四十八通目 小休止
ドジェサを出たのだろうか。ぼくは足音の響きが変ったことに気がついた。
「ソウはここに座って」
ナクタに促されるままに腰を下す。周囲の様子が気になるところだが、まだ視力が戻らないぼくがやれることは何もない。後ろめたさを感じながらも、大人しくしていることに専念した。
「ムスタ、着替えあるのか? 無いならオレのを貸すぞ」
「――お貸しください」
ムスタの声が急にしおらしくなったので、ぼくは笑ってしまった。穿いていないことを忘れていたのかもしれない。
「急に呼ばれたんだから! 仕方ないだろ!」
言い訳を口にしているのは、ウィスクあたりが白い目を向けたからだろうか。
思えばムスタは徹夜した身で、ぼくのことを案じて探してくれたのだ。こういうことになってしまったのも、ぼくが不明になってしまったからに他ならない。
「すみません」
笑える立場ではなかったと謝罪すると、ムスタは「気にすんな」と言ってくれた。
「済んだことだし、冒険者あるあるだから、こんなのは」
「そうそう。気にすることないよ。むしろ、ソウは大丈夫なの?」
「今のところは大丈夫です」
そう答えはしたが、考えてみれば二日間排泄していない、ということになる。七層の暑さで、汗となってかなり出てしまったような気はするが、出していないと身体的に良くないような気がする。
「飲み食いしてないからかな?」
指摘されて喉の渇きを覚えた。唇も乾燥している。尿意がわくほどの余裕がないのかもしれない。ムスタに水筒をもらったのを思い出したが、ドジェサの主にやられてしまったのを遅れて思い出した。
無いと思うと欲しくなる。打ちひしがれていると、肩を叩かれた。
「ほら、プーロを作ったぞ」
デラフがぼくの手に、匙と暖かな器を丁寧に持たせてくれた。先にドジェサから出て、炊事をしてくれたようだ。
「ありがとうございます」
「急に食べると腹がびっくりするからな。ゆっくり味わえよ」
面倒見の良い三番目の兄を思い出した。食事の優先度が高いのは、乳を出す山羊、働き手として育っていた長兄と次兄、次に優体力のない下の子たちで、ぼくと姉、そして三番目の兄は後回しになりがちだった。
姉と三番目の兄は、ぼくたち弟の世話をする役割を担っていて、後回しにされがちなぼくに食事を多めにくれたものだ。その時に口癖のように言っていたのが「ゆっくり味わえ」という言葉だ。
先ほどよりは見えてきた視力で、器と匙、匙と口元の距離をはかりながら近づける。甘みを感じる匂いは何かの乳だろうか。脂肪分が高くありませんようにと願いながら啜ると、熱を感じた。
「久しぶりな感じです」
薄味だが旨味は強い。想像した通りに乳の味はするが、さらりとしていて胃腸に負担はかからなそうだ。下にプチプチとした食感の粒を感じるが、それが何かまではわからない。はっきりした味はないようだ。
「どうだ? 口に合うか?」
「はい。ありがとうございます」
優しい味なので、足りていない水分を補給するのに丁度良さそうだ。デラフの気遣いに感謝しながら、プーロを味わった。
「ボクにもちょうだい」
「俺にも。はー、喉カラッカラ」
すぐ隣に腰を下ろしたムスタが、ぼくの耳元で小さく囁いた。
「ピュリスとナクタが簡易トイレ作ったってさ」
日本語の囁きに、ぼくはちょっとドキッとしたが、プーロを啜るふりで頷いた。
ドジェサの前に簡易とはいえトイレを設置するのはどうなのだろうかと思うが、かなり無理をしてここまで来たのは明白なので、タシサになりそうな場所を探れていないのだろう。
「魔物除けも設置したし、ヒエッカマトも倒したし、少しだらけても大丈夫だぞ」
朗らかにナクタが言い、誰からともなく溜息が漏れた。そんな感じはしなかったが、それでも全員気を張っていたらしい。
「特にソウはゆっくり休んでくれ。詳しいことは回復してからにしよう」
何があったかと追求してこないのは、ぼくに気を遣ってのことのようだ。申し訳ないが、その言葉に甘えさせてもらうことにした。プーロを口にしたためか、はたまた周囲が休憩体制に入ったせいか、疲労がどっとのしかかってきたところだった。
「他のみんなには、今回の報告について相談したい」
「ボクは少し置いたほうがいいと思うけどねー」
間をおかず、ウィスクが意見を述べた。
「かなり無理してドジェサに来た訳で、次も来られるとは限らないでしょ」
