五十二通目 ミヒル

 ミヒルという植物は、光すら吸い込む真っ黒な植物だ。葉も茎も根までも黒い。魔素の濃い場所に群生し、手をつけずにいると魔物が生じるようになる。魔素を吸い続け高濃度になったミヒルからは魔窟が発生する。魔素を吸って成長するためか、実は魔核として利用でき、人々の生活に馴染みがある植物でもある。

 基本的には赤い実をつけるが、時々青や黄色、緑や紫などの実もつける。赤以外の実を、特別な関係にあるふたりが持ち帰り、育てることで人に成るという不思議な植物だ。

 こちらでは、人はミヒルから成る、というのは常識だ。

 このあたりは、前世持ちなら一度は感じる違和感だと思う。

 ぼくの場合は、物心つく頃には弟となるものが育っているのを見ていたため、そういうものだと漠然と受け止めていた。次第に前世の記憶が増えてくると、おかしなことだと感じるようになったが、何をどう思ったところで、植物から人に成るのを見て仕舞えば、そうだと思うほかない。

 もっとも、前世では子どもを持つこともなく、身近に出産をしたばかりや控えていた人たちなどはいなかったので、妊娠を経て出産をするということをリアルに感じることがなかったので、現実味が薄いのは否めない。

 前世で人間になる植物というのは見たことも聞いたこともないが、かぐや姫だとか桃太郎といった、植物から人間が出てくるという物語はあるので、想像しにくいものでもないのかもしれない。とはいえ、実際にトウモロコシのような実が人間になるのを目の当たりにすると、今でも驚きはある。

 人はミヒルから成る、というのが常識だとして、問題なのは、ミヒルは魔物も生むということだ。

 魔物というのは、人間に害をなす存在である。互いに意思疎通ができるわけでもなく、一方的に殺戮を仕掛けてくるものと認識されている。動物とは違い、慣れることはない。飼育方法はいくつか考えられているようだが、基本的には力関係で捩じ伏せているにすぎない。そういう存在だ。

 であるのに、人も魔物もミヒルから生まれるのだ。

 ぼくの集落のあたりでは、人と魔物は紙一重の存在であるから、人であろうとすることが尊いこととされている。魔物のように道理を理解せず、ひたすらに暴れ、破壊することばかりをする者は、魔物と同じとされるのだ。

 魔物は処分するというのが、人と魔物との関係である。人でなくなれば、処分せざるを得ない。それがミヒルから生まれるということなのだ――とされている。

 つまり、この理屈でもって治安を守るという考え方だ。

 前世であれば許されないようなことも、ぼくの村では行われている。そうしなければ、集落が保たないのだ。

「ヒトと魔物は同じモノから生まれるので、ヒトであろうとしなければ、魔物になると教えられて育ちます」

 ぼくの言葉にピュリスが難しい顔をした。神殿の教えに反する要素があるのかもしれない。今のところ、ナクタたちからぼくたち少数民族に対する批判的な意見はないが、油断していると虎の尾を踏んでしまうかもしれない。宗教対立ほど厄介なものはないというのは、前世で度々耳にした言葉だ。

「なるほど。人と魔物の根源を同じと見る考え方なのか」

 デラフが考えるように顎髭を撫でた。

「ミヒルは謎が多い植物なんだよなぁ」

 ムスタがどこか他人事のように言うのは、前世での常識が根付いているからかもしれない。下に兄弟がいなければ、実が人に成るところを見ないので飲み込みにくいことだろう。

「ソウはミヒルからどうやって人が生まれるか、知ってる?」

「弟と妹がいますから、知っています」

「いや、そうじゃなくてさ。条件が揃わないと、人に成らないんだよね」

 その条件を知っているか、ということだろうか。ぼくは両親や、集落の大人たちの様子を思い浮かべた。

「一組の男女が、子を願って、世話をする。ということではありませんか?」

 集落に、子ができない家があった。ミヒルの実を持ち帰るも、全く芽が出なかったり、出ても枯れてしまうというのだ。何年か失敗を繰り返した結果、親同士の話し合いの結果離縁となってしまった。

 別れた後、男の方は集落から出ていってしまい、女の方は怪我をして歩荷を続けられなくなった男と再婚した。再婚してからは、三人の子どもに恵まれた。そのことから、最初の男が本気で子どもを望んでいなかったのではないか、と噂されている。

「ちょっと違う。別に夫婦じゃなくてもいいし、ひとりでもいい。本気で子どもを望んで、絶えず世話をして、育てられると認められると子が持てる、って言われてるんだ」

「ひとりでもいいんですか?」

 てっきり、夫婦でなければいけないものだと思い込んでいた。ひとりでもいいとなると、先の夫婦の話は互いに望んでいなかったということになるのだろうか。

「ひとりでっていうのは、よっぽどじゃないと無理みたいだけどね。いないことはない。まあ、一般的にはふたり以上で、同じ熱量で世話をしなければ成らないんだよ」

 それは、結構、難しいのではないかと思い、七人兄弟の自分の身の上を振り返り、両親の偉大さに思い至った。

 前世での両親についてはほとんど思い出せない。それだけ関係が希薄だったのか、思い出したくないことなのかはわからない。が、家庭というものにあまり良い感情を抱いていない感じはするので、冷えた家庭だったのだと思う。それに比べたら、こちらの両親の仲はとても良い。決して楽な暮らしではないが、互いが互いを思い合っていることは伝わってくる。

