六十一通目 紛失
「ボクらが上に出る時、ソウにも来てもらいたいんだ」
ツォモ茶を一口飲んだウィスクは、チラとナビンの方に視線を向けた。
「ぼくもですか?」
「あの時どんな感じだったのか、聞き取りしたいって」
誰が、と言いかけたが、誰とは言わず知りたい人ばかりだろうと気づいた。今のところ、あの場所で消えたのがはっきりしているのは、ぼくとムスタだけなのだ。
「ぼくが決められることではないです」
ナクタたちのリュマに雇われているのなら二つ返事であるが、今回は潜行隊の一員として参加している。ぼくが抜ければ、その穴を誰かが埋めなくてはならないが、六層に配置できる人員はそう簡単に補充できるものではない。
「誰に許可を取ればいい?」
「ナビンに聞いてみます」
雇い主はセルセオであろうし、ぼくらを束ねているのはタバナ・ダウということになるだろうが、あくまで肩書きであって、実際に管理しているのは別の誰かのはずだ。ぼくに関してならば、ナビンが責任者ということになるだろう。
「ソウに異論はないの?」
「ぼくからは別に。仕事なので」
雇用期間内であるから、上から命じられたように働くだけだ。
ぼくの答えに、ウィスクは何故か困ったような表情を見せた。断ったほうが良かったのだろうかと首を傾げると、ウィスクは首を横に振った。
「いや、生真面目だと思ってさ。あんな目にあったんだから、ボクのこと罵ってもいいのに、何も言わないんだもん」
先ほどからウィスクらしくないとは感じていたが、詰られることを想定して身構えていたせいなのかとようやく理解した。恨み言のひとつやふたつ、ぶつけられて当然だと思って来てみれば、ナビンは逆に恐縮しているし、ぼくは淡々としているので気持ちのやり場に困ってしまったのだろう。
罪悪感を覚えている時に責められないのは居心地が悪い、というのはわからないでもない。互いに気持ちをぶつけ合ったほうが、後々遺恨を残さないだろうという理屈も理解できる。
けれど、ウィスクは主役で、ぼくやナビンは脇役どころか道具のような存在だ。ぼくらが何も言わないのは、道具が何も言わないのと同じようなものだ。ウィスクは同じ人間だと思っているのかもしれないが、ぼくらのほうはそうは思っていないのだ。
この辺りの感覚は、違いを感じていないほうは理解しにくいところがあるだろう。力のある方は、勾配があることを意識したくはないものだし、ぼくらのほうから進言するのも何か違う。言葉にすれば物のように扱ってください、ということになるが、それだけの勾配があると分かっていても、そんなことを積極的に口にしたいヤツは稀だ。
「無事に帰って来たというだけで上出来なんです」
卑屈なようにも思えるが、ぼくらにとっては嘘偽りない言葉でもある。ぼくらの命は雇い主の善性によってのみ保障されているものだ。無理難題を突きつけられて、断るに断れずに戻れない人もいるはずだ。
「やっぱり、ボクらって悪辣だなあ」
そうではないとは言えないのが困ったところだ。
「皆さんはどうしてますか?」
露骨に話題を変えると、ウィスクは苦笑した。
「ナクタとピュリスは話し合いに入ってるよ。ボクらだけが戻るか、全部のリュマが引き上げるかって感じみたいだね」
「全部のリュマが?」
それは予想していなかったので素直に驚いた。
「どこも行き詰まってるんだろうねぇ。治療薬も尽きて来てるんだろうし、戦利品を換金したい時期でもあるし。一旦戻って立て直ししたいって時に、一番進んでいるらしいリュマが戻るといってきたら、切り上げ時かなって流れになりやすいんだよ」
切り上げるつもりでいたところに、良い口実ができたというところだろうか。冒険者は見栄を張りたがるので、自分たちが最初に戻るのは負けたように感じるので嫌なのかもしれない。誰もが認める有能リュマが戻るというならば、それに乗るのが一番楽だ。
「六層に到達しているリュマでもそうなんですね」
引くべき時に引けるのが有能なリュマの証である。浅層のうちに嫌というほどそのことを学ぶと聞いているので、ここまで到達しているリュマならば、引き際は分かっていそうなものだ。
