第三話 卑怯者はすぐ逃げる

 繋いだ手を離し、坂道を駆け下りると街に着いた。当然だけれど上からなら万引き少女の場所はよく見えた。しかし、下まで来てしまえば建物が少女の居場所を覆い隠してしまう。

 この街は思いのほか広いから、早くあの現場にいかなければ少女を見失ってしまう。僕はアイと一緒に全力で走った。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


「アオイ体力なさ過ぎ。これじゃ見失っちゃう」


「そっ、そんなこと言われても、はぁ、はぁ」


 体力には自信がない。それでも一生懸命に走っている。はじめて見る美しい街並みも、そこにどんな営みがあるのかも、それを見て想像して楽しむ余裕もなく街を疾走している。


 高台から見た露店にはようやくついたけれど、当然少女は逃げた後だ。

 ここから遠くに逃げられる前に付近を探さなければいけない。


「遅いっ、らちがあかないから二手に分かれよう。アイは右に行くからアオイは左から行って」


「はぁ、はぁ、わっ、わかった」


 妙案だ、これ以上アイの速度について行くのも無理だし、二手に分かれた方が効率がいい。僕はアイの指示に従い、角を曲がり、少しだけ走るペースを抑えた。


 全力疾走から、早歩きになり、やがて普通に歩く。


「もっ、もう走れない。でも早く探さないと」


 そうして辺りを見渡すと数多の眼が僕を見ている事に気がついた。青い人間がジロジロと異物をみるような顔をしている。その視線で僕を突き刺す。

 全身青くって、人みたいだけれど人ではなくて、柔らかそうな、人ともいえない人。人間の様な知性を感じるけれど、人間ではない。そんな異質な青人に異質な目で見られる。正直気持ちのいい物ではなかった。


「だったら、もしかして」


 僕はこの隔世かくよでは異物でしかない。それは現世うつよでも同じだった。僕は慣れている、この程度の居づらさは問題ない。今は余計なことを考えるのをやめて、周辺を探した。


 逃げた少女もこの世界では異物だ。か弱くそわそわしていた彼女に、この視線が耐えられる訳がない。そう思って人目につかないだろう路地裏を探した。


 いくつもの物陰を確認した。何個目だろうか……大きな木箱、その裏に震える少女の背中があった。


 驚かさないように、逃げられない様にゆっくりと近づいて、優しく肩を叩く。そうして少女が振り向いた。俯いていてまだ顔が見えない。


「ひぃぃっ! だだだっ、だれぇ?」


 腰を抜かしてこちらを凝視した。驚かせないようにしたつもりだったけれど、心底驚かせてしまった。


「僕はアオイ。君の敵じゃない」


「あっ、ああぁっ、あお……あおぃ? にん……げん?」


 僕が同じ人間だと思って警戒を解いたのか、少女はゆっくりと顔を上げた。ようやく見えた少女の表情は……


「ひっ」


 僕は少しだけ驚いて声をあげてしまった。けれど大丈夫、もう大分なれている。少女はアイと同じ顔なしだった。ぐちゃぐちゃに塗り潰されていて顔が見えない。この世界の人間はみんなこうなのだろうか。もしかして僕の顔もこう見えているのだろうか。


「どど、どう……したの?」


「ああえっと、そのぉ。君の顔が見えなくてビックリした」


「あ……ぉぃは、わたしの……かお、みえ……ないの?」

 

 少女の声は酷くどもっていた。自身のなさそうな声だ。嘘偽りなくそう伝えた事実に少女はキョトンとしている。


「ああ見えない。君は僕の顔が見えるかい?」


「うん……み、みえる、けど」


 僕にはこの子の顔が見えない。この子には僕の顔が見える。この世界のルールがいまいち理解できない。


「きみ名前はなんていうの?」


「えっ? わっ、わた、わたしは……すぃ…………スイ、だよ」


「スイっていうのか。素敵な名前だね」


「うっ、うん」


「ねぇスイ。その手に持っている物だけど」


 そう言った瞬間、スイは手に握りしめていたリンゴの様な果実を服の中にバっと隠した。万引きを咎められると思ったのだろう。


「大丈夫、僕はスイの見方だから、隠さないで」


「違うっ! わたし悪く、ない。盗んで、ないもんっ」


 バレバレの言い訳だ。盗みは間違いなく悪。ただ、この悪を責め立てるにはスイはあまりにも幼い。見た目はアイより少し年下くらいだと思うけれど、精神性はもっと低いように見えた。上手く諭さないといけない。


