五十五通目 天秤にかける

 ふたりが対峙していたのは、巨大百足のような姿をしていた。

 こちらに腹を見せるように上体を持ち上げ、尻尾のような部分が天井から垂れ下がっている。天井に張り付いた足がペリペリと音を立てるのが不快だ。

「無事か」

 デラフが尋ねると、ナクタがチラリと振り返って答えた。

「火が通るから問題ない」

「コイツも初対面だな」

「焼いたら美味そうだな」

 場違いなセリフはムスタのものだ。ギョッとして見上げると、ムスタは驚いたような顔をして「美味そうじゃない?」と尋ねてきた。

 どこをどう見たら美味そうなのかと、改めて巨大百足を観察する。足が無数にあるので百足を連想させるが、本物の百足と違い蟹や海老のような爪を持っている。そうやって見れば、甲殻類の味を連想させなくはないが、白っぽい腹は半透明で、緑っぽい液体が脈動しているのを目にすると、食欲は減退させられる。

「わかりません」

「いや、あれは焼いたらプリッとして絶対美味いって」

 ぼくの返答に不服そうな顔をしながら、ムスタは百足を観察している。

 赤黒い無数の足はテラテラと光り、波打つように蠢く。腹に接続している関節の様子も気味が悪く、できることなら目に入れたくはない。

「ウィスク、小物に気を配ってくれ」

 そう言うと、ピュリスは火球を放った。天井からぶら下がっている、海老の尻尾のような部分が火球を跳ね返そうとしてうねるが、触れた途端に高度の熱に焼かれて暴れ出す。

 すると、人間ほどの大きさの百足がバラバラと音を立てて落下し、四方八方支離滅裂に駆け出した。目的はなく、衝撃を受けた虫が霧散するような動きである。その全てが肉色の半透明に緑の脈動が走るので、正直言って気持ち悪い。

「全然小物じゃなくない?」

 想定していたよりもずっと大きな魔物に文句をつけつつも、ウィスクは全ての魔物を串刺しにしてみせた。溢れ出した緑の液は異様な臭いを放ち、何かが溶けるような不気味な音を立てる。

「デラフは前面に出ない方がいい。最後尾を頼む」

 ナクタの警告に従い、デラフはぼくの背後に回った。

 背後に続く迷路の奥には魔物の巣穴がある。この魔物から溢れ出る液体の臭いや、振動などに呼応して、他の魔物が背後から襲ってくることもあるかもしれない。

「うーん。酸的な何か?」

 俄かに這い登ってきた緊張感に反して、ムスタは興味津々といった様子だ。先ほどと同じく目元に布を巻いているのは、万が一液体が飛び散った時に目を守るためだろう。

 ぼくは乱れかけた呼吸を整え、平常心を保つことを心がけた。想定しないことが発生した場合でも、気持ちが落ち着いていればなんとかなるものだ。逆に、乱れは不幸を呼ぶ。それは、父からの教えだ。

 父は魔窟に入ったことはないが、地上であっても魔物に出くわすことはあるし、人を襲う獣の類にも遭遇することもある。何より危険なのは悪意のある人間だと言っていた。地上でも地下でも、危険なものに変わりはない。

「臭いヤツだな」

 デラフが鼻を鳴らして呟いた。確かに、なんともいえない悪臭がどんどん濃くなってきている。ツンとする刺激臭というよりは、もったりと重く、どこか甘さを含んだもので、腐敗の臭いと似ているようにも感じた。

「ナクタ、ウィスクを残して壁向こうに退避してくれ」

「わかった」

 張り詰めているというよりは、諦めたような声色のピュリスの言葉に、ナクタが素直に応じる。そんなあっさりと頷いていいのかと思ったが、デラフがぼくの腕を掴み、さっさと歩き出した。

「何をするのですか?」

「面倒だから通路ごと火の海にする気だろうさ」

「本当は綺麗なまま回収したいんだろうけどねぇ」

 大胆かつ物騒な方法を予想したデラフに、ムスタが頷いた。

「あの溜息は『せっかく粘ったのに』ってだけだから、気にしなくていいよ」

 ぼくが何を気にしているのかに気づいていたらしいナクタの言葉に、少しばかり安心した。そして、自己犠牲からの相打ちを提案しているのではないか、と思ってしまったことを恥じた。その考えは、ピュリスの実力を低く見積もっていると同義だ。

「というわけで、そこの角を曲がって待機」

 ナクタが懐中灯で先を示した。ムスタはぼくの腕を離すと小走りで角まで行き「大丈夫だ」と手招きする。魔物が潜んでいないか、確認したのだろう。ムスタと一緒に小走りで角に向かい、先行したムスタに近づいた。

