五十九通目 非日常の終わり
全員が魔導具を見て首を傾げた。もちろんぼく自身もだ。歩いてきた距離を考えると、移動距離が長過ぎるように思えるからだ。ぼくの感覚では、閉鎖された魔物の巣の迷路の近くに出ると予想したからだ。
タシサまですぐだとピュリスは言ったが、正確にはふたつのタシサを繋ぐ通路の隣にある、大広間のような空間の端に出たのだった。また、タシサがある高さより上に出ているので、これからナクタふたり分はあるだろう高さの壁を降りなくてはならない。下方は探索が進んでいるため、等間隔に灯った明かりが闇に映えて美しい。
「ますますおかしなところだねぇ」
ウィスクが呆れたように言った。やはり普通に進んだのではない距離を移動した感覚があるのだろう。
「こういうのは無いのですか?」
「あるけど、もっと深いとこに行かないとね」
彼らがずっと感じている違和感が補強されたと言ったところだろう。他を知らないぼくにしても、五層までとは随分違う印象だ。このわからなさを上手く飲み込まないことには、タバナ・ダウのような剛力にはなれないのかもしれない。
「セルセオが探索を諦めたのもわかるというものだな」
ピュリスの言葉に全員が頷く。
これだけ不思議な構造になっている階層を丹念に探索してから次へというのは時間がかかり過ぎる。彼らのような潜行者にとっては、早く次の階層を見つけて到達することが命題なのだ。セルセオに金を出している後援者もまた、それを望んでいる。
「段差があったからこの通路に気づかなかったのか」
ナクタが坂に続く穴を見やった。確かにそれもあるだろうが、仮に見つけていたとしても、そこを通路と考えなかったのではないだろうか。
「見つけていたとしても、入らなかったんじゃない? 行動の制限が多過ぎるし」
ウィスクの指摘に、ぼくは頷いた。下でも大変だったが、登りとなると足元の不安定さは心身ともに疲労を呼ぶだろう。そこに魔物でも現れようものなら、抵抗するのも難しい。両手が塞がるような場所での戦闘など、考えたくもない。
「この階層、思ってるより高低差あるよねぇ」
「確かにな。それに、距離感がおかしくなる何かがある」
ムスタが顎に手を当てた。ムスタもドジェサに飛ばされる経験をしただけに、他の面々よりもその点に敏感に反応しているようだ。
「最初に飛ばされた時も今回も、魔法が発動しているような気配はなかった。のに、あれだけ飛ばされて、これだけ移動させられた」
グリグリと顎を揉んだムスタが独り言を口にし始めると、ピュリスは大きくため息をついて「先に行こう」と促した。
「ここで考えていても仕方あるまい。タシサにかなり近づいたとはいえ、安全が確保されたわけではないからな。ゆっくりするのはまだ早い」
「それもそうだ」
デラフが頷き、自分の世界に入りかけているムスタを小突いた。
「考えるのは後、後」
「はいはいはいはい。わかりました、わかりましたってば」
斧の柄でグリグリと脇腹を捻じられたムスタが悲鳴を上げる。思考を中断するにはそれぐらいやらないとならないのだろう。
「さて、この高さ。どうやって降りたものか」
ピッケエレインで下方を探らせながら、ピュリスが呟いた。思案気な様子にぼくはちょっと首を傾げた。確かに少々高くはあるが、飛び降りられない高さではない。下に魔物がいた場合のことを想定しているから慎重なのだろうか。
「んー。ボクが先行して、デラフ降ろしてソウとムスタに来てもらってって感じ?」
「ナクタと離れるが、大丈夫か?」
「四人降ろすぐらい平気平気。それじゃ、よろしく」
身軽に宙に飛び出したウィスクを囲むように、ピュリスが炎の壁を作る。不意に魔物が出てきても近づかせないための連携なのだろう。
「大丈夫か?」
「問題ない。デラフ、前出てきて」
ウィスクに促されるままに、デラフが崖ギリギリに進み出る。すると、デラフの体がふわりと浮かび、そのまま崖下へと下ろされていった。四層のドジェサでいきなり飛ばされたことを思い出した。
「飛び降りてはダメですか?」
呼ばれる前にピュリスに聞くと、彼女は首を傾げた。
「構わないが、結構な高さがあるぞ?」
