと、謝るのは簡単だ。でも、それでいいのだろうか。それは彼女に成功体験を与えるだけで、良くないのではないか。


 だったらどうするか。だったら


「だったら交換条件だスイっ。スイが昨日果実を盗んでしまった事を、まずはちゃんと謝るんだ。そうしたら僕も謝ろう、これでどうだ?」


 我ながら妙案だった。これでスイも謝りやすくなるはずだ。


「私は、盗んで、ない。あれは……お腹が空いてたから、仕方なかった、アオイは私に、飢え死にしろっていうの?」


「ぐっ、くぅ」


 「盗んでいない」と、「仕方ない」は明らかに矛盾している。ただこの矛盾を追及する事に大して意味は無いような気がする。どうすればこの嘘吐きを……


「はい、喧嘩しない」


 そこで、アイが割って入ってくれた。


「アイが、言うなら、喧嘩しない」


「スイは素直だね」


 これを素直と言っていいのだろうか。こうして、アイが甘やかすとスイは満足そうな顔をした。相変わらず表情は見えないけれど、そう見えた。


「でもねスイ? 悪いことしたらちゃんと謝らなきゃだよ。ちゃんと謝ったら痛い思いしなかったよ?」


 ここでやっとアイが謝罪を促した。きっとアイが言うならスイは素直に謝るはずだ。


「わた、わたしは、わる、わ、わ」


 「悪くない」とは言わなかった。けれど、謝罪もしなかった。泣きそうな顔でご飯を食べ続けて、この件はなあなあで終わる。


 改めて気がついた。スイは「ありがとう」は言えるのに、「ごめんなさい」が言えない。


 無言のまま食事を続け、みんなでごちそうさまを言った。こうしていると家族みたいで、胸が熱くなる。僕は胸のペンダントを握りながら、スイと打ち解けたいと願った。


 そうして、スイを見つめていたら本人に気がつかれてしまう。


「あっ、アオイ、それっ」


「それ?」


「そっ、その青いやつ……」


「ああこれかい? これは大事な人の形見のペンダントンなんだ。とても綺麗だろ……丁度スっ」


「きれいっ! それっすごいっ! きれい……」


 僕の話を遮りスイはペンダントに釘付けになっている。大切な物だけど見せてあげるくらいなら構わない。そう思った僕が甘かった。


「あっ、アオイ、それ、頂戴っ」


「なっ、大切なものなんだ。あげる訳がないだろ!?」


「でも、欲しい。私に頂戴っ! そうだ、それくれたら、わた、し。アオイのこと、赦してあげるっ」


 目を輝かせながら上から目線でそんな事を宣う。スイとは打ち解けたいけれど、流石にこれだけはあげられない。


「駄目に決まってるっ」


「ほしいっ! アオイ……すきっ、アオイのこと好きだからっ」


「嘘つくなぁ!」


 そう言っているのに、スイは僕の胸ペンダントに手を伸ばす。僕は盗られまいと必死に形見を守った。ドタバタとしていると、パンっと音がした。アイが手を叩いたんだ。僕もスイもアイのほうを見た。


「はい。二人ともお遊びはおわり。そろそろ行くよ」


「そろそろ行くって、何処に?」


「アイと、おっ、お出かけ……楽しみ」


 アイはお出かけと聞いて、また目を輝かせている。この世界の主とも言えるアイ。そのアイにこの美しい街を案内して貰えると思い、僕も嬉しく思った。


「何か勘違いしてる? 行くのは仕事」


「しっ、しごと!?」

「いやぁ、わたし、やったことない。できない、しごと、きらい」


「朝ご飯たくさん食べたよねぇ? 働かざる者食うべからず。現世うつよの言葉だよ?」


 スイは全力で首を振っている。僕も人の事はいえない。せっかくこんなに美しい世界に来たというのに労働をするハメになるなんて。そう思ってしまった。しまったけれど、机の上には食べ終わった後の空っぽの食器が残ったままだ。


「二人はいつ帰れるか分からないから自分のぶんは自分で稼ぐ。当然のこと」


 正論を言われた。僕の異世界生活の二日目は強制労働だった。

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