第2話 欧州海軍事情
さて、こうして1937年6月3日にウラジオストクとナホトカにて63型装甲巡洋艦の建造が開始され、ソ連海軍も指導者スターリンの定めた通りの戦力増強計画を開始したのであるが、欧州でもまた、これに影響を受けたとおぼしき軍拡競争が開始されていた。
極東のみならずバルト海や北海、地中海方面にも『巡洋艦に打ち勝つ巡洋艦』の建造計画がある事が判明すると、黒海を挟んで対峙するトルコは大いに困った。何せ弩級戦艦並の火力を持つ高速巡洋艦が現れるのだ。この時のトルコ海軍には第一次世界大戦時にドイツ帝国より譲渡された巡洋戦艦1隻ぐらいしか、まともに対峙できる艦がいなかった。
そこでトルコはドイツに対し、新型戦艦の建造を依頼。同時に自国の造船所の近代化を押し進め、複数の大型艦が保有できる環境の構築に勤しんだのである。ドイツもドイツで、ソ連とは技術交流を進める一方、建造中だったシャルンホルスト級巡洋戦艦2隻をトルコに売却し、替わって改良型の新型戦艦を4隻建造する事を決定。Z計画に大きな修正が加えられる事となったのは言うまでもない。
さらにフランスでは、ダンケルク級戦艦が追加で2隻建造される事が決定。北海方面にてリシュリュー級戦艦を整備する事の出来るドックの建設が始まった事を踏まえれば、北海の対ドイツ海軍にリシュリュー級を、地中海のイタリア海軍に対してはダンケルク級を当ててくるのは至極当然と言えた。
そしてイタリアであるが、こちらは特に大きな変更が無かった。というよりも計画を変更できる程の経済的余力を持たなかった。だが、ソ連に対して様々な艦艇を売りつける一方で、その時の経験を元手に新型艦の開発と設計を開始。今できる範囲内での戦力整備に勤しんだ。
無論、直接的にソ連と接していない国々にも影響は及んだ。まずオランダはドイツは勿論の事、日本もソ連海軍の増強に合わせて戦力を増強するのは確実であるため、アメリカやイギリスの支援に頼れない最悪のパターンを考慮した海軍戦力強化に臨む事となった。
そしてイギリスも、次世代型巡洋艦の開発を目的とし、オランダやギリシャ、そしてトルコといった国々への支援を開始した。ロンドン海軍軍縮会議にて定められた重巡洋艦・軽巡洋艦のカテゴリーは確実に無意味と化すであろうため、そうなった時の保険として、研究を開始したのである。
そうして欧州はまたたく間に建艦競争に突入し、様々な艦船の開発・建造が開始されたのだが、皮肉にもそれは戦争が起こる確率の低下をもたらした。下手に中途半端な整備で戦争を起こした場合、大敗を招いて全てが水泡に帰する可能性があるのである。外交がより慎重になるのも当然であり、事態の変化が招かれるのは1940年を待たなくてはならなかった。
そうして欧州諸国が出来る限り表立った衝突を回避しようとする中、ナホトカとウラジオストクでの63型装甲巡洋艦の建造はやや遅れていた。
アメリカ資本を利用して現地の工業地帯と造船所を近代化したとはいえ、ロシア革命とその後の混乱で幾つかの技術を失っており、建造スケジュールの遅れという形で目に見えていた。
だからこそ海軍の関係者や造船所の面々は、『勤労意欲の増進と現地社会全体での労働者の奮起』を名目に、多少のわがままをスターリンに求めた。
この頃はアメリカより膨大な量の食料品や工業製品がソ連国内に流れ込んでおり、皮肉にも資本主義社会の製品で労働者の衣食住が平等に満たされる事態となっていた。その上で作業効率の向上や意欲増幅のデータを資料として提出し、有用性をアピールしてくるため、スターリンも無碍な扱いをする事は出来なかったのである。
こうして建造開始から2年半後の1939年12月5日、一番艦「ウラジオストク」が進水。二番艦には「ナホトカ」の名前が与えられ、艤装工事が開始された。だがこの頃にはナホトカの新たなドックにて、ソビエツキー・ソユーズ級戦艦の四番艦「ソビエツカヤ・ロシア」の建造が進められており、資材不足によって工事は長期化を余儀なくされたのである。
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