第9話 83型重巡洋艦

 西暦1943年2月14日、ウラジオストクにて新たな大型水上艦の建造が開始された。


 それは計画名『83型重巡洋艦』というものであり、戦艦並の能力を有する63型装甲巡洋艦をサイズダウンしつつも、バランス高く使い勝手も良い水上戦闘艦として設計されていた。


 この頃のソ連海軍は、スターリンの権力基盤を盤石にするための大粛清がひと段落したばかりであり、海軍は新型艦の建造で成果を出していたために被害は小さかったものの、数少ない将兵を失っていた。特に63型装甲巡洋艦は相当数の乗員を必要とする艦であったため、より少ない乗員でも動かせる、高性能な艦を欲していた。


 その際、設計や建造には味方を増やしたいアメリカが大きく関与した。例えば少ない乗員でも有効的な応急処置を成す事が出来るダメージコントロール管制室や、機関の遠隔操作システム、そして砲塔の省人化に貢献する自動装填システム…これらの技術のリバースエンジニアリングと量産化はスターリンからお墨付きを得るのに十分な『戦功』となった。


 それらアメリカの優秀な技術も用いて建造が開始された83型重巡洋艦は、新規開発された22.7センチ砲を採用。技術交流盛んなドイツ海軍の重巡に倣い、砲身を60口径と長いものを採用した事で、金剛型の35.6センチ砲に並ぶ貫通力を獲得。アメリカ由来の技術をふんだんに取り入れた事で、1門当たり毎分4発の連射能力を持つ高性能砲として完成したのである。


 また、63型装甲巡洋艦では開発中であったレーダーも各種装備。射撃管制装置や、新開発の10センチ連装高射砲に45ミリ四連装機関砲と連動させる事で高い対空戦闘能力を得たのである。


 当然、新技術をふんだんに取り入れようとした以上、建造には相当な時間を要する事となったわけではあるが、この頃の日本は南方に注視しており、ソ連にかまけている余裕はなかった。イギリスとは戦争状態になっていないとはいえ、ドイツとの交流に護衛艦隊を付けた輸送船団をインド洋に展開し、ドイツ軍が占領したばかりのスエズ運河を通らなければならないため、『解放』の名目で駐留するフィリピンの防衛もあって、表立ってソ連に警戒心を向ける事が出来ないでいたのだ。


 そして時が流れ、アメリカ大陸より『平等な世界』の理想を胸に抱えた移民たちが労働者として極東に移り、そうして労働効率が向上。僅か1年で進水式にまで漕ぎ付けた時、事態は大きく急転する事となる。

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