第4話

「皆無事でよかった」


 いつも通りの律に、瑠実はほっと胸をなでおろす。先ほどの律は、井原の死体を睨んでいた時のような冷たさがあった。いつも穏やかに笑っている人が冷たい表情をする様子は、いつまで経っても慣れない。


「結局、あの人はなんだったんですか?」


 白が眉を顰めながら尋ねる。


 律は「えっとね」と言いながら、瑠実と大翔に視線を送った。恐らく、二人の過去を話してもよいか確認したいのだろう。


 瑠実は迷いなく頷く。瑠実の中で、不思議と白への苦手意識も不信感もなくなっていた。瑠実の心にあるのは、白の温かさだけだ。彼なら偏見もなく、自分の罪を受け入れてくれる。そんな気がしたのだ。


 瑠実の反応を見て、大翔も頷いた。実際に人を殺したのは瑠実だ。瑠実が話したくなければ話さない方がいいと、大翔は考えていたのだろう。瑠実はその優しさをありがたく思った。


 そんな二人の反応を見た律は、頷いて言葉を続ける。


「これは二人の過去に関わることだから、一旦事務所に帰ってから話そう。ここでは誰に聞かれているか分からないからね」


 律の言葉に三人は頷く。律の配慮は、瑠実にとって有り難かった。自分が三年前、人を殺したことは限られた人間以外に知られてはいけない。


 三人は結局映画を観ることなく、そのまま御伽探偵事務所へ律と共に帰った。



***


 御伽探偵事務所のロビーには、社員全員がそろっていた。社長の良助が奥にある中央の一人用ソファーに、向かって右手の三人掛けソファーには可愛らしい顔立ちをした青年――桃川由貴ももかわゆき、左手の三人掛けソファーには彫刻のように美しい顔立ちをした青年――氷沢礼都ひょうざわれいとがいる。良助は柔らかい微笑みを浮かべていたが、由貴と礼都は心配そうな瞳で三人を見ていた。


「おかえり」


 良助の言葉に「ただいま戻りました」と律が答える。そして、律と白が由貴の隣に、瑠実と大翔が礼都の隣に座った。


 全員が座ったのを確認して、律が口を開く。


「今日あった出来事についてなんだけど――」


「あの変態が瑠実に近づいて来たんだろ? やっぱり1回殴らないと気がすまねぇ」


 由貴が律の言葉を遮り、可愛らしい顔に似合わない口調で舌打ちをする。礼都も怒っているのか顔をしかめて頷いた。


「二人は、あの人――飯坂のことを知っていたの?」


 瑠実が由貴と礼都に視線を向ける。二人は苦い顔をして頷いた。


「瑠実と大翔がうちに来た時にな。飯坂がまた瑠実を狙う可能性が高いっていうことで、俺達も一応教えてもらっていたんだよ」


「でも、まさかこんな方法で接近してくるとは思わなかったね。白君が事務所に一報してくれて助かった」


 由貴と礼都の視線が白へ向けられる。瑠実もその視線を追って白を見つめた。


 ――白が事務所に連絡を入れてくれたのか。


 何も知らないはずなのに、白は自分達の危機を感じ取って味方になってくれた。そのことが、瑠実は無性に嬉しかった。


「そうですね。白君が教えてくれなかったら、今頃飯坂は逮捕されていないでしょう」


「逮捕?」


 律の言葉に瑠実、大翔、白が首を傾げた。そういえば、律が家宅捜索とかなんとか言っていた気がする。不思議そうな三人に、律が説明する。


「飯坂は裏で児童ポルノの売買をしていたんだ。その中でも、自分が気に入った子は自宅に招いて自ら手を出す奴でね。だから、井原から大翔と瑠実を助ける際、警察を。それでも瑠実のことを気に入っていた飯坂は、何としても二人を自分の元へ連れ出したかったんだよ」


 律の言葉に続けて良助が口を開く。


「そこで裏社会でも顔の広いうちの事務所に相談が来たっていうわけ。うちは裏社会の情報屋ともつながりがあるから、飯坂のやってることは知っていた。飯坂がやけに瑠実に執着していることも。だから二人の居場所を飯坂に教えなかったんだ。うちで保護したのも、飯坂から守るため。自分達の助けた子どもがひどい目に遭うのは、さすがに見ていられないからな」


