第6話 フィリピン攻防
西暦1942年6月15日、日本海軍の第三艦隊はフィリピンに展開し、現地軍と激戦を繰り広げていた。
すでにアメリカ海軍の艦隊戦力は壊滅し、陸軍も反米ゲリラとの死闘で苦戦を強いられていた。周辺国の戦力増強や、国際関係の急激な変化によって、狡猾な策によって対抗しなければならない事を痛感させられた日本は、戦前より仕込みを行っており、アメリカの弾薬規格に適合した試作短機関銃や、八九式重擲弾筒などの小火器を極秘裏に輸出。ゲリラたちは上陸してきた日本陸軍と協力し、アメリカ軍を追い詰めていったのである。
そして洋上では、1隻の大型艦がマニラに向けて巨砲を轟かせていた。それは海軍最新鋭の超弩級戦艦たる大和型戦艦に似ており、ハシラジマの虐殺と名高い紀伊水道海戦でのフィリピン方面艦隊の惨劇を聞き及んでいた米軍兵は震え上がった。
しかしその正体は、63型装甲巡洋艦に対抗するために開発された甲型巡洋艦、吾妻型大型巡洋艦は一番艦「吾妻」であった。金剛型戦艦の代艦としても通用する性能を求められた結果、船体の規模は全長222メートル、基準排水量3万トンと金剛型戦艦に匹敵するサイズとなった上に、武装も建造期間短縮のために既存のものを使う事となり、35.6サンチ三連装砲を3基搭載。副砲も開発されたばかりの長10サンチ連装砲8基が搭載され、十分な対空火力を手にしたのである。
申し訳程度の巡洋艦要素として、61サンチ四連装魚雷発射管4基を装備している本艦は、金剛型戦艦以上の火力を発揮しており、港に停泊していた艦船は悉く海底に没し、施設も35.6サンチ砲弾と10サンチ砲弾の驟雨を浴びて火の海と化していた。
それと同時期に、フランス領インドシナでも親日派グループによる独立運動が勃発し、オランダ領インドシナの反政府勢力も呼応。日本は大義名分を以て、東南アジアへの武力介入に突入する事となる。
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