「高さはわかります。問題ないです」
良いと言われたので、そう告げるとそのまま宙に躍り出た。驚いた顔のウィスクが見る間に近づき、ぼくは無事に地面に足をついた。
「無理するねぇ」
驚いた顔のまま、呆れともつかない感想を伝えられ、ぼくは苦笑した。
「荷物もないので、これぐらいはなんともないです」
「丈夫なんだ。助かったよ」
礼を言われ、ぼくは会釈を返した。ウィスクとピュリスの会話から、この移動方法がウィスクにとって負担であることを推測していたのだが、どうやら当たりらしい。
行動を共にしている間、先頭に立っていたのはウィスクとピュリスであるし、攻撃の要もふたりの魔法である。特にウィスクは光球をずっと出していたことを考えても、かなり魔力を消費しているのは間違いなかった。
ムスタを移動させるウィスクの横顔は涼しいものだ。ピッケエレインのような魔法のほうが、攻撃魔法よりも難しいと聞いたが、人に干渉する魔法ともなればより一層集中力が必要に思える。
「いや、結構あるな」
地面に足をつけたムスタはほっとした様子を見せた。
「すぐでしたよ」
「いやいや、あの高さを飛び降りるのは命に関わるね。俺なら!」
何故か自慢気なムスタに笑っていると、ナクタが降りてきた。
「大丈夫か?」
「まあまあ疲れたけど」
大きく息を吐き出したウィスクが、上にいるピュリスに向かって腕を降る。頷いたピュリスは軽やかに飛び降りると、自力で着地してみせた。
それからは大きな問題もなく、魔物との戦闘は一度だけでタシサにたどり着いた。
「おい、戻ってきたぞ!」
「全員揃ってるのか?」
タシサに到着すると、ぼくたちを見た冒険者が大きな声を上げた。それをきっかけに、タシサにいた全員が入り口付近に集まり、無事の帰還を喜んだり、何があったかの説明を求めたりした。
ぼくは気恥ずかしさを覚えると同時に、なんだか随分と懐かしいような気持ちになった。数え間違えていなければ、離れたのは三、四日のことなのに、ここにいたのが遠い昔のように感じられた。
「ソウ!」
人垣の向こうから、ぼくを呼ぶ声がした。ナビンが、心配気に手揉みしながらこちらを見ている。あらゆる感情をなんとか堪えようとしているのが手に取るようにわかった。一刻も早くぼくの無事を確認したいのだろうけれど、冒険者を押し除けるわけにはいかずやきもきしているのだろう。
ぼくはムスタに離れることを耳打ちし、上手いこと人だかりから離れた。小柄な体はこういう時に役に立つ。
「ドゥケ! ナビン!」
あらゆる挨拶になる言葉を口にしてナビンに近づくと、勢い良く抱きつかれた。
「良かった。生きてた。ダメかもしれないと」
「大丈夫。怪我なんかしてないよ」
「ああ、良かった。悲しいことを伝えなくてはならないかと思っていた」
泣き出しこそしなかったが、ナビンはぼくの背中を何度も摩り、何度も強く抱擁してきた。
ぼくが実力に見合わない六層に配属になったのは、ナビンが責任を請け負ったからだ。だというのに、目の届かないところで儚くなってしまったら、ぼくの家族に合わせる顔がないと思いながら過ごしたのだろう。彼の心労を思うと悪いことをしたと感じるが、謝罪するのも違う気がした。
「心配かけてごめんなさい。でも、色々と学べて良かった」
「そうか。得るものはあったんだな」
ようやく体を離したナビンは泣いているようだったが、それは指摘せずに頷いた。
「ニーリアスは?」
「今は上だ。俺の代わりに行ってもらった」
ナビンのこの様子を見るに、ずっと心配していたのだろう。心ここに在らずの状態では満足に仕事が果たせないどころか、命に関わる。
「では、ふたりで準備をしないと」
「準備?」
「ナクタたちもかなり疲れているだろうから、身を清めてもらったり、食事の準備をしたりしないと」
湯は沸いているだろうが、足りるだろうか。食事は消化が良いものが良いだろう――そんなことを考えながら、ぼくはテントに向かった。
ぼくの非日常は終わり、日常が戻ってきた。
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