五十三通目 油断

 先に下がったムスタがぼくの腕を引いた。魔物が出たのだと気付いた時には、砂埃の直撃を受けていた。

「大丈夫か?」

 ムスタの問いかけに頷く。目に砂が入ってしまったので痛むが、大したことはない。頷いて、己の不甲斐なさを噛み締めた。

 自分が今いる場所は、六層なのだ。これまでに見つけられなかった場所で、六層の奥だという感覚を失念していた。歩荷として、かなり大失態だ

「ちょっと苦戦してるな」

 顔を上げると、ムスタは前方に顔を向けていた。が、目元は布で覆われている。ぼくから見れば目隠しをしているようにしか見えない。

「見えているのですか?」

「ん? ああ。これはさっきの布と同じで、こちら側からは見えるんだ。目を保護することができるから、こういう場所向きだな」

 簡易ゴーグルみたいなものだろうか。布状であるから嵩張らず、便利そうだ。しかし苦戦とは穏やかではない。ドジェサの主をあんなに容易く倒したというのに、それより劣るはずの魔物に手こずるなんてことがあるのだろうか。

「数が多いのですか?」

「いや、ピュリスの得意魔法が通りにくいんだ」

 目を細めて見てみるが、涙で滲んだ視界ではどうなっているのかよくわからない。ぼくが首を傾げたことに気付いたのだろう。ムスタが説明してくれた。

「ピュリスは火属性の魔法が得意なわけよ。文字通り、火力も高い。が、それが通りにくいとなると、魔法はウィスク頼りになるから、ちょっと時間がかかるってこと」

「確かに、炎系の魔法を使っていましたね」

 五層でも火球を出していたことを思い出し、ぼくは目を凝らした。火が通り難い魔物とはどういうものなのか知りたかったのだ。

「周囲の色と似すぎてるから、見づらいかもな」

 目元を覆っている布と同じものをぼくに手渡して、ムスタは言った。礼を言って受け取り、目元に当てる。飛んでくる砂埃に目を瞑りそうになるが、ゴーグルなのだと言い聞かせた。

 岩ほどの魔物が四頭いる。どっしりとした体躯はカモシカのようだが、顔は象とも兎ともつかない奇妙な形状をしている。体毛は赤みのある砂色で、ムスタの言う通り周囲の壁と馴染んでいて、遠目だと気づきにくい。真っ直ぐ伸びたツノもあり、特徴がありすぎて説明がしにくい印象だ。特筆するとすれば、やはり体つきだろう。骨格自体もしっかりしているのだろうが、硬い肉で覆われているのが遠目でもわかる。

「六層の魔物は、全体的に火が通りにくいんだよな。それに、刃も通しにくい。火属性の魔法剣士であるピュリストの相性はかなり、悪い」

「どうやって倒すのですか?」

「デラフの斧は骨を砕く。言い方は悪いが、嬲り殺しってやつだねぇ」

 撲殺、というやつか。刺殺よりも酷い印象があるのは、時間がかかるせいなのだろうか。結果としては、同じことなのだが。

「ウィスクは魔法の天才だから、あまりに長引くようなら魔法で一発というのもあるけど、それほどじゃないという判断なのか、はたまた帰路への不安なのか」

 攻撃の中心はデラフで、ウィスクとピュリスは魔物が攻撃範囲から出ないように妨害や誘導をしているようだった。

 デラフが二頭仕留め、他二頭のうち片方はもがくように暴れ出したが突然動かなくなった。残ったになった一頭は、破れかぶれのように唸り声を上げて突進してきたが、下から突き上げられるように吹き飛び、落下してくるところをデラフに叩かれて動かなくなった。

「こいつは初めましてだね」

 涼しい顔でウィスクが言い、ピュリスがアーレトンスーで、突然倒れた一頭を囲い出した。

「持って帰るのか?」

「とりあえずな。この様子では、一度上に行くことになろうだろうからな」

 ムスタの問いに、ピュリスが作業しながら応じた。

 今まで魔物を採取する様子がなかった彼らだが、冒険者には未知の魔物を報告する義務がある。七層の報告のついでに、その義務を果たそうというところなのだろう。

「そのために無傷で倒したのか」

「そそ。窒息させたから、かなりキレイなもんでしょ」

 窒息死だったから、あんな挙動になったのかと遅まきながら理解した。見た目が派手な攻撃ではないだけに、恐ろしく感じた。

「来る時には会わなかったんだよねぇ、こいつ」

「今までの探索でも出会さなかったな。生息範囲が限定的なのか」

 検分しているところにナクタが入っていった。

「この周辺だけ違う何かがあるのかもしれないな」

「うーん、見た感じはわからんなぁ」

 呟きながら、ムスタが周辺の砂を布袋に採取した。上層にいる研究者に渡すのだろう。持ち帰らない魔物は邪魔にならないように移動させることになったが、見た目通りの重量で、ぼくひとりではとても動かせなかった。一頭はデラフとナクタの二人がかりで移動させ、残り二頭はウィスクが魔法で動かした。便利なものである。