「いいぞ!」

 ナクタが叫ぶや否や、通路の先に炎が走った。

 想像以上の高出力にぼくはただただ驚いたが、ムスタは「わー。イライラしてそう」と呑気に呟く。

「そりゃぁ、あれだけ丁寧に削ってたしな」

「臭いのは防げないからなぁ」

 デラフとナクタも、ムスタと同様緊張感の欠片もなく呟いた。

「あの、ふたりは大丈夫なのですか?」

 恐る恐る尋ねると、ナクタは不思議そうな顔でぼくを見たが「問題ないよ」と答えた。

「ピュリスは自分の魔法でどうにかなるほど素人じゃないし、ウィスクがいるから何が起こっても対処はできる」

「そういうものですか」

「そうか、ソウはああいう戦い方を見たことないんだな」

 言葉を返せば、彼らはこういう戦い方ができるリュマということだろう。壁を破壊するとか、高火力で魔物を焼き払うなんてことができてしまうのだ。

 そもそもぼく自身は単なる荷運びであるし、この六層に到達できているリュマの数が限られているのが現状であるから、ナクタたちのほうがレアケースなのだが、当人たちにとってはそれが当たり前なので、普通の感覚がおかしくなっているのだろう。

「ムスタ! 手伝って!」

「はいよー」

 ウィスクが遠くから呼ぶ声が聞こえ、ムスタはいそいそと走り去っていった。巨大百足や人間ほどの百足をアーレトンスーに収納するのに呼ばれたのだろう。ムスタ自身、さまざまな意味で興味を向けていたので、回収が楽しみなのかもしれない。

「行かなくて良いのですか?」

 仕事柄、荷物の回収に参加しないのはどうにも落ち着きが悪い。かといって、彼らはアーレトンスーという便利な道具を持っているので、ぼくにできることなどほとんどないのも事実なのだが。

「あれは毒持ちだろうから、お前さんは触らんほうがいい」

 デラフに諭すように言われ、ぼくは素直に頷いた。下手にしゃしゃりでて手間が増えることになったら申し訳がない。

「あれと似た魔物を知っているのですか?」

「似ているかどうか、難しいところだな」

「似ているかどうかって、結構難しいんだ。ああいう形の魔物はいるし、ああいう性質の魔物もいるけど、同じようなものかというと」

 ナクタとデラフが同時にうーんと唸る。

 似た形だが性質の違う魔物と、違う形だが似た性質の魔物を知っている、ということなのだろうが、どちらに似ているかと問われると返答しにくいのだろう。言われてみれば、百足のような形ではあるが、あれと百足が同じ性質かと問われれば違うと答える。性質的に似たものについては知らないのだが。

「魔物の研究は進んでいるけど、系統立てが難しいとも言われているんだ。数が集まらないというのもあるけど、似て非なるものが多すぎてどうまとめていいものか難しいらしい。研究者の見解も割れているみたいだしね」

 想像よりもずっと魔物の種類は多いらしい。四層では同じ魔物がいるという話を聞いたが、あれは浅層だからだろうか。深層となってくるとサンプルの数が足りなくなるのもわかる。

「深層の魔物を捕まえるのは、大変ですね」

「それよりも、影響しているのは金だな」

 ぼくは首を傾げた。デラフの言わんとしていることがわからなかったからだ。

「冒険者にとって重要なのは、何よりも金、という手合いが多い。多いというより、それが普通だ。そうなると、良い状態で丸ごと持って帰るのは効率が悪い。金になりそうな部分だけを剥いだほうが、荷物は軽いし、たくさん持ち帰れるからな」

 確かに、そうだ。低層を探索しているなかで、丸ごと持ち帰るという意識があるリュマに出会ったことはない。サンガ自体、部位だけを持ち帰ることを推奨していたような気がする。

「丸ごと持ち帰ったところで、買い取りが高くなるわけでもないしな。苦労の割に採算が取れないとなれば、誰も持ち帰りたくはないだろう」

「高くならないのですか?」

「基本的に丸ごとが欲しいのは研究者ぐらいだからね。時々依頼が出ているけど、商人とは違って安価だから、引き受けたい冒険者はほとんどいないんだよ」

 研究が進めば、もっと安全に魔窟に潜れるかもしれないのに、そうするには金がかかる。冒険者は命をかけているのだから、もうひとつの天秤の皿に乗せるものは、価値のあるものでなければ納得がいかないだろう。

 どこの世界も世知辛いものだ。

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