第四話 正しさ
スイはあっという間にアイに捕まった。この子を理解出来ると、諭せると思った矢先に直ぐに逃げ出す。スイにはもっと経験が必要だとおもう。ちゃんと謝ればちゃんと許して貰えるという経験が。
「ありがとう、アイ。また逃げられるかと思った」
「直ぐに逃げるからね。ちゃんと見てないとだめだよ」
卑怯者は直ぐに逃げる。スイの虚言癖も直ぐに逃げる悪癖も直して欲しいと思う。それは、時間がかかる事なのかもしれない。スイを救うためにもはもっとスイに寄り添って彼女を理解する必要がある。
「わたし、にっ逃げない、は、離してっ」
スイがそういうと、アイはあっさりと手を離した。今度は逃げ出さなかった。
「アイの名前はアイっていうの。スイは独りぼっちで不安で怖かったんだよね?」
「うん。こわかった」
「行くところがないんだったら、アイと一緒に行こう」
「アイは、わ、わた、しのこと、怒らない?」
「怒らない」
「わたし。いく」
アイはスイを説得すると、よく分からない言語で露店の青人と何か話をつけた様子だ。こうして、三人でアイの家に向かった。
◇◇◇◇◇◇
「ようこそ、アイの部屋に。適当にくつろいで」
たどり着いたアイの部屋。雑居の中の一室だった。中に入るとベッドとか机とか本棚とか知っている物が沢山あって、どこか懐かしく感じる。棚には観賞植物があり壁は白くて、とても落ち着く。だけれど、僕はくつろいでいる場合ではない。
「まって、僕は早く帰る方法を探したいんだけどっ」
「探したって簡単に見つかるものじゃないよ?」
「わっ、わた、し。ここ好き。この部屋に、ずっと、いたい」
「そうだね、スイは素直でお利口だね」
アイはスイの頭を優しく撫で、優しい声で甘やかした。
「なんで、アイは僕にはキツいことばかり言うのに、スイには優しいんだ!? スイもスイだ! さっきは何で逃げた!? 何で嘘をついた!!!?」
心を整理しきれず思った言葉を列挙してしまう。アイの態度もスイの事も理解出来ない。
「あっ、アオイ、こわ、い。わたし、アオ、イ嫌い。アイが……好き」
アイに抱きつきながら、そんな憎まれ口をきいた。
「アオイはね、不器用だから人の心が理解出来ないんだよ。だからスイはアオイのこと嫌いにならないであげて」
優しく諭すようにスイに伝えている。この心のモヤモヤをなんと表現すればいいのか。そんな事を考えていたら。スイがクシャっと顔を歪めてこちらを見ていた。舌を出しながら。
「うあぁぁぁぁぁぁっ」
イライラが思わず口から出てしまう。
「わた、し。アイに言われたらな、そう、する。アオイのこと嫌いにならないで、あげる」
「この卑怯者ぉぉぉぉ!!!」
この後アイにたしなめられた。これではどちらが子供か分からない。この子をどう救えばいいのか分からない。その前に僕の心が折れてしまいそうだ。
◇◇◇◇◇◇
異世界で迎える始めての夜だった。スイは深い眠りにおちて、ここには僕とアイがいる。
「ねぇ、なんでアオイはスイにあんなに怒っているの?」
「腹立たしいんだよ」
「何が?」
「何もかもだよ! スイは嘘吐きだし直ぐに逃げるし、僕の一番嫌いなことばかりするからっ!」
「でも、それはスイの弱さだよ。弱いから嘘をつくし、弱いからすぐ逃げる。アオイはスイのことが嫌い?」
「嫌い、とかではない。だけどなんか思い出してしまうんだ」
「何を!? 何を思いだしたのアオイ!?」
期待に満ちたような顔でアイは僕の顔を覗き込んだ。何を期待しているのかは分からない。それでも、僕が思い出したことを隠すつもりはない。
だから、僕はつつみ隠さずに……あれ?