「大丈夫、僕は怒ってないから、取りあえずそれを出そう」


 服の上の膨らみを指でさすと、スイは渋々それを出した。僕は優しく受け取る。


「僕は高台からスイの事を見てたんだ。だから知ってる。これはあっちの露店から盗んだものだろ?」


 優しい声で怖くないように、責め立てていると思われないように笑顔で言った。そうしたら、スイは僕が受け取った果実を再び奪い取り


「私は、悪くない!! 盗んで、ないっ!」


 そう言いながら走りだした。


「まっ、待って!!!」


 暗い路地を抜けて逃げだし、明るい街頭にでた。スイは全力で走っているけれど、僕よりも大分幼い。すぐに追いつき服を掴んで捕まえる。


「はぁはぁ、にっ、逃げるなっ、怒ってないって言ってるだろう?」


「だって、だって、私のこと……」


「怒ってないっ 怒ってないから!」


 だから逃げないで欲しいと言った。僕はスイを救う様に頼まれた。いやアイの願い以前に、スイの性根をたたき直さないといけないと、そう思った。


 服を強く握り絞め、逃げられない様にすると、スイは諦めた様な顔をする。


「スイ。人は誰だって間違いを起こす」


「うん」


「間違えた時、どうするのがいいと思う?」


「わか、わからない。しらない」


「答えは簡単だよ。ちゃんと謝ればいいんだ」


 子供を諭すように、なだめるように伝える。


「うん、なんか、分かった。かも」


「じゃあ行こう!」


 そう言って、スイの手を引いて歩いた。向かう場所はもちろん、あの露店だ。きちんと謝ればきっと許して貰える。スイにはそういう事を学ばせて、真摯に人と向き合える様になって欲しい。それが救いになるような気がした。


「どど、どこ、いくの!?」


「この果実を返しに、そして謝りに行くんだ。そうすればきっと許して貰える」


「やだっ! いやだっ!」


 今にも逃げ出しそうなスイの手を多少強引に引っ張り、あの露店へ向かう。なんどか手を振りほどかれそうになったけれど、逃げられない様に強くを握った。


「はなして! はな、してよ! いっ、痛いよ」


 痛くなるほど強く握っていないつもりだった。なんとかスイが謝れるように説得したい。


「ごめん、少し強かったね。もう強く握らないから、逃げないって約束してもらえないか?」


「やくそく、する。私は逃げたりしない。でも……謝るのは…………」


 僕はスイの手を離した。それでもスイは逃げなかった。少しは信頼して貰えたのだろうか。


「大丈夫、僕も一緒に謝るから。ねっ」


 そう言いながらスイの頭を撫でた。不安そうに僕を見上げる。そうだ、きっとスイはこの世界に迷い込んで不安だったんだ。本当は素直でいい子なんだと思う。


「ほっ、ほんとう? アオイも、謝って、くれ、る?」


「ああ、謝る。だから安心して欲しい」


「わっ、わかった」


 いやがるスイを何とか説得できた。ちゃんと謝れば許して貰える。そう学べばスイもきっと変わるはずだ。


 青人達の視線を浴びながら雑踏を歩き、ようやくあの露店までもどってきた。


 言葉が通じるかは分からないけれど、こういうのは態度が大切だ。露店の青人に精一杯頭を下げて言った。


「あっ、あの。この子がこちらの商品を盗んでしまいました。申し訳ありませんでした!!」


 先ずは誠心誠意、頭を下げての謝罪。つづいて、スイにも促す。


「さぁ、スイもちゃんと謝ってっ」


「…………」


 それなのに、スイはそっぽを向いて無言だった。


「スイ、早く!!」


「私は……わるく、ない。お腹が、空いてたから、仕方ない。それに、盗んでない」


 一瞬何が起こったか分からず心臓がヒヤッとした。この子の言っている事がわからない。


「スイ? 何をいってる?」


 露店の青人をみると、何かやかましく喋っている。怒っているような気はするけれど言語が分からない。

 私が戸惑っていると、そのスキをみてスイはまた走り出した。


「まっ、まて逃げるな!!」


 また逃げられてしまう。そう思った矢先に、スイは直ぐに首根っこを引っ張られて捕まった。捕まえた相手は


「アオイ、駄目だよ。ちゃんと見てないと。咎びとは嘘を吐くし、卑怯者だからすぐに逃げ出す」


「ようやく分かったよ、アイの言ってること。なんとなく理解出来た」


 この嘘吐きで卑怯者、すぐに逃げ出すスイを、どう理解すればいいのか。どう救えばいいのか先が思いやられる。

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