「人の手で世話をされると、天然のミヒルとは全く違うものになるでしょ。そのことから、成るべくして成るものだけがヒトに成る。という考え方なんだよね、ボクらは」

 天然のミヒルは真っ黒な植物であるが、弟たちになった実から生えてきた植物は、普通に草色でスッと伸びていて、まさにトウモロコシといった見た目をしていた。やがてトウモロコシと同じ形の実をつけ、伸びた穂が髪となる。

 それだけ形状が違ってしまうのだから、同じモノではないと考えるのが、ウィスクたちには浸透しているのだろう。そもそも、天然のミヒルは実から発芽するのではなく、魔素溜まりに自然発生するのだから、成り立ちが違う。

「とはいえ、天然のミヒルと人に育てられたものが別物っていうわけじゃないんだけどね。そのあたりについては、あんまり語られてないし」

「そこを明らかにしてしまうことに抵抗を持つ者も少なくないからな」

 デラフが先を行くピュリスをチラと見た。抵抗があるひとりということだろう。

 その感覚についてはわからなくはない。自分という存在が、魔物と同じだとはあまり思いたくないものだろう。それに、同じだと思ってしまうと、倒すことに躊躇してしまうかもしれない。

 以前、なんとなく害虫をじっと見ていた。その虫は、植物を食い荒らす性質があったので、見つけたらすぐに潰さなければならない存在だった。けれど、その時は、何故か観察してしまったのだ。

 観察してみると、虫の動きはとてもユーモラスで、愛嬌があるように感じられた。また、生きることに懸命なのも伝わってきて感動すら覚えた。この虫も、自分と同じように生きていて、可愛らしい動きもして、愛おしい存在であるのだなと、同一視しかけたところで、虫に気付いた弟によって潰された。

 その時、弟に残酷さを感じた。自分たちとは違うが、あれもまた命であると嗜めそうになり、ハッとした。この土地では、多少の虫でも命取りだ。植物はあまりにも弱く、簡単に繁茂したりはしないのだ。弟の行為は当然のことで、何も悪いことではない。いたぶったわけでもなく、駆除すべき対象として行動したまでのことなのだから。

 ぼくが弟の行動を咎めようとしたのは、虫の行動と自分自身を同一化させかけたからなのだ。虫もまた生きているのだと感じてしまったから、可愛らしいと感じてしまったから、弟の行動を残酷に感じたのだ。

 その時のように、魔物に対して同じようなことを感じてしまったら、判断が鈍る。魔物の方は何も感じていないのに、ぼくだけが躊躇すれば、倒されるのはぼくのほうだ。

 ならば、全く別の存在なのだと思っていた方がいい。理解できない、野蛮で凶暴な存在だと思っていたほうが、迷うことはないのだ。同胞であるなどと、チラとでも思えば、簡単に殺そうなどと思えなくなる。

「神殿も、はっきりとしたことは言っていないからなぁ」

 のんびりした声はナクタのものだ。神殿が聖女の奇跡を広めるために存在するのなら、王族とは切っても切れない関係であるのではないかと思うが、ナクタの反応はどうにも他人事感が強い。

「一応、社会通念的には男女で夫婦となる、とはされているけど、それは『聖女が王に愛を与えた』というのを模しているだけだろう? 実際のところ、男女ではないふたりの間にも子どもはできるのだし」

 チャムキリの規律規範を示しているのは、神殿や王族なのかと思っていたが、実際は違うのだろうか。王族であるナクタがこの反応ということは、前にムスタが言ったように『前世持ち』の感覚がかなり影響している可能性がある。

 考えてみれば、ミヒルの実から人が成るのであるから、前世と同じような男女感がある必要はあまりない。妊娠も出産も女性とは切り離された事柄になっているからだ。

 ぼくの育った集落は、女性に人権がないようなところであるが、その価値観を無視して考えてみれば、男と女の間に違いというものがほとんどない。身体の形状は前世と同じく違っているのだが、身体能力となると男女差というより個人差という感じだ。

 実際、姉の方がぼくよりも荷物を担げるし、持久力もある。姉は兄と同じだけの荷を担ぐことができるのだから、年齢差ばかりではないだろう。それに、ピュリスだって体力的にナクタやウィスクに劣っているということはない。なんならムスタの方が劣るかもしれない。

「反応あり」

 考えに意識を奪われていたぼくの頬を、強風が打った。

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