六十五通目 気の緩み
冗談を言っているのだろうと思いたかったが、ムスタの表情は真剣かつ心配そうなものだった。しばらく見つめてみても、その表情は崩れない。
背に、嫌な汗が伝うのを感じた。
不安が一番大きいが、恐ろしさも感じた。渡したはずのものが戻ってくるなんて、呪いの人形のようなものだろう。取り憑かれてしまったと思えば、気持ち悪さもわいてくる。
選ばれることに喜びを感じる人もいるのだろうけれど、実際に選ばれてみれば困惑するばかりであるし、降ってわいた責任というものを感じてしまって胃の底が重くなるだけだ。
「どうにかなりませんか」
色々な感情が絡み合った結果、漠然とした言葉が口から出た。
「どうって」
言いかけたムスタは、胸中に渦巻く複雑な感情を察したらしく、目元を和ませるとぼくの肩を二、三度軽く叩いた。
「直接対処できるのはソウだけだと思う。けど、手伝うことはできるから、そんなに思い詰めなくても大丈夫」
優しい言葉だとは思うけれど、虚しく聞こえた。
六層の探索を引き上げるということは、ぼくたちの縁もここで終わりということだ。しばらくは聞き取りなどで関係は続くだろうが、それは一時的なものだ。簡単に連絡を取り合える立場ではない。
チャムキリのほうからみれば、なんの隔たりもないのかもしれないが、こちらからすればおいそれと声をかけられるようなものではないのだ。ぼくとムスタに思うところはなくても、お互いの環境が許さないこともある。
「とりあえず、何が書かれているのかを知らないことには始まらないから、時間がある時に読んでみて、内容を教えてくれないか?」
「そう、ですね」
ムスタの言うことはもっともだ。ぼくは無理に微笑むと、礼を言ってテントを出た。ここで読んでいったらいいと言われたが、今はのんびりしている時ではない。
渡してしまいたかった本を持ったまま、ぼくはナビンの元に戻った。
午後になると戻ってきた冒険者たちにかかりきりになった。
用意した食事を提供し、湯を沸かし続け、腑分けした不要な部分を集めて廃棄穴に捨てた。
滞在期間が間も無く終わるということもあり、各リュマとも在庫の薬瓶を使い切る覚悟で、見知らぬ魔物も解体し始めたため、ナビンとぼくのリスクも高くなり、気が抜けない状態が続いた。
研究が進んでいる魔物は、習性や毒や呪いについても知られているので、避けるべき器官などの情報が開示されているが、未知の魔物については全くの手探りだ。解明されている魔物と比較しながら、似たような危険部位は避けているようだが、必ずしも同じとは限らない上に、深度が深くなるほうが魔物の構造も複雑になり、危険度も上がる。
早速、体液に毒がある魔物で手を焼いてしまう冒険者が出た。仲間に解毒薬をかけてもらい大事には至らなかったようだが、体液が流れ出してしまっている。放っておけば被害が拡大するので、食い止めなければならない。
冒険者が仲間の傷を癒している間に、被害を食い止めるのはぼくらの仕事だった。掘り返して柔らかくしておいた土を掬い、勢力を拡大しようとする液体にかぶせた。こうすることで、土が水分を吸収して拡散を防ぐことができるのだ。
土の量は十分だったようで、液体が染み出す様子がないことを確認すると、ぼくは被害にあった赤髪の冒険者に声をかけた。
「お怪我の具合はどうですか?」
赤髪の冒険者はぼくをチラと見ると、胸の前で両手を振った。
ぼくはそれを観察し、仲間が持っている瓶にうっすらと残る色を確認して礼を言うと、腰に挟んでいた紙に書きつけた。
こういった記録を作り、サンガに報告するのもぼくらの仕事のひとつではあるが、冒険者の機嫌を損ねる行動になりがちなので、やらないほうがいいと言われていたりもする。
冒険者は自分達で得た知識を開示するのを好まない傾向にある。リュマに属する者だけに伝えることで、探索を有利にしようと考えるからだ。
一方でサンガは、情報を共有することで探索をしやすくしたいという考えがある。ひとつのリュマだけが知っていたところで、魔窟の攻略が進むことはないからだ。
そこでサンガがとった方法が、ぼくら歩荷にその手の情報を集めさせるという者だった。報告すれば対価が得られる。ぼくらにとっては貴重な小遣い稼ぎの手段なのだが、だからこそ冒険者に嫌がられるというところもあった。自分達が体験で得た情報で利益を生むのが気に入らないというあたりだろう。
その気持ちはわからないではないが、冒険者が思っているほど割のいい報酬ではない。一日分の薪か魔核が貰える程度のものだ。
