第二話 嘘吐き
「アイはアオイのこと大っ嫌いっ!」
真っ青でいて美しいだけの世界に来てしまい、なにも理解出来ないでいた。そこで出会った顔の見えない少女、大したやりとりもしていないはずのアイは、いきなり僕を拒絶した。
「まっ、待って! 僕を大嫌いって何で!? 僕は君に……アイに嫌われる事なんて、なにもしてない」
「分からないなら別にいい」
そっぽを向いてそんな事を言う。僕より年下に見えるけれど、年上にも見える。敵意がないかと思えば、急に怒るアイを僕は理解出来なかった。ただ聞かなければならない。
「アイ、僕が嫌いって何で!? 僕は君とはじめて出会った。はじめて喋ったっ。嫌われることなんてしてない!!」
「何でアイがアオイの事を嫌いか知りたい? それはね……」
固唾を飲んだ。僕に何か落ち度があったのなら謝らなければいけない。この短いやりとりの中で、そんなものがあるとは思えないけれど、他者の話には真摯に耳を傾ける。僕はいつだって正しくありたいと、そう思っている。それなのに
「アオイが嘘吐きだからだよ」
「はぁっ!?」
何を言っているのか分からなかった。アイが何故そんなことを思ったか分からない。だって僕は……
「それは心外だ! 僕はっ! 僕は嘘が一番嫌いなんだっ! 嘘は人を傷つけるだけだっ。僕がこの世で一番嫌悪するものだっ。だから僕はいつも自分の思ったことを嘘偽りなく言葉にしてきた! 今だってそうだ、だからなんでっ」
「それが嘘だって言ってるの。嘘に嘘を塗り重ねて、嘘で自分を固めて、取り繕って。ウソウソウソウソ、うそうそっ、ぜーんぶ嘘っ!」
アイは不気味に笑いながら、僕を嘘吐き呼ばわりする。迷い込んだ異世界は僕に全然優しくない。あまりにも綺麗な景色は優しい世界を想像させたけれど、目の前のアイに、理不尽に嘘吐きのレッテルを貼られる。正直に思った。僕はこの誰なのかも分からない子が嫌いだ。
「なぜ、そう思うんだ? 僕には君が分からない。なんで……」
「何でアイが分からないの? わかって無いのは……まあいい。じゃあ聞くけどアオイはアイの事どう思ってる?」
「この
そう、この一時。知り合いと呼ぶには甚だ短すぎる出会いとやりとり、この一瞬とも言える時間で抱く感想など
「この一瞬でどう思ったの?」
「さっ、最初は不気味で怖いと思った」
それは当然だ。ここがどこだか分からない。今でも分からない。綺麗なのに、不安で怖くて寂しくて、今にも逃げ出したい。その時にやって来たアイは頼りになる存在なのか、それとも恐ろしい何かなのか。それが目の前にきたら顔が塗り潰されていたんだ。
僕は偽らない率直な意見を述べた。
「それで、あとは?」
「そっ、それから名前を聞かれて……少しだけ嬉しかった。僕はこの名前が好きだから」
「だから?」
「だから、名前を説明して」
「それで?」
「それで、アイとコミュニケーションを図って……仲良くなろうと思った。その途端に大嫌いと言われて戸惑っているよ」
何やら尋問のようだ。それでも偽りはない。僕はアイに真摯に接した。正体の分からない怖い相手でも会話が出来る以上は、何とか出来ると思った。それなのに
「ほーら、また嘘ついた」
「なっ、僕は!」
「僕は顔の見えない、恐ろしい化け物が怖い。だけど話は通じるようだ。なにも信用できないけど、頼れる人もいない」
「なっ、」
打算を見抜いていたアイは、僕の心を代弁し始めた。けれど僕のは嘘とは違う。それでもアイは淡々と言葉を紡いだ。
「この気味の悪い子に取り入ってご機嫌とって、上手く情報を取って、お家に帰る方法を聞き出してやろう。それさえ聞けば、こんな不気味な世界も、気持ちの悪い女とも、直ぐにおさらばできる……そんなところかな?」
「ちっ、ちがう!」
「ちがくないでしょ、卑怯者」
「僕は……ぼくはっ」
「僕は都合が悪くなったら直ぐに逃げる?」
言い返せなかった。確かに機嫌をとろうとか、そういう事も思った。だけどそんな事は人と人のやりとりで良くあること。嘘吐きとか卑怯者とまで言われる筋合いはない。逃げ出したい気持ちもあるけれど、逃げたりはしない。ぼくは
「僕はやっぱり、君が分からないよ。僕は嘘とか卑怯者が一番嫌いだ。それに直ぐに逃げる様な奴も……君の事を知りたいと思ったけど、今は君の事が苦手……というか嫌いかもしれない」
人のことを面と向かって、嫌いとか苦手とかいうべきではない。それでも、ここまで言われてアイの印象を偽る気にもなれなかった。
…………正面から人に嫌いだなんて言うのは、いつ以来だろうか。そんな事はあっただろうか。そんな風に記憶を遡っていると少しだけ頭痛がした。
「そうなんだ、でもアイはアオイの事大嫌いだけど、好きだよ……」
「はぁ、本当に僕には心底君って子がよく分からない」