 ムスタは記録係のようで、現在地とともに魔物の特徴を手のひらほどの大きさの板に記録していた。

「では、先に進もう」

 片付けを終えたところでピュリスが声をかけ、全員が頷き歩き出す。

「壁が修復されてきているな」

 ドジェサ付近では完全に崩れていた壁だが、戻るにつれ、幅が狭くなったり、跨がなくてはならなくなったりしてきた。

「このあたりの壁の連続から想像するに、素直に従って進むと大分遠回りをさせられそうだな」

 穴の空いた壁が連続しているということは、通路が並行して通っているということだ。拠点付近は開けた場所があったが、ここは道が密になっている。周囲を観察し、俯瞰して見たらどんな感じだろうと想像してみる。

「迷路みたいだ」

「なるほど、迷路か」

 ぼくの呟きを拾ったのはムスタだった。ムスタの呟きは日本語で、どうやらぼく自身、日本語を口にしていたようだ。

「なんか言った?」

「いや、人工的というか、作られてるみたいだなと思ってな」

「言われてみれば確かに。でも、六層だよね、ここ」

「その先入観がよくない」

 ナクタが塞がりかけて狭くなった壁の隙間をすり抜けながら言った。

「オレたちは、なまじ他の魔窟を経験しているから、それが仇になっている可能性があると考えてみるべきだろう」

「七層に『クヴァルツィ・ルオラ』がある時点で、かなり異例だな」

 デラフが噛み締めるように言って、周囲を眺めた。改めて、観察することにしたのかもしれない。

 ベテランの彼らが気を引き締めているのを見て、素人だというのにぼんやりしていた自分が恥ずかしくなった。強い彼らといるから安心だと気が緩んでいるんだろう。ついこの間、死ぬかもしれないと感じていたとは思えない図太さだ。

「ソウとムスタだけが転送されたことから考えても、かなり高度な仕掛けがあるはずだろ。あの時、オレたちは同じ場所にいたんだ」

「確かに、そうだな。踏み入った者を転送させるのとはワケが違う」

 ピュリスが振り返り、ぼくとムスタを見た。

「このふたりの共通点はなんだ?」

 ぼくは思わず顎を引いた。ぼくが考えている共通点はあるが、それについては知られたくない。このリュマの人たちは善人であるとは思うが、よく知っているわけではない。全てを曝け出しても安心だとは限らないし、その点はお互い様だとも思う。ナクタもぼくに伏せていることがあるからだ。別に知りたいわけではないし、どちらかといえば知りたくない。知ってしまって巻き込まれるのは嫌だからだ。だから互いに、黙ったままでいようじゃないかと、ぼくは腹の中で思った。

「非戦闘員ってことじゃない?」

 ウィスクが気の利いたことを言ってくれたので、ぼくは幾分ほっとした。

「それをどうやって見分けるんだ?」

「さあ? でも、ソウは武装してないし、ムスタも似たようなものじゃん。手ぶらに近いからボクらと区別はつくんじゃない?」

 言われてみればその通りだ。ぼくはムスタとの共通点を知っているから、そこ繋がりなのではないかとばかり思っていたが、他の共通点もあるのかもしれない。

「なら、非戦闘員を攫ってどうする?」

 さらに畳み掛けるピュリスに、ウィスクが唸るのを眺めつつ、ぼくは嫌なことを考えていた。

 非戦闘員だけを転送する理由として、一番最初に浮かんだのは『餌にする』ということだった。群れの中で力がないものを選び出せれば、少ない労力で餌を手に入れることができる。もうひとつは、囮だ。力が弱いものを攫うことで、群れが混乱するのを狙うのではないか。冷静な判断ができないと、人は持っている能力を大きく損なうからだ。

 それを仕掛けたのは誰なのか。あのドジェサ主に、それだけの知能があるのだろうか――そんなことを考えるふりをしている自分を、もうひとりの自分が白けた目で見ていた。あの部屋にいた人物の仕業なのではないかと、わかっているくせに、白々しい――そう言いたげに。

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