「あれ、なんだっけ?」
「今思ったことをアオイはもう忘れたの!?」
「まって今思い出すから」
「はぁ」
僕がそう言うとアイはあきれた様に溜め息をついた。
「溜め息なんてつくなっ」
「アオイってなんかすぐに忘れてお婆ちゃんみたい……」
返す言葉もなかった。たった今思い出したことをすぐに忘れてしまう。そんな事は誰にでもあるはずだ。
そう思っていると、アイの表情がまた暗くなる。その暗く不気味に笑う顔で問いかけてきた。
「ねぇ? アオイはスイのこと愛してる?」
「愛してる!? そっ、そんなこと分からない」
唐突な問いだった。そんなことは分からない。何故アイがそんな事を聞いたのかも分からない。僕がスイをどう思っているか。スイは嘘吐きで卑怯者だ。僕の一番嫌いな人間。そんなスイを導いてあげたいとは思っている。ただ、それが愛かどうかと聞かれても分からない。
「僕はっ」
「もう、寝よっか」
アイが不気味な笑顔でそう言いながら、無言でベッドに向かった。おあつらえ向きに三台あるベッド。一つにスイが寝ている。アイはもう一つに寝転んで、すぐに布団を頭まで被った。僕は残ったベッドに身体をあずけて目を閉じる。
ここは何なんだ。アイは…………スイは何なんだ………? 考えを纏めることも出来ずに僕も泥の様に眠った。
◇◇◇◇◇◇
『お前が悪い……』
ちがう悪くない。
『お前のせいだっ』
ちがう僕は悪くない。僕のせいじゃないっ!
『すぐに逃げるくせにっ』
僕は逃げたりしないっ
『お前が死ねばよかったんだ』
そんなことはないっ!
『お前が殺したんだ……お前が殺したっ、…………を殺したっ ……で殺したっ!!』
「ちがう……そんなことはしてないっ」
『うそつきっ! 卑怯者!! お前が死ねばっ!!!!』
「ぼくは断じてちがうっ!!!!! はぁ はぁ はぁ はぁ はぁ」
僕は何かを否定するように、叫びながらベッドから飛び起きた。全身が汗でビチョビチョに濡れていた。酷い悪夢だ。内容は覚えていないけれど、何か悪魔の様なものに責め立てられる夢……
まだ外は暗いのに最悪な寝起き。僕の声で二人を起こしてしまったかもしれない。そう思ったけれど杞憂だった。
起き上がって二人のベッドを見ると、そこはもぬけの殻。
「どっ、どこにいったの?」
思わず僕はアイの家を飛び出た。何故だか二人を探さないといけない気がした。それなのに言葉にならない不安が沸いてくる。
外に出ると辺りは薄暗く、煌びやかな街並みは夜になり一変していた。あれだけ賑わっていた青人はどこにもいなくて、変わりに薄霧が漂っている。
あてもなく歩いても意味が無い。もう部屋に戻って二人が帰って来るのを待とう。それが合理的な判断というものだ。それなのに、僕は戻れなかった。
言い訳を作って、逃げる口実にするのが嫌だった。
「にっ、逃げない。僕は……」
知らない場所を探すのは怖かった。だから昼間歩いた場所に行ってみることにした。中央の噴水にはもう水がなく、静寂を保っている。そこから角を曲がるとあの露店があった。そこだけが何故か灯りがともっていって、人影が見える。
「だっ、だれ?」
小声でそう言いながら近寄ると、声が聞こえてきた。何を言っているのかよく分からない青人の声と、見知った声。ただし、尋常ではない様子だった。
「いやぁ、いや、やめでっ、たっ、たす、たすけ……て、やめてぇ」
「ごめんねスイ。これは仕方のない事だから。だから少しだけ我慢して」
泣き叫びながら助けを求めるスイ。僕は何が行われているのか、それを確かめる為に走って灯りのもとに行った。
近づくとわかる。青人は手に何かを持っていた。しなる縄のようなもの。あれはムチだ。青人がムチを構えシャツの捲れた背中を狙っている。アイはスイを助けるどころか動けないように捕まえていた。
「何をしている! やめろっ!!!」
そう言ってスイに手を伸ばすけれど、目の前でピシャンと大きな音を立て、ムチは振り下ろされた。
「いだぁぁぁぁっっい!!!!」
「大丈夫スイ、一回で終わりだから」
「いだいっ! いだいっ!! いだぁあぃぃぃよおおお」
目の前でスイが泣き叫ぶ。当然だ、こんな少女が強烈な痛みに耐えられる訳がない。なんでスイがこんなことにっ
