六十六通目 魔窟慣れ

 一日が終わりに差し掛かった夕食後、ちょっとした騒動が起きた。赤髪の冒険者のいるリュマが探索に出るようとし、ナビンの馴染みのリュマが止めに入ったようだ。

 基本的には他のリュマには不干渉であるものだが、今回は大規模潜行に選抜された立場というものもあり、ある程度は足並みを揃える必要があった。

 今は帰還に向けて調整している段階ということもあり、夜間の潜行には慎重になったほうが良いのではないかという声掛けが、不干渉を好むリュマの気に障ったらしい。

「もうさぁ、うちの面々がいない時に揉めるとかやめて欲しいわけよぉ」

 萎れた菜葉のような顔をしたムスタが、温かい茶を貰いにきた。リュマ代表として揉め事に立ち会うことになったという。

「俺に関わりのないところでなら好きにやってくれていいけどさぁ。なんで今やるかなぁ」

「ナクタたちは戻っていないのですか」

「戻ってない。今夜は帰らないんじゃない? あちらさんだって『はい、そうですか』ってわけにいかないんだろうし。潜行隊長としての面子があるんでしょうよ。きっと」

 投げやり気味なのは揉め事に巻き込まれたせいなのだろう。対処は上手そうだが、得意とはまた別なのだろう。

「それで、どうなったんです? 探索は取りやめになったんですか?」

 中止になったのならこのまま就寝という流れでも問題ないが、決行したとなるとそうはいかない。帰還目前となって探索を強行するのは持ち帰る荷物を増やすためだろう。となれば、解体することになるのだろうから、ぼくたちはそれに備えなければならない。

「行った」

「そうですか」

 振り返ると、ナビンは下唇を突き出して肩を竦めた。出かけたことは聞き取れたのだろう。

 ムスタに断りを入れて、湯の準備に入った。洗って乾かしていた鍋を魔導具に乗せ、水を張って、魔核を確認する。以前、デラフに貰った魔核はたくさん残っているので残りを心配しなくて良い分気が楽だ。

 いつ戻ってくるかは読めないので、交代で起きていることにして、先にナビンが仮眠に入った。

 ぼくはまだ残っていたムスタの前に座り、濃いツォモ茶を作ることにした。ツォモ茶の効能に覚醒効果があるわけではないが、苦味で眠気を誤魔化すことはできる。

「俺にも貰える?」

「良いですけど、起きているのですか?」

「一応ね。何かあった時、分かりませんでしたってわけにもいかないでしょ。ピュリスにどやされる」

 留守番としての役目があるということなのだろう。ぼくとしても、話し相手がいてくれたほうがありがたい。

「ちょっと心配ですね」

「出て行ったリュマのこと? だったら心配する必要はないよ。止められたってのに勝手に出て行ったんだから、自業自得でしょ」

 くさくさした気持ちが晴れないままらしいムスタに苦笑しつつ、気になったことを質問した。

「ムスタが止めたのですか?」

「違う違う。他のリュマの、男っぷりのいい人なんだけど、知ってるかなぁ。ちょっと年齢がいってる感じの」

 ナビンと親しくしているリュマの、年嵩がいった男だろう。あの時もらった解毒剤は幸いにも減っていない。

「おっさんって言われてる人ですか」

「そうそ。その人が、結構強く止めてたんだよ。昼間なんかあったんだって?」

 解体の時の話だろうとあたりをつけ、あったことを伝えると、ムスタは眉間に皺を寄せた。

「危なっかし過ぎて不安しかない」

 年嵩の男と同じ感想を持ったようだ。思案気な顔をした後、ぼくたちは大丈夫だったのかと尋ねてきた。

「ぼくもナビンも触っていないので大丈夫です。体液は土をかけて対処しましたし」

「土はどうした? 触ったりしたか? 吸い込んだりはしてない?」

「集めて処理穴に入れました。板を使ったので、触ってないです。呼吸についてはもっと慎重にします」

 気を付けていたつもりだが、空中に飛散した分については失念していた。口と鼻を布で覆っておくべきだったかもしれないが、今のところぼくにもナビンにもおかしなところはない。

