五十六通目 通

「でも、六層のドジェサ主はわかりましたよね?」

 ムスタが特定して伝えていたことを思い出した。

「ん? ああ、ヒエッカマトのことか。ヒエッカマトは『大地に潜るもの』という意味があるんだ。元々は聖典に出てくる魔物のことなんだが、転じて地面に潜る性質のある巨大魔物をそう呼んでる」

「習性は異なるのですか?」

「そうだな。聖典では石化の毒を吐くと書かれているし、角で突き上げて串刺しにするヤツもいたから、全部が同じというわけではないな」

「地面に潜る巨大魔物だとわかるだけで、対処法が絞られる。何もわからないよりはずっと楽だ」

 確かに、何もわからず探らなくてはならないのは手間がかかりそうだ。地面に潜るものならば、地面に潜れないようにするのが良いという判断で、ああいう戦闘になったのだろう。

「ドジェサ主は、他の魔物よりは研究される傾向にあるけどね」

 ナクタが付け加えるように言う。

「理由は色々あるけど、その階層の他の魔物より強く、何度も戦うことになる、というのが大きな理由かな。他の魔物よりも数が少ないから希少というのもあるし」

 存在がやや特殊であるから、他の魔物よりも注目を集めやすいということだろうか。他の魔物は魔除けの類で遭遇を避けることができるが、ドジェサ主はそうはいかない。一定期間が過ぎれば再び現れるので、倒さなければ先に進めないのだ。

「魔窟が出現するようになってからは長いけど、魔窟についてわかっていることはそれほど多くはないんだ。無効化したと思われる魔窟も、定期的に浄化しないと復活するようだし」

「復活? 魔窟がですか?」

「魔素が濃くなるというのが正しいのかな。浄化すれば活性化はしないとわかってからは、落ち着いているみたいだけど、昔は度々復活して大変だったようだ」

 当然ではあるが、知らないことだらけだ。

 浅層散策をしているリュマのどれぐらいが、このことを知っているのだろうか。冒険者の常識なのか、ナクタたちほどにならないと知らないことなのか、わからない。ナビンやニーリアスはどれぐらい知っているのだろう。ニーリアスはチャムキリであるし、言葉もわかるから知っているかもしれないが、ナビンやこの辺り出身の歩荷は何をどこまで知っているのだろう。

「そういったことは、どこかで教わるのですか?」

 ぼくの問いに、ナクタは一度大きく瞬いて、デラフに視線を向けた。

「魔窟の復活のことか? それは集会で聞くことが多いんじゃないか?」

「何の集まりです?」

「神殿の集会だ。信徒は定期的に神殿に顔を出すからな。その時の説教で聞くことが多いだろうな。各地の乙女や王族の巡回について触れるからな」

 デラフの言葉に、ナクタは変な顔をして肩を竦めた。王族という言葉に反応したのかもしれない。

「乙女? というのは?」

「特別な存在として認められた若い娘のことだ。王族ではないのに、似たような能力があると言われている。『聖女の欠片』ともいわれて、信奉者が多い存在だな」

 聖女の欠片というからには、聖女の持つ能力の一部を持っているということなのだろう。若い娘が信奉されるというのは、本人にとっては大変なことだろうが、民衆としては担ぎやすい存在とも思える。

 デラフはじっとぼくを見ると、難しそうな顔をして腕を組んだ。

「ううむ。神殿に関わる話は、この辺りには届かないのか」

 ぼくの感じていることに、デラフは気付いたようだ。

「神殿がないから集会もない。魔窟に関する話を耳にする機会がほとんどないまま魔窟と付き合っていくとなると、不安も多かろう」

 その通りではあるが、不安になっているのはぼくぐらいのものかもしれない。

 この周辺の大人たちは、あるがままにある、というのが信条というのか、何かが起きたときに対応すればいい、という考え方が主流だ。

 厳しい環境で生きるということは、楽天的であることが重要なのかもしれないと思うことが度々ある。不作や自然災害に見舞われてきたが、備えるということはあまりしない。備えたところで逃れられないという諦念が見え隠れしている。

 ぼくのように、何かと不安がって備えるタイプは、臆病者として誹られる傾向もある。泰然として、勇敢であることが集落の中では男らしく、頼り甲斐がある存在と見做されるのだ。周囲を不安にさせないという点では、そういう姿勢であることが重要なのかもしれないが、いざという時に何もないのは愚かというものだと、思ってしまう。

 とはいえ、生き残るのは臆病者だ。集落で一番長生きなのは、臆病者と陰口を叩かれた老爺だ。尊敬はされずとも、何かあれば話を聞きに行くような存在になっている。文字の発達が今ひとつであるから、生き字引が重宝される。

