五十八通目 悪路

 目を開いているのか閉じているのかもわからない暗闇に、本能的な恐怖が刺激される。ここで正気を失ってしまえば、二度と太陽を見ることはできない。魔窟探索において、暗闇に飲まれないようにするというのは、最も重要なことだ。

「しゃがんで」

 ナクタが腕を引くので、言われるままに腰を落とす。するとすぐに光球が現れ、周囲を明るく照らした。

「問題なし」

 ウィスクの言葉に、ナクタがぼくを見て頷いた。

「暗闇で明かりをつけると、光に向かって飛んでくるヤツがいたりするんだ」

 魔物の視界というものがどうなっているのかはわからないが、灯りがあるところに人がいるという学習ができているというのはあり得る。

「癖なのか習性なのか、顔の近くに明かりを置きがちなんだよね。それを学習して首を刈ってくるのもいるんだよ。性格悪いよねぇ」

 首を撫でながらウィスクが言うので、ぼくも思わず首に手をやってしまった。

「一見可愛い姿をしてるからタチが悪い」

 話を聞いていたらしいデラフが溜息をつく。もしかしたら、可愛い生き物が好きなのかもしれない。

 気付いた時には、全員壁を通過し終えていたようだ。ぼくは明かりの下で、自分の服や身体に異常がないかを確かめた。裾に土が入り込んでいるのではないかと思ったが、そんなこともなくいつも通りのままだった。それが逆に気持ちが悪い。

「どうかした?」

「壁の中を通ったのに、土が入っていません」

「壁を通るのは初めて?」

「はい――いや、違います、か?」

 初めてだと答えようとして、そうではないかもしれないと思った。意識的に通過するのは初めてのことだが、ドジェサに出る前に、壁を通過していたかもしれない。

「アレは壁抜けとは別だろうなぁ」

 ぼくの疑問を察したのはムスタだった。彼自身も似たような体験をしたので、あの体験と壁抜けが別のものであると言いたいのだろう。

「ソウが言いたいのは、ドジェサに出たことだろ? あの感覚は転送に近いと思う」

 転送と壁抜けは違うものらしい。

「まあ、あの距離移動してたらね」

 それはそうだろうというようにウィスクが言うが、ピュリスは思案げな表情を浮かべていた。

「で、ここは何処なんだ?」

 デラフが本来の目的を示すように言葉を挟んだ。今現在の第一目標は、思い出を語ることではなく、タシサに戻ることだ。

 思い出したようにナクタは魔導具を確認し、少し首を傾げて周囲を見回した。

「一本道か。進むしかないな」

 確認してみると、先ほど出てきたらしい壁の位置は通路の最奥にあたるようで行き止まりになっている。左右に通路もないので、まっすぐに伸びている道を進むしかなさそうだ。

 ウィスクが先頭に立ち、デラフがその後に続く。直線だからなのかピュリスはピッケエレインを出さずに歩き出し、ムスタに促されてぼくは歩き出した。最後尾はナクタだ。

「行き止まりだ」

 さほど歩かないうちにウィスクが立ち止まった。光球に照らされた先は確かに行き止まりになっているが、左手には滝が流れている。五層の氷が溶けて流れ落ちているのだろうか。

「いや、行き止まりではないな」

 ピュリスが何かに気付いたように歩き出した。

「こっちだ。下り坂がある」

 行き止まりの場所に転がっていた岩の奥から手招きされ、全員で近づくと、人ひとり通るのがやっとといった細い通路が下に伸びていた。

「うわぁ、デラフとナクタにはキツそぉ」

 幅も狭いが高さもない。ぼくとウィスクはなんともないが、ピュリスですら屈まないと通れなさそうだった。

「うーん。これはなかなか」

 デラフが自身の腹を撫でた。引っかかることはないだろうが、そう余裕があるわけでもない。ムスタも渋い顔をして頭を触っている。頭上を注意しながら狭い通路を屈みながら通るのは精神的にもキツそうだ。

「壁抜けできる道があるのでは?」

 ぼくが尋ねると、ナクタは魔導具を示してきた。

「多分、下りが正解だ。今いる場所がここなんだが、どうもさっき通った通路の上にいるみたいなんだ」

 今いる場所を示す印がある場所は、先程までいた袋小路の、巣穴が並んだ通路の更に先にいることになっている。けれど、先程までとは違い、分かれ道があるわけでもなくただの一本道なので、同じところを戻っているわけではない。