「それはそうだな。無事、タシサまで戻れるかも未知数ではある」
「そこはちゃんと戻れるって言わないと、ソウが不安になるでしょ。大丈夫だよ。来た時みたいに壁壊せばいいんだから」
ぼくを誘った手前、無事に返さなくてはならないという責任を、ウィスクは感じているのだろう。デラフの言葉に釘を刺しつつ、かなり大胆なことを口にした。
「急ぎではないしな。タシサになりそうな場所を確認しながら、休み休み戻っても問題はあるまいよ」
「そうはいうけど、時間をかけ過ぎるわけにはいかないだろ。ナビンになんて説明するんだ?」
「ならば、私とデラフが先行して無事を報告しよう」
「まあ、それは最終手段だな。来た道を戻れるわけじゃないから、戦力を割くのは得策じゃない」
「そうか?」
こんなに浅層なのに? という響きのあるピュリスの言葉に、ナクタは真剣味のある声で言った。
「この階層に、おかしな場所があるのは知っているだろ? 六層という浅さなのに、構造が複雑だ。そういう階層には何かしら仕掛けがあったりする。それがなんだかわからないのに無闇に行動するのは賢明じゃない」
ナクタが以前話してくれた『戻らずの通路』のことだろう。温度差がある箇所がどこかに繋がっているのではないかと考えているようだった。
「あの時は、温度が高くなっている場所が奥のタシサに繋がっているんじゃないかと考えていたけど、こうなってくると七層のどこかに繋がっているんじゃないかとも思えてくる。なんの準備もなく、あの蒸し暑い場所に放り出されてみろ。いくらピュリスとデラフとはいえ、難儀するのは確実だろ」
「それは確かにそうだな。あの環境に長時間、アテもなく彷徨うというのはゾッとする」
デラフはあまり暑さに強くないのだろう。先程踏み入った時も真っ先に戻りたがっていた。
「あの暑さは対策を考えないと、進むのは無茶だ。いくらお前らが頑丈にできていたって、生き物としての限界ってやつがある。煮えるぞ」
七層は言ってしまえばサウナのようなものだ。高温に高湿度が合わさると、熱中症になる確率がかなり上がる。その中で長時間活動しようものならば、たちまち動けなくなってしまうだろう。
「急いで帰ろうとして無茶をしたら、それこそタシサに戻れなくなることになりかねない。今回は、無事に戻るということを目標としよう。焦りは禁物だぞ」
早く無事を知らせたいと焦って戻れなくなってしまっては、本末転倒というやつだ。山においても下山のほうが難しく、遠足も家に着くまでが遠足なのだ。帰りが怖いというのは昔から言われていることだ。
「戻り方は合意が取れたとして、本題の報告について話を戻そう」
ナクタが会話を仕切り直した。
「ウィスクは報告に時間を置きたいと言ったが、理由は? 探索が不十分だからか?」
「それもあるけど、七層が『クヴァルツィ・ルオラ』ってのがさぁ。こんなに浅層で『クヴァルツィ・ルオラ』が出てくるなんて、前代未聞じゃない? それが外に漏れたら大騒ぎになるのは確実でしょ。探索も満足にできてない階層を抜けて行くなんて、命知らずもいいとこだけど、金に目が眩むと命を忘れる生き物だよねえ、人間って」
ウィスクもムスタと同じく、七層が『クヴァルツィ・ルオラ』であることが問題だと考えているようだ。
「せめて、ヒエッカマトが復活するまでは黙ってたほうがいいんじゃないかなぁ」
「それはどうしてだ?」
「ヒエッカマトが復活したら、そう簡単には下に行けなくなるでしょ。その間に、六層を探索して、七層飛ばして八層以下に繋がる場所を探したほうがいいんじゃないかと思うんだよねぇ。セルセオの方法が成功すれば、それはそれでいいし」
ドジェサ主に足止めを頼もうというのは、なかなか面白い考えだ。元々、ドジェサ主はそういう役割を担っているようだと言われているが、攻略した側が素知らぬ顔で再び門番を頼みたいというのだから、相手から見れば厚かましいにも程があるというところだろう。
「なんか、今までになくセルセオに頑張って欲しいかもぉ」
「わかるー。血反吐吐いても成功させて欲しいって思ってるかもぉ」
ウィスクとムスタが声を揃え、セルセオを不純な気持ちで応援するものだから、『クヴァルツィ・ルオラ』の厄介さが痛いほどに伝わってしまった。
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