「サンガに掲示するのが良いのだろうか」

「それは、効果が低いです。字が読めない人は多いです」

 兄たちを見ていて感じるのは、彼らは書いてあるものを読もうとしないということだ。わかりやすく簡単な文章で書かれていたとしても、目を留めるということをしない。自分には最初からわからないと思っているからなのか、読む行為に抵抗を感じるからなのかはわからないが、とにかく書いてあるだけではダメだ。

「良い方法は思いつく?」

 ナクタに問われて、ぼくは少し考えて、頷いた。

「噂を流すのが良いです。ぼくぐらいの年なら、美味い話にすぐ食いつくので」

 知っていた方が得になると思わせればすぐに広まるだろう。マビとニルダワの顔を思い浮かべてしまい、ちょっと笑ってしまった。

「サンガに頼んですぐに流してもらうことにしよう」

「サンガよりも、バヴェ・トーパのほうがいいでしょう」

 冒険者と違い、ぼくたちはサンガとあまり付き合いがなく、苦手に感じている人の方が多い。サンガを仕切っているのはチャムキリなので、余所者に使われるのを快く思っていないのと、使われる身であるという卑屈な気持ちが抵抗を感じさせている。

 誰だって、認めていない者に命じられるのは気持ちがいいものではないだろう。

「バヴェ・トーパ?」

 聞き覚えがないのか、たどたどしく口にするナクタは子どものようだ。

「グムナーガ・バガールの北西にある場所です」

 位置を示すと、ナクタとデラフは同時に合点した様子で、なんとも言えない顔になった。そこに何があるのかは知っているのだろう。年端のいかないぼくが口にしたことで、彼らの中に複雑な感情を想起させてしまったのかもしれない。

 バヴェ・トーパはグムナーガ・バガールの誕生と同時に生まれた娼館街だ。北西に作られたのは、カルゼデウィから一番遠い場所だからだ。美しい女神に近づけたくないという地元の人間の意見を受けて、そこに作られたと聞いている。潔癖そうにいってみたところで、そこには地元の子どもが多くいるのだから、人の心というのはわからない。

「噂話といったらバヴェ・トーパが一番早いです。サンガよりもずっと」

 余所者向けに作られた場所なのに、客の多くが地元の人間だというのも澱んだ話だ。それだけに噂を流すには最適な場所なのだ。

「ぼくが流しましょうか?」

「いや、そこはこっちでどうにかする」

 デラフが慌てたように言うので、ぼくは笑った。大人らしい反応が新鮮だった。

「ソウは、あそこがどういう場所なのか知ってるのか?」

 ナクタが神妙な顔で言うので、ぼくはますます面白くなってしまった。

「知ってます。利用したことはないです」

 言い回しが気に障ったのか、ナクタが少し眉根を寄せた。

 幸福な人たちなのだなぁと、ぼくはふたりの反応を眺めた。彼らにとってバヴェ・トーパは好ましい場所ではなく、ぼくのような子どもを近づけたくはないのだろう。それは、大人として正しい反応だと思う。ぼくが大人であれば、同じような反応をしたかもしれない。

 けれどぼくは子どもで、チャムキリではないものだから、ナクタたちとは違う反応になってしまう。好ましくは思っていないが、遠い場所ではないのだ。だからこそ恐ろしくあり、同時に悲しくもある。

 もしぼくの身に何か不幸なことがおきて、荷運びができないような身体になってしまったら、バヴェ・トーパに収容されることになっても不思議ではない。ぼくの両親は反対してくれるかもしれないが、稼ぐアテのないぼくを養っていけるほど裕福ではないことはわかっている。

 そうなった場合、究極の選択を両親にさせるのは申し訳がないので魔窟で生き絶えるほうを選ぼうと思っているが、ナクタたちのような実力と優しさを持ったリュマと一緒だったりすると、思うようにいかないかもしれない。それはかなり、困る。

「はい、撤収撤収! っと、どうした?」

 片付け終えたらしいムスタが戻ってきて、ぼくたちの様子を見て首を傾げた。

「お疲れ様です。あちらに進むのではないのですか?」

 ぼくがにこやかに応じると、ムスタは「ああ、うん。こっちだってピュリスが」と言いながら、気遣わしげにナクタとデラフを見ていた。

「ううーん。ボク臭くない?」

 すぐにウィスクとピュリスも合流したが、ナクタとデラフの様子に二の足を踏むような様子を見せた。

「何かあったのか?」

 ムスタが耳元に顔を寄せ、小声で尋ねてきた。

「わからないです」

 ぼくは無邪気を装って、小首を傾げて見せた。

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