 進むしかないと聞いてムスタは天を肩を落とし、大きく溜息をついた。

「ボク、ソウ、ピュリスの順で進もう。塞がれたら先が見えないもん。足元の確認もしたいから、ボクが合図するまでは動かないでね」

 言うや否や、ウィスクは通路に入っていった。危険なのは今までも同じであるはずなのに、細くて狭いとなると更に危険度が上がったような気がして、ぼくはハラハラしながらウィスクの様子を見守った。

 ピュリスのピッケエレインを先導にして、ウィスクはやや慎重に歩を進めていた。下り坂ということもあって足元がやや滑るようだ。

「ここまでは大丈夫。来て」

 ぼくは後に続く面々を振り返り、軽く頷いてから通路に入った。ぼくの身長ならば上を気にする必要はないのだが、それでも頭上がソワソワとした。傾斜は思っているよりもあり、両側の壁はてらてらと濡れている。とても蒸し暑く、ほんの数歩進んだだけで不快指数は鰻登りだ。これは先程の滝の影響なのだろうか。

 もう少しでウィスクにぶつかるというところで足が滑り、ウィスクに支えられた。

「ここ、滑りやすいよねぇ」

「不快極まりないな」

 いつの間にか背後に到着していたピュリスが苛立ちを含ませて言った。

「後ろ、どうなってる?」

「ムスタが続いているはずだが」

 背後を見ようにも狭いし、滑るしであまり動きたくない。

「悲鳴が聞こえるから大丈夫そ。じゃあ、またここで待ってて」

 確かに、か細い悲鳴が近づいている。悲鳴が無事かどうかの合図になっているというのは面白くもあるが、哀れでもある。

「いや、キッツ。なにコレ。腰が死ぬ」

 すぐ近くで聞こえる泣き言に、ぼくは内心で笑いつつも同情した。この足元の悪い中、屈んで歩かなくてはならないのはかなり厳しい姿勢になるだろう。滑って慌てて姿勢を正すと天井に頭をぶつけるという悲劇が待ち受けている。

「後ろは続いてるか?」

「大丈夫なんじゃない?」

「なんじゃないとはなんだ。ちゃんと確認しろ」

「無理だって。首回せないもん」

 ふたりのやりとりに笑いを噛み殺していると、ウィスクが呼ぶ声が聞こえた。

 そうやって慎重に進んで行き、最後の急坂を降りると少し開けた場所に出た。

「少し休憩しよ」

 大きく息を吐いたウィスクがぼくの腕を引き、座るようにと促した。普段移動中に座ることがほとんどないが、今回はよく座るなと思っていると、隣にムスタが転がりこんできた。

「いや、キッツ。いや、キッツ!」

 背伸びをしたかと思うと、地面に大の字で転がる。それをピュリスが冷ややかな目で見つめていたが、彼女もまた腰を伸ばしている。

「もう頭ボコボコだし、腰はバキバキだし、なんなんこの通路」

「いや、それ。気になるよねぇ。魔物道なのかと思ったけど、出くわさなかったし」

「全身ベトベトだし! 不快が過ぎる!」

「あー、全員揃ったら服乾かした方がいいね。冷えたらまずい」

 ウィスクの声にも疲れが見える。ムスタのぼやきに突っ込むでもなく、ぼんやりとした口調で話している。先行して安全を確認しながら進んだので、心身ともに負荷がかかったのだろう。

「うわぁ、終わった」

 ナクタが開放感を滲ませて地面に膝をついた。ムスタ同様、相当参ったらしい。勘弁して欲しいを繰り返している。

「連戦の方がまだマシだ」

 最後にデラフが仰向けに転がる。立っているのはピュリスだけだ。

「魔窟の中で油断しすぎだろう」

 呆れ声を出すピュリスだが、やはり疲労の色は濃い。中腰で進むというのは想像するよりずっと大変なことは容易に想像がつく。

「それで、ここはどこだ」

 仰向けに転がったままデラフが言う。ナクタに変わり、魔導具を覗き込んだピュリスが小さく感嘆の声をあげ、言った。

「タシサはすぐそこだ」

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