そう伝えると、アイは不意に僕の手を取った。
「アオイが理解するべきなのは、アイの事じゃなくて自分の事だと思うよ?」
嫌いと言われたり、好きと言われたり、悪口で侮辱されたり、自分の事を理解した方がいいと言われたり。本当に訳が分からない。自慢じゃないが僕は自分の事はよく分かっているつもりだ。嘘が嫌いで、卑怯な事が嫌いで、それでいて不器用で弱くて、中々上手くいかない事が多くて……それでも決して逃げたりはしない、それが僕だ。
何の説明もないまま、アイは僕の手を取って歩き始めた。
「さあ、いこっ。こっちだよ」
「まって、どこに行くの?」
「アイの家」
「えっ?」
僕の意思を無視するように、アイは歩みを進めた。ピチャピチャと濡れる足を濡らしながら歩く途は足下が冷えるけれど、そんな事が気にならない程この世界は青く碧く、あっとう的に透明で美しい。
見上げると、あるはずの空の代わりに海が広がり、泳ぐ魚がピチャッとはねた。その水しぶきがパラパラと落ちてくるけれど不快感はない。
黒っぽい住宅の様な建物には人影もみえない。ここには僕とアイしか存在しないのかもしれない。けれど電柱の様なものや電線、人工物としか思えない四角いオブジェやベンチなども在った。人の生業を感じさせる。
「ここはね……
「かっ、かくよ?」
無言で歩くアイの口が開くと、聞き慣れない言葉がでた。
「あれっ、知りたかったんじゃないの? この世界の事……」
「勿論しりたい! 教えてくれるのか!?」
機嫌を取って、何かを聞き出そうとすることを良しとしないアイ。僕からは聞きづらかったので正直ありがたい。
「ここは
「アイの世界?」
「アオイがいた
私がいたのはウツヨ、そこから隔絶しているから
「顔、真っ青だよ? 安心して大丈夫。ここは、あの世じゃない。
ホッと胸をなでおろした。ずっと不安だったことだからだ。もしかしたら、僕は死んでしまったのかもしれない。ここは死後の世界で、空の海は三途の川か何かかもしれないと思っていたからだ。
「よかった。少しだけ安心したよ。まだ全然わからないけど、教えてくれてありがとう」
「……」
「それで、ここがアイの世界っていうのはどういう意味なんだ?」
せっかく話をしてくれる気になったんだ。いまのうちに色々と話を聞いておきたい。
「それは、ここがアイの願いの世界だから。アイが創ったアイの為のアイの世界。あの世にいけない未練の世界」
「願いの世界? 未練? アイは何かをやりたいの? アイの願いは一体どんなものなんだい? 僕にできる事があれば何でも言ってくれっ」
アイが歩みを止めて下を向いた。また何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。僕にできる事といっても、この世界で出来ることなんてほとんど無い。寂しい世界で話し相手が欲しいとかならば、ある程度は付き合ってあげられるけれど、他にどんな事ができるだろうか。
そんな事を思っていると、アイはバっと顔をあげて僕の顔を覗き込んだ。相変わらず顔がグチャグチャに塗り潰されているので、感情を読み取ることが出来なかった。
「アイの願い、アオイには教えてあげない。自分で考えて」
「そんなの分かるわけないだろっ!」
人の心なんて分かるわけがない。初対面の相手なら尚更だ。正直苦手な性格をしているアイだ。だけれど、出来ることがあるなら何かしてあげたいというのは本心だったのに。
そうして、無言のまま歩みを再開する。まだ肝心の話を聞けていない。
「なあアイ、僕はどうして、この世界に来てしまったんだろう? どうやったら」
どうやったら帰れるのか。その問いを遮るようにアイは口を開く。
「ここはアイの世界。普通の人は迷い込んだりしない」
「じゃあなんで僕は」
「たまに
「咎びと!? それってどういう意味、いやまって、
「はぁ、アオイは本当にバカなのかな。いちいち説明しないとわからない?」
正直わかるわけがない。いきなり隔世だ現世だ咎びとだなどと言われてついていけない。それなのに、表情も分からないのに、アイがあきれた顔をしているのが分かった。
「わからなっ」
「はぁ、
先ほどよりも更に大きいため息が漏れ出た。咎の意味くらいわかる。過ちの事だ。しかし、抽象的すぎる。いったいどんな意味があるというのか。
「つまり、咎びとっていうのは、罪の意識を持っている人」
「罪の意識か……僕には思い当たらないな」
「あとは嘘吐きや卑怯者、すぐに逃げ出す人のこと……」
また顔を覗き込まれる。表情が見えないのに恐ろしく感じる。
「アオイはどっちかな? 願いのある人、それとも咎びと……両方かなぁ?」
「ひっ」
不気味に笑うアイ。それが恐ろしくて、つい怯えた声がでてしまった。