「何をしてるんだっアイっ!!! 大丈夫かスイ」
僕は大きい声でアイを怒鳴りつけた。スイがこんなに泣いているのに悪びれもしない。それどころかアイはこの行為に加担している。許せなかった。
「アオイ、来ちゃったんだ」
「目が覚めたら二人がいなくて、直ぐに探したんだ」
「夜は暗くて、けっこう怖いのに逃げずにきたんだね、エライ、エライ」
子供を諭すように僕にそんな事を言う。その間にもスイは痛い痛いと泣き続けていた。
「スイ、可哀想に、痛かったね。もう大丈夫だから」
そう言って優しく手を握ったのに
「いやぁ、触ら、ないでっ、痛い」
勿論痛みの中心である背中は触っていない。きっとスイは生まれて初めての激痛で混乱しているに違いない。ないのに
「アオ、イ……イヤァ」
「なっ、」
何故かスイは僕を拒絶した。
「どうなってるんだ、アイっ、説明してくれ」
「アオっ、アオイの……せい、だ」
「スイ。アオイは悪くないよ。だってアオイは正しいことをしたんだから」
アイがスイを押さえつけて、青人がムチで打って、僕は助けようとしたのに……何故か僕のせいになっている。到底理解出来ない。
「スイはねこの
「けっ、さっきの盗んだ果実のことかっ」
「そう。一個盗んだから一回。それがこの世界の決まり」
「だからって、こんな子にっ、口で叱るとかいくらでもやりようがっ」
「いだいぃ、アオ、イのせい……アオイがわるい」
盗んだのはスイだというのに、当人は反省するどころか未だに僕を責め立てた。
「スイは謝れなかった……ここではそう決まってるから仕方ない。
スイは謝れなかったからこうなった。もし謝れていればこんな事にはならなかったのだろうか。それでも暴力などに頼る前にする事があるはずだ。
「僕の世界にもルールはある。あるけど、分別のつかない子供を罰したりはしないっ」
「それはアオイの
「だからってっ」
「だから、仕方なかった。露店のキウアさんだって、こんな事はしたくなかった。アイだって一緒」
したくないのにしなければいけない。仕方ないその理由は……
「咎びとが
「背負ったら?」
淡々と話すアイ。少しだけ表情が怖かった。
「森に引っ張られる」
「もっ、もり??」
「そう、とても怖い場所。咎びとの森に引き寄せられて、もう帰ってこれなくなる」
なにか分からないけれど、とても怖い場所。アイが嘘を言っているようには見えなかった。そこに行くのは死を意味するのかもしれない。そうならないために
「ここで背負った咎はここで払わなくちゃいけない」
「アッ、アオイの、せいだ。わた、し、悪くない」
「それは違うだろ! スイをムチで打つのが仕方ないというのは分かったけど」
納得出来ないけれど、するしかない。アイをムチで打たないと死んでしまうかもしれない。それが本当ならば仕方のないことだ。だけれど、それはそれだ。悪いのはスイで僕は悪くない。
「本当はね、露店のキウアさんは気づいていたんだって。だからスイが盗むのを見て見ぬふりをしてくれた」
「そっ、そんな、じゃあ」
「せっかく見逃してくれてたのに、アオイが謝ってキウアさんが果実を受けとってしまったから、スイに咎がついた」
「アオ、イのせいだ、アオイ……嫌いっ、痛い……ま、だ、いたい」
「そっ、そんな」
そんな事は間違っている。見つからなければ罪にならないとでもいうのか。そんなものがルールだというのか。
それに僕は正しいことをしたんだ。ちゃんと謝るようにって、当然のことを。それで、悪いのはスイで、僕はっ
「大丈夫。アオイは悪くないよ。だって正しいことをしたんだから。でも正しさってなんだろうね?」
そう、僕は正しいことをしたはずだ。それなのに、アイがそんな風にいう。正しさとは? そんなもの決まっている。人に嘘をつかないようにして、真摯に向き合って、それから……それから誠実に振る舞って
「わたしは、悪くない。アオイが悪い。謝って……わたしに、あやまって!」
スイの怒った声に胸が貫かれる。そんなのおかしい。間違っている。
「ぼっ、僕は……わるくない」
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