「異常が出たらすぐに教えて欲しい。俺たちに対処できるものもあるかもしれないし」

「おっさんと呼ばれていた方も、心配そうでした。念のためにと解毒剤をくれました」

 経験が多そうなふたりが同じ不安を抱いているということが、ぼくの心に不安の種となって落ちた。よくないことを考えてしまうとキリがないが、用心するに越したことはない。

「解毒剤でなんとかなるものならいいんだけど」

 やはり同じような感覚があるらしい。

「なるほどな。あの人が、強く引き留めた理由がよくわかった。欲に目が眩んだだけならまだしも、すでに毒を浴びてるとなると心配の度合いが違う」

「遅れて症状が出ることもあるから、ですか?」

「その通り。魔物の毒は複雑だから、目に見える症状と、別の症状が同時に発生している可能性があるわけ。ソウが見た『毒で手を焼く』というのが、わかりやすい症状だとする。それへの対処で解毒薬を使って表面上は元通りになった。そうすると、症状に対処できたと思ってしまう。けど、それは皮膚を焼いて内部に入り込みやすくするための派手な演出かもしれない。見た目が元通りになったことにより、内部に封じ込めてしまったかもしれない。痛みもなければ、侵略されていることに気づかないこともある」

 身振り手振りを交えた説明に頷きながら、怖い想像を走らせてしまい、ぼくは身震いした。昔聞いた怖い話に、海での怪我で傷口にフジツボがみっしり寄生したといったものを聞いたことがあるが、あの悍ましさによく似ている。

「でも、目に見えた症状だけ、ということもあるのでしょう?」

「あるある。そのままで終わってくれればいい、んだけど」

 となってしまうと、そうはいかないという展開になってくる。

「この六層は、変だからな」

 ぼくの表情を読み、答えをくれた。

 ムスタやウィスクは度々、深度に対して環境がおかしいと呟いていた。そういうこともあるだろうと流すには、引っかかるところが多いようだ。

 黒々とした色になったツォモ茶をムスタに渡すと、一口飲んで顔を顰めた。

「もし、ムスタが心配していることが起こったら、毒を浴びた人はどうなりますか?」

「こればっかりは、発症してみないことにはわからんなぁ」

 発症するかどうかもわからないのだから、心配するだけ無駄という考えもあるだろうが、ぼくにとっては他人事とも思っていられないところもある。先ほどムスタに指摘されたことが今になって気になったからだ。自分自身のことも気になるが、赤髪の冒険者の近くにいた他の人たちには影響がないのだろうか。

「未知の毒に触った場合は、安全な場所で一晩過ごす、っていうのが冒険者の定石なんだが、魔窟慣れした頃ってやらかすんだよなぁ」

「ここは六層で、今のところここまで来られるリュマは少なく、そのうちのひとつですよ。魔窟慣れしてきた、というには進んでませんか」

 魔窟慣れというのは、大体三層から四層目に進んだあたりで発生する現象で、文字通り、魔窟に慣れてきたからこそ発生する事故を指していうものだ。

 緊張し過ぎて事故が発生する一層。少し勇んで事故に遭う二層。それらを乗り越えて魔窟がわかってきたような気持ちになってしまった結果、油断が生じて事故に遭遇する。ぼくらの間にも、三層から四層を行くリュマからの依頼には気をつけろ、という言葉があるぐらい、発生する。

 しかし、ここは最先端の六層だ。六層に到達しているリュマともなれば、手練れのうちに入る。魔窟慣れなんていう、初心者に毛が生えた頃合いにやってしまう失敗は当の昔に済ませているものではないだろうか。

「潜行深度なんていうのは、運によるところも大きいわけよ。ここはまだ六層だ。運が良いリュマなら大きな危険もなく進んで来られるぐらいの深度ともいえる」

 ラクシャスコ・ガルブでは六層というのはかなりの深度だが、ムスタたちにしてみればまだまだ浅層という意識なのだ。ぼくの感覚とは違いがあるということを飲み込まなければならないのだろう。

「運良くここまで進んでしまった。大きな事故もなく、順調そのもの。他の同期のリュマは自分たちより浅いところで行き詰まっている。となってくれば、自分たちは選ばれたリュマなんだ! ぐらいのことは思うんだろうなぁ」

「だから、油断が生まれた?」

「油断し過ぎでしょ。帰還が決まったから多少無茶しても大丈夫だと踏んだんだろうね。だから、未知の魔物も大胆に解体した」

 確かに、慎重になっていればしないことばかりだ。

「運っていうのは、どうにかできるものじゃないから運っていうんだと思うわけ。再現性がないものに縋りすぎると危険だよね。魔窟なら尚更」

 少し冷淡に感じるムスタの口調に、ぼくは手の中の湯呑みを握りしめた。

「痛い目をみないとわからない、っていうのも残酷な話だけど、どうなるかねぇ」

 赤髪の冒険者たちの姿を思い返す。こうしてみると、確かに彼らは他のリュマよりも年齢が若く思えた。

 運が良いと思ってここまで来たのだとして、それは本当に運が良かったのだろうか。

「早くナクタたちが戻ってくるといいんだが」

 ムスタが落とした呟きは、祈りのようにも思えた。

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