 そう首を横へ振る良助に、瑠実と大翔は顔を合わせた。大翔もこの事実を知らなかったようで、少し強張った表情をしている。その瞳に映る瑠実も、恐怖で顔が引きつっていた。


「そんなやばい奴から瑠実ちゃんは目をつけられていたのか。二人の様子を見て念のため事務所に連絡しておいてよかった」


 白はそう言うとほっとしたようにため息を吐く。瑠実はその様子に罪悪感を覚える。白は瑠実の犯した罪を知らない。瑠実が殺人者だと知った時、同じように心配してくれるのだろうか。それとも、天罰が下ればよかったと、助けたことを後悔するのだろうか。


 顔を俯かせた瑠実。律は立ち上がり瑠実の前へ屈みこむと、彼女の頭を優しくなでた。


「怖い思いをしたばかりだけど、白君に過去のことを話すなら、今しかないと思うよ」


 大翔が隣で瑠実の手を握る。その温もりに、瑠実はひどく安心した。


「瑠実が話したくないのなら、僕は話さない。でも、僕は先輩に僕達の過去を知っておいてほしいと思っているよ。だって、先輩は同じ御伽探偵事務所の一員だから」


 優しい大翔の声に、瑠実は覚悟を決める。瑠実は白の過去を知っている。その一方で白が瑠実達の過去を知らないのはアンフェアなような気がした。


 瑠実は何も言わず、頷いた。それを見た大翔が、微笑み、目の前に座る白へと視線を向ける。


「白先輩。僕達の罪、聞いてくれますか?」


 白は真剣な表情を浮かべる。


「話したくないんなら、話さなくてもいいよ。誰にだって知られたくないことのひとつやふたつ、ある」


 瑠実と大翔が同時に首を横に振った。二人の覚悟はもう、決まっていた。


「先輩に聞いてほしいんです。やっぱり、お互いのことを知らないと、信じ切ることができないだろうから」


 大翔はそう言うと、自分達の過去について話始める。


 ――生まれた家が貧しく、育てられないからと幼い頃は親戚をたらい回しにされたこと。

 ――瑠実が6歳、大翔が10歳の時に借金を抱えた両親が心中したこと。

 ――両親の死後、母の弟であった井原健造に預けられたこと。

 ――母親の顔によく似た瑠実を憎んでいた井原が瑠実を虐待し始めたこと。

 ――それを毎回大翔が庇うため、今度は大翔が主に虐待を受け始めたこと。

 ――その生活に耐えきれず、瑠実が13歳の時、井原を殺害してしまったこと。

 ――近隣住民であった飯坂から相談があり、御伽探偵事務所が井原の元から大翔と瑠実を助け出してくれたこと。


 すべてを話し終わったあと、しばらくの間沈黙が流れた。誰も、何も、声を発さない。


 瑠実は両手を組み、祈るように白の反応を待った。義理堅く優しい白のことだ。瑠実が育ての親を殺したことに、軽蔑するかもしれない。瑠実の中で、嫌われたらどうしようという不安がよぎる。彼のことを仲間だと認めているからこその不安だった。


 それから数分が経って、白が口を開いた。瑠実の顔に緊張が走る。


「思い出したくもないことだっただろうに、話してくれてありがとう」


 言葉を選ぶように、いつもよりゆっくりと話す白。彼はどこか苦しそうな顔をしていた。


「俺も育ての親――というかその家族に虐げられていたけど、一緒に生活していてさすがに命の危機を感じたことはなかった。どっちかっていうと、精神的な虐待だったからかな。でも、二人は身体的にも、精神的にも、暴力を受けていたんだろ? よく逃げ出さずに闘ったな」


 白はゆっくり深呼吸をすると、言葉を続ける。その先に続く言葉が怖くて、瑠実は顔を俯かせた。


「世界が二人を許さなくても、二人を裁いたとしても、俺は二人の罪を許すよ。世界を敵に回しても、俺は二人の味方だから」


 瑠実は白の言葉に顔を上げ、息を呑む。自分の罪は決して許されないものだと思っていた。それを、許してくれる人がいるなんて――。


 白の言葉を受けて、律が微笑んで続けた。


「白君だけじゃない。御伽探偵事務所が味方だ。これほど心強いことはないでしょ」


「確かに。御伽探偵事務所は表世界にも、裏世界にも精通しているからな。世界最強の味方だ」


 笑いながら言う由貴。気が付けば、瑠実の頬に涙が伝っていた。大翔が、優しい手つきで瑠実の涙をぬぐう。


「皆もこう言ってくれているしさ、一人で罪を背負わないで。地獄に落ちるときは僕も一緒だ。決して瑠実を一人にはさせないよ」


 あまりにも優しすぎる言葉に、瑠実は涙腺を崩壊させた。泣きじゃくる瑠実を、大翔が優しく抱きしめる。落ち着かせるように背中をリズムよく叩く手が、心地よかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る