「そんなに、アイを怖がらないで……」
恐ろしい顔をしたかと思えば、今度は寂しそうな顔だ。顔は見えないのに、何故だか表情が分かるときがある。何故だか……
「アオイが迷い込んだ理由を自分でわかれば、お家に帰れるかもね。願いがある人なら願いを叶えれば、咎びとなら罪を償えば帰れる……」
「まっ迷い込んだ、りっ、理由なんて……そんな、そんなものはっ」
そんなものはない。僕は何時だって誠実に生きてきた。自分にも人にも嘘をつかずに、正しく清廉に振る舞うように心がけてきた。咎などない。
だったら。願い……僕の願い……そんなものは………………無い訳ではない。そんなに長いとは言えない人生だけれど、一つだけ心残りがある。とても悲しかった出来事。それでも、あれは仕方の無かったことだ。僕に出来ることはなかった。僕が悪い訳ではない。僕のせいではない。もし時間を戻す事ができたなら、やり直したいとは思うけれど。でも、そんなタラレバは無意味だ。
僕はギュッと胸のペンダントを握りしめた。ラピスラズリで出来た瑠璃色よりも、もっともっと深い、藍色のそれを。
「それ大事そうだね」
「ああ、大切な人の……形見なんだ」
「そっか。ついたよ」
形見のペンダント、それを一瞬だけ見ると直ぐに顔をそむけ、アイは別の方向を指さした。薄暗い裏路地の様な所を暫く歩いていたので不安だったけれど、指さした先には目映い光があって、暗い門をくぐり、その光の元へ行く。
「あっ、あっああぁ 街だ……」
思わず嘆息してしまう。目の前には美しい街並みが広がっていた。藍色を基調としているけれど、ここには色々な色がある、赤に水色に黄色に緑に……太陽の光が差し込み、ルビーやアクアマリン、トパーズにエメラルド、サファイヤ。溢れんばかりの宝石の様にキラキラと輝いていた。放射状に様々な住宅や商店や広場がある。
中央の広場には噴水があって七色の水が溢れ出る。奥にそびえ立つ瀑布は、この世の全ての鬱憤を洗い流すようだ。そのまわりには美しい森が広がっている。僕はこの中世ヨーロッパと日本の雑踏と壮大な自然とをごちゃ混ぜにした街並みを、少し高いところから見下ろしていた。
「アイっ? ここは何なんだ? とっても美しいのは確かなんだけど、その……」
「アイの街だけど」
「それは分かるんだけど……ひっ人が」
今までの青一色の世界も十二分に美しかった。ここはそれ以上だった。峻烈に鮮やかに折り重なる色は、豊かでこの世の物とは思えない。今まで通ってきた景色を遙かに上回る美しさで、涙が出るほどだ。それに加えて一番驚くべきは、青いヒト? の様な者が沢山歩いていた。
人は僕とアイしか存在しないと錯覚してしまったけれど、そんなことはなかった。この街には社会が、営みがある様に見える。
「ここはアイの世界。アイの記憶と願いで創られた
「いや、それはその」
先ほどアイの願いの手助けをすると言ったとき、話し相手くらいなら出来るかなと思っていた。それを見透かしたように僕に問う。僕が返答に困っているとアイは
「アオイと一緒にしないで。アイは独りぼっちじゃない」
「ぼっ、僕は!!」
「見てアオイっ」
僕の反論を遮るように、アイは指をさした。
「あれ、咎びとだよっ」
その先には人がいた。ここにいる住人とは違って青くない。私と同じ人間の姿をしていた。多分少女だ。アイよりももっと幼く見える少女……
「日に二人も
その少女は、露店の様な所をウロウロしていた、どこか怪しい挙動だ。僕がいた
「なっ、なんで咎びとだなんて分かるんだ? 僕と一緒で未知の世界に迷い込んで困っているだけだろう?」
「みれば分かるよ。ほらっ、あれ盗むよ」
高台から少女を見ていると、相変わらずキョロキョロと辺りを見渡している。そして、置いてあった果物の様な物をお腹に隠し、全力で走っていった。僕の世界で言う、いわゆる万引きだ。
許しがたい行為。
「アオイ行こうっ!」
アイは僕の手を握ると、走り出した。
「いっ、行くってどこにっ!」
「アイはアオイにお願いしたい事ができたっ」
「なっ、何だ急に!?」
全力で走りながら、アイは焦っているような、それでいてどこか嬉しい様な声で僕に話しかける。
「あの子、アオイの大嫌いな、嘘吐きで卑怯者のすぐに逃げだす奴だよね?」
「そっ、そうだろうな。異世界で盗みを働くような子だ、嘘吐きかは分からないけど……」
「アオイがあの憐れな咎びとを救ってっ! それがアイの願いっ」
思いついた様にアイは「願い」を明かした。アイの願いを軽々しく手伝うなどと言ってしまったことを後悔する間もない。僕は自分の事で精一杯なのに、誰かを救うなどという大それた無理難題を押しつけられた。
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