「切羽詰まっているわけじゃないからじゃない? 迷ってるぐらいなら余裕があるわけだし」
「確かに」
頷きながら話を整理して、ぼくは尋ねた。
「全部のリュマが戻るとなると、このタシサはどうなりますか?」
「奥のタシサにいるリュマがどう思っているのかはわからないから、今のところはなんともだなぁ。でも、奥に詰めてるのは、セルセオの補助リュマだったよね?」
ウィスクがナビンに視線を向けたので、ぼくは「奥のタシサはセルセオの補助リュマだけなのか」と尋ねた。
「そうだな。正しくは、運搬用のリュマと潜行補助のリュマだが」
「セルセオのリュマが引き上げるとしたら、そのリュマも引き上げるのかな?」
「そうなるだろうな。ここにいる意味がない」
やりとりをウィスクに伝えると「セルセオが引き上げる?」と怪訝な顔をしたので、先にナビンから聞いた話を伝えると「なるほどねぇ」と遠くを見て、何かに納得したように頷いた。
「金をかけてる割に、焦ってるなぁ」
「セルセオがですか?」
「そう。焦りが見える時って大体うまくいかないんだよねぇ。万全なら余裕が出るはずだから、当然と言えば当然なんだけど」
焦っているから不穏になるというのも頷ける。浅層のリュマによくある話しだ。先に進みたい一心で突き進むと、慣れた場所ですら最期の血になりかねない。
「何故焦っているのでしょう?」
「悪い、茶を十人分用意してくれないか?」
ぼくが素朴な疑問を口にしたところに現れたのは、ムスタだった。
「話し合いが長丁場になりそうだ」
「わかりました」
振り返ると、ナビンは目線で頷いた。
「ふたりで行っても仕方ない」
立ち上がったぼくを言葉で制して、ナビンは鍋を両手で掴んで歩き去ってしまった。後を追おうかとも思ったが、ムスタはウィスクの隣に腰を下ろし、居座る様相を見せている。
「俺にもお茶をもらえるか?」
「あ、はい。少し、かかりますけど」
煮出したツォモ茶はナビンが持っていってしまったので、ぼくの携帯コンロで煮出さなくてはならない。
「ナビンからもらって来たらいいんじゃない?」
「内緒話があるんだよ」
ウィスクの淡々とした言葉に答えたムスタが、ぼくの顔を見た。
「そういうわけ」
ぼくは自分の寝床に行き、携帯コンロを持って戻った。
「彼は察しがいいな」
察しがよくなければ、信頼される歩荷にはなれない。言葉が完全に分かっていなくても、雰囲気で場を読むぐらいは朝飯前だ。
「預かった本だが――」
「本?」
ムスタが話を切り出したが、早々にウィスクに止められた。
「話を止めるなよ」
「急に本とか言い出すからでしょ。何、本って。ソウは知ってるの?」
知ってるも何も、ぼくが発見したことになるのだろう。曖昧に頷くと、不審げな視線を向けてくる。
「いつの間にそんなに親密になったのさ」
「飛ばされた時だよ。時間ならたっぷりあったからな」
「その時に、本を見つけまして」
「ドジェサに?」
またしても、ぼくは曖昧に頷いた。どうして本を持っていたのか、ということについては、ぼく自身よくわからないので説明しようがない。
「それで、どんな本だったのさ」
「それがだな」
そこで言葉を切り、ムスタは意味ありげにぼくを見た。発見者のぼくを差し置いて言っていいものかと考えているのかと思ったが、そういうわけでもなさそうな顔だ。
「――無くなった」
「えっ」
「すまん! あの時確かにしまったはずなのに、どれを見ても入ってないんだ」
あの時、ぼくはあの本を持っているのが恐ろしくなってムスタに渡し、彼は確かにアーレトンスーにしまったはずだ。
「魔物、だったのですか?」
あの時、ムスタはその可能性についても指摘していた。
「魔物だとしても、消えるかな?」
やりとりを聞いていたウィスクが片眉を上げて、ぼくとムスタに視線を投げる。ムスタは難しい顔で、虚空を睨んでいた。
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