第2話 もごもご
私は地元の野菜や米を使ったレストランを営んでいる。
父から引き継いだこの店を開く日は、毎朝近所の農家の人に直接野菜を届けてもらっている。彼らにばかり頼ってはいられないし、おいしい料理を振舞うために妥協はしたくないので、私もレストランの脇にある小さな畑で夏野菜やハーブなどを育てている。
「理沙ちゃん、ご要望の中玉トマト持ってきたよー」
早朝と言えどもすでに日照りが強いなか、私がいつも手入れをしている畑で生い茂っている大葉を採りに行くと、ちょうど知り合いの農家が、農作業姿に大きなビニール袋を提げてこちらに向かってきていた。どこまでも通るような響く声に、私は駆け寄りながら返事をした。
「ありがとうございます! 鈴木さんのところのこのトマトすっごく人気なんです。瑞々しくてジューシーで、本当においしい」
「料理人にそう言ってもらえると、あたしも嬉しいよ」
鈴木さんはにっと笑って目元に皺を寄せる。
「そんな、照れます」
私は褒められて心が浮きだつような気持ちを隠しながら、鈴木さんの手から赤々としたトマトが入った袋を受け取る。
そのとき、ふと、彼女の手が目に入った。
七十歳近い鈴木さんの手は日々の畑作業で肉厚になっており、毎日のように太陽の下にいるためこんがりと焼けている。それを何十年も続けているのだから、必然的に手だけでなく顔の肌にもシミや皺が多い。
また爪は短く切ってあるが、細かい土を触るためか、時折そのわずかな隙間にも入って黒くなっていることがある。
(私は鈴木さんの働く手が好きだけど……、もし鈴木さんがAの言葉を聞いたら、何て思うんだろう?)
「理沙ちゃん、どうかした?」
鈴木さんが私の顔を覗いて尋ねた。ぼうっとしていたせいだろう。
「あ、すみません。ちょっと考え事をしてました」
「あんた、熱中症にでもなってるんじゃないだろうね」
本気で心配しはじめる鈴木さんに、私は慌てて弁解した。
「大丈夫です! ちょっと変なことを気にしてただけで」
「変なこと?」
鈴木さんが聞き返す。私は、「余計なことを言ったかも……」と思いつつも、気になっていたことでもあったので尋ねてみることにした。
「あの、鈴木さんは美容って……興味あります?」
すると彼女は思ってもないことを聞かれたらしく、眉を
「なんね、
「いや、あの……テレビに出ていたAと言う人が、『美しくならないのはおかしい』みたいなことを言うんで、あー……私の手って傷だらけだなぁとか、顔は日焼けしちゃって、多分しみだらけかもなとか……思ってたんです」
「気にしてんの?」
尋ねられて私は首をかしげる。
「うーん……どうなんでしょう。きれいでいたいとは思いますけど、精一杯やってこれだから、仕方ないって思っているというか……。そもそも美容にかけるお金と時間がないですし……。でも、やっぱり美しくなろうと努力している人の横に並んだら、
最後は聞こえるか聞こえないかくらいでもごもご言うと、鈴木さんはしゃがんで草むしりを始めた。
「ああ! 私がやります!」
「うん、じゃあ一緒にすっべ」
「それなら、軍手を……」
「いらね。これくらいなら素手で大丈夫だ」
言われて慌ててしゃがみ、乾燥はしているが柔らかい土から雑草を抜く。普段から手入れしているので、地面からちょこっと頭を出している小さいものばかりだ。
しかし私はこれくらいの草でも軍手をつけてやっている。雑草を素手で触ると切れることもあるので、大きさ関係なく軍手をした方がいいと思うが、長年土と向き合って来た人たちからすると面倒に思うのかもしれない。
そして我が家の畑は、本当は全部私が手入れしなければいけないと思いつつも、鈴木さんをはじめ、時々こうやって周囲の農家の人たちに助けてもらっている。
すると、草むしりを初めてすぐ、鈴木さんがぽつりと言った。
「Aさんは美容に対して真剣なんだべなぁ……。まあ、何もしない奴へのやっかみみたいなもんだな」
「やっかみですか?」
「んだよ」
「えーっと……すみません、どういうことですか?」
私はよく分からなくて、説明を求めた。
「うん? その『美しくならないのはおかしい』っていう人はさ、誰もが美しい努力しないことに腹を立てているんじゃないかね」
「え?」
「じゃなかったら、おじさんタレントにまでそんなこと言わないべ」
つまり、Aにとってはおじさんタレントだろうが何だろうが、きれいになる努力をしてなかったから許せないということなのだろう。
だが疑問も残る。
「なるほど……。でも普通、自分が誰よりも美しかったらそれだけで満足しませんか? 誰よりも美しいなら、優越感にも浸れますし……」
「じゃあ、それができないんでないの? Aさんは『自分の美しさ』に自信を持ってないのかも」
「何でですか?」
「それは分かんないさ」
鈴木さんがとぼけた顔をして、すぐにお手上げのポーズをしたので、私はついふふっと笑ってしまう。
「そうですよね、分からないですよね」
「当り前だべさ。人の心だもの。分からねものは、分からね」
ばっさりそう言ったあと、草むしりの手を止めてちょっと考えるように、言葉を選びながらこう言った。
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