ぼくが情報を集めているのは、報酬のためではない。生死に関わる情報は開示した方が魔窟に関わる全ての人にとって有益だと思っているからだ。
特に、武器を持たないぼくたちにとっては、ちょっとのことが命取りになる。先ほど使われた解毒剤を用意できる歩荷は少ない。貧しいからというのもあるが、需要に対しての供給が十分ではないので、ぼくらの手に入るだけの余裕がないのだ。
そして、そんな貴重なものをぼくらに惜しみなく使ってくれるリュマは少ない。ぼくらの命は解毒剤と天秤にかけられるようなものだからだ。もちろん、ぼくらは無尽蔵にいるわけではないので、そんな使い方をしていればいなくなってしまうものなのだけれど、それをわかっていないチャムキリは案外多いように思う。大半のチャムキリにとってぼくらは家畜以下魔物同等みたいな感覚があるのではないかと疑いたくなる。
文字を扱える歩荷は多くはないので、読み書きができるぼくは積極的に集めることにしていた。
もっとも、情報が公開されて嬉しいのはぼくたちばかりではない。後続の冒険者は皆、開示された情報に目を通している。助けられたのだから、助ければいいのにと思わなくもないが、彼らには彼らの考えがあるのだろう。
赤髪の冒険者のいるリュマが去ると、魔物の体液が広がる場所に土をかけて吸い取り、吸い取った土を集めて廃棄穴に捨てる。その階層で生じた魔物のものはその階層の土で処理するといいというのも、先人が残してくれた知識だ。
湯を沸かし直しに入ると、すぐに別のリュマが来た。こちらは見知った魔物だけを処理するつもりらしい。ナクタたちと違いアーレトンスーを使わず、特殊な加工をされた金属の箱に持ち帰る部位を収納していく。
ナビンと顔見知りのリュマのようであるから、経験値は高いのだろうと推測できるが、それでもアーレトンスーを使わないところを見ると、あれはかなり高価か、希少なものなのだろう。であるから、ぼくらの仕事は成り立っている。アーレトンスーが安価なものになれば、別の仕事を探さなくてはならない。
解体したことがある魔物ばかりだからか、ナビンも手伝いに入っていた。ぼくは全体を眺められ、湯をすぐに渡せる位置に移動した。
「随分キレイだな。他のリュマはそんなに獲ってこなかったのか?」
ぼくとナビンの服を見た冒険者が不思議そうに尋ねてきた。
「知らない魔物だった」
ナビンが答え、ぼくは頷く。
「ッカー! こういう時に欲をかいちゃうの、危なっかしーなぁ!」
ナビンに話しかけた年嵩の男が戯けたように言うと、他の面々がどっと笑った。口は悪いが雰囲気はいい。きっといいリュマなんだろう。
「おっさんが慎重すぎなんじゃねぇの?」
「おっさんって言うな、おっさんって。こういう時こそ慎重に、と肝に銘じたほうが長生きできるんだよ。終わりかけが一番気が抜けるんだから、慣れてることやっといたほうがいいの」
ねえ? とぼくに向かって言うものだから、苦笑気味に頷いた。
「解毒剤の臭いがしてるじゃん。誰か怪我したんじゃないの?」
「はい。大怪我にはならなかったので、大丈夫だと思います」
応じると、リュマの面々がちょっと驚いた顔でぼくを見た。チャムキリの言葉が流暢だと褒められたが、まだまだだということはぼく自身が一番よく知っている。が、謙遜しても意味はないのではにかんで礼を言った。
「君らには怪我はないの?」
大丈夫だと伝え、ナビンと頷き合うと、年嵩の男は大きくため息をついた。
「やれやれ。君らに何もないのは良かったよ。魔窟での事故は、ちょっとのことで命取りだ。自分たちだけどうにかなるならいいが、他人を巻き込んだら最悪だ。情報は取れたのか?」
先ほど書いたものを見せると、男は「解毒薬か」と表情を少し曇らせた。
「私たちの薬をいくつか置いていこう」
「それがいい。何もないよりは安心だろう。なぁに、気にするな。うちには錬金術を齧ったヤツがいるからな」
ぼくらが慌てるのを押し留めるように男がいい、先ほど軽口を叩いていた若い男が「俺でーす!」と手をひらひらと振った。
「足りなくなったら言ってくれれば、ささっとご用意いたしますよ」
そういうと、六本の解毒薬の瓶をぼくの前に置いた。
「ありがたいですが」
ナビンが眉を下げて口を開くと、年嵩の男は首を振って続く言葉を遮った。
「君たちに何かがあったら、俺たちだって困る。冒険者の迷惑料だ」
それに、と思案気な視線を他のテントの方に向けて呟く。
「今のところは大丈夫かもしれないが、この後どんな症状が出るかはわからんからな。薬が効いてくれるのを祈るしかない」
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