第5話 太平洋戦争、開幕
西暦1942年6月1日。アメリカ合衆国は『自由主義の敵』たる大日本帝国に対して宣戦布告。最新鋭戦艦を配備したフィリピン艦隊や、ハワイより直接出撃した太平洋艦隊本隊との挟撃という形で、横須賀や呉に対して強襲を仕掛けたのである。
だが、日本は非常に賢かった。まず連合艦隊は対米戦にて、真珠湾に対して先制攻撃を仕掛けることでイニシアチブを握る事を目論んでいた。だがソ連海軍が急激に戦力を増強し、インドシナ方面でもイギリスやフランス、オランダが艦隊戦力を増強した現状、旧来の斬減戦術しか対応する手段が残されていなかった。
しかし、それが逆に功を奏したと言えよう。まず小笠原諸島にまで迫った太平洋艦隊は、本土より出撃した陸上攻撃機の連日の空襲に遭い、駆逐艦が優先的に撃破される。その上で水雷戦隊が強襲を仕掛け、多数の巡洋艦が撃沈される。それでも艦隊司令官のキンメル大将は日本本土に到達次第、横須賀を灰燼に帰する事が出来ようと考えていたのである。
だが出迎えてきたのは、6隻の正規空母を主体とした第一航空艦隊とその艦載機であった。太平洋艦隊には防空戦力として2隻の空母がいたが、艦載機は連日の陸上攻撃機の襲撃で弾薬を消耗しており、さらに距離を詰めた事で敵戦闘機との格闘戦も発生。戦力を大きく減らしていた。
結果は明らかであった。戦艦8隻のうち6隻は多数の航空魚雷や爆弾を叩き込まれて海底に没し、残る2隻も金剛型戦艦4隻の機動戦を前に屈した。
次に呉方面であるが、こちらも悲惨な結果となっていた。フィリピン方面艦隊の戦力はノースカロライナ級戦艦2隻、軽空母1隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦18隻という規模であるものの、これを出迎えたのは7隻の戦艦からなる第一艦隊であった。
40.6センチ砲18門に対し、46サンチ砲9門に41サンチ砲16門、35.6サンチ砲48門。単純な火力では日本側の圧倒的優勢であり、駆逐艦も陸海軍航空隊の空襲で多大な損害を受けていた。
斯くして、太平洋艦隊は壊滅。日本は反撃の一手として、反政府運動に端を発した独立運動の巻き起こるフィリピンへと兵を進めたのである。
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