四十七通目 帰りは怖い

 ぼくは壁を探し移動した。そう遠くはない場所にあったので転ぶことなく移動できたのは良かった。

 七層に降りる前は少し蒸す感じがしていたのに、今となっては涼しいとすら感じる。それほどに、七層は過酷な暑さなのだ。

「ドジェサを出たところで少し休もう」

 デラフが大きく息を吐きながら言った。

 思えば、ムスタとぼくの捜索に走り回った直後、ドジェサの主と戦闘となり、階下に行ってみれば猛烈な蒸し暑さに直面したのだから、彼らの疲労感たるや、相当のものだろう。

「賛成。さすがに疲れたぁ」

 同意を示すウィスクの声も疲労が色濃い。主戦では魔法を撃ち続けたのだから、相当に消耗していそうだ。

 下層に行きたがったのは、彼らの手柄を残したかったからだが、結果として、ぼくの我儘に疲労困憊の彼らを付き合わせただけになってしまった。もっと気を配っていれば気づけたかも知れないと思うと、情けなく、申し訳ない気持ちになった。

「無理させました。申し訳ありません」

 彼らの声がする方に向かい、深い謝罪を表すハンドサインを交えたジェスチャーを送る。日本でいうところのお辞儀と同じなので、チャムキリである彼らに気持ちが伝わるかはわからないが。

「通常なら、君が言った通りの行動が正しいのだから、気に病むことはない」

 背後にいるとは思わなかったので、思わず少し飛び上がってしまったのを、ピュリスは小さく笑い、背中を軽く叩いた。

「それに、下層が高温状態であることは予想していた。ピッケエレインを飛ばしてみて、問題がないと判断したから下ったんだ。単に奴らの緊張が限界に来たというだけだ」

「――ありがとうございます」

 こういう時になんと返すのが良いのかわからないので、心に浮かんだ感情を言葉にして、ぼくは左手の感触を頼りに数歩進んだ。

「おい、ソウ! そっちじゃないぞ、って、そうか目が効かないんだったな」

「オレが連れてくよ」

「抱えられるのはイヤです。腕を貸してください」

 親切でやってくれていることは理解しているが、わかっていても飲み込めないものはあるものだ。ぼくの主張に、ナクタは小さく「そっちの方が楽だと思うんだけど」と呟いたが、ぼくの手を取って腕へと誘導してくれた。

「目は開けているの?」

「はい。でも、はっきり見えるものはないですね」

「オレのほうに、光球があるのはわかる?」

「言われてみれば、明るい気がします」

 光球がウィスクの作ったものであるなら、大分視力が落ちているのがわかった。一時的なものとはいえ、視界が効かないのは不安になる。もしも、ずっとこのままだったとしたら、と考えずにはいられない。

 丸腰で魔窟を歩かなくてはならない歩荷は、五感の全てを使って行動してるので、何かひとつを欠くというのは、即引退に繋がる。暗闇が多い場所であるから、地上よりは視覚に頼っていないのではないかと思うこともあるが、ほんの少しの闇の濃さの違いを見誤るようでは、生きてはいけないのが魔窟なのだ。

 もちろん、地上で生きるということになれば、更に視覚は重要になってくる。天気を読むのには空を見上げ、雲の形を把握する必要があるし、方角を知るには星を見つけられなければならない。料理の火加減も、加熱具合も、薪を集めるのも、ミヒルを判別するのにだって、視力は必要になってくる。子どもができる手伝い程度もできないのなら、ケルツェで生きていくのは足手纏いにしかならない。

 福祉だとか、弱者に対しての品的・人的な補助というものは、あって無いようなものだ。明文化されているものではなく、助ける余裕がある人が助ける気持ちの時に助けるというようなもので、基本的には二の次三の次の扱いになる。前世の感覚でいえば非道なのかもしれないが、ケルツェという場所は五体満足の人間にとっても厳しい場所なのだから、自分のことが満足にできない時点で、詰んでいるのだ。

「見えないのは不安だよな。本当に申し訳ない」

 今度こそ上手い返しは何も思いつかなかった。大丈夫だと言えるほど軽いものではなく、苦情を言えるほど近しい相手ではない。兄たちならば、次々に文句を連ね、大袈裟に喚き、嘘をついてでも謝罪させ、謝礼を出させるのだろうが、ぼくにそれだけの逞しさは備わっていない。この辺りが、平和ボケした日本人気質というやつなのだろう。上品ぶるほど、生活は楽ではないのに、情けないことだ。

「七層、攻略できそうですか?」

 ぼくは全く違うことを言った。重い雰囲気になってしまうと、何らかの決断をしなくてはならなくなりそうだったからだ。

「すぐに着手するのは無理だろうなぁ」

 ぼくの気持ちを察してくれたのか、ナクタは話題に乗ってくれた。

「諸々報告することになるから、というのもあるけど、あの環境だからね。今、六層にいるリュマは全員、一度地上に戻って装備を整えないと無理だろう」

「暑さ対策のためですね」

「降りた途端にアレだからね。まずは、ドジェサ付近に安全地帯を作るところからだな。水の確保は必須だ」

 ドジェサ付近は手付かずの場所だったことを思い出した。ニーリアスたちのいるタジェサからはかなり離れた場所なのだ。もうひとつのタジェサもこの付近にはないので、ところどころにタジェサを作りながら進まないとならないだろう。

「では、シュゴパ・セルセオの成功を祈る方が現実的ですか?」

「あとは、竪穴を探すか、作るか、ってところかな。その方が現実的な気もするな。セルセオが探っている亀裂の安全性が不透明だろう? ラクシャスコ・ガルブの深度がどれぐらいなのかわからないからなんとも言えないが、仮に十層あったとしても、挑むつもりのある冒険者が移動する手段として現実的かと言われたら、疑問だなあ」

「それに、こう言っちゃなんだが、七層のような『クヴァルツィ・ルオラ』は貴重で金になるものが多いのさ。俺たち魔導具師にとっても宝の山だからな。素通りするのはちょっと勿体無い」

「他の魔窟にもああいう場所があるのですか?」

「ある。とはいっても、そう多くはない。からこその貴重で高価、なんだよな。これが出たとなるとラクシャスコ・ガルブの周辺も、かなり開発されるだろうなぁ」

 それが良いことなのか、悪いことなのか。現時点で判断するのは難しい。貴重品が出るとなれば、多くの人が集まるようになるだろう。とすれば、グムナーガ・バガールはもっと大きな街になり、ケルツェの人間も働き口が増えて、経済的に楽になるかもしれない。しかし、ケルツェの人間に与えられる仕事は、割りの良いものではないはずだ。今現在でも、地元の人間よりも他所から来た人たちの方が、裕福で楽な生活をしている。先住民が割を食うのは、いつでも、どこでも同じなのだろう。

「浮かない顔だね」

「ちょっと想像できなくて」

 ナクタの指摘に、ぼくは言葉を濁した。

「故郷が変わるのはいいことばかりじゃないもんなぁ」

「やはり、そうなのですか?」

「今回潜る前にこの辺りを少し歩いていたけれど、美しいところだなと思ったよ。自然が豊かで――豊かというより、厳しいというのかな。人の手を拒む場所は、美しいところが多いと思っているけれど、この辺りもまた、そういう場所なんだと思った」

 ナクタの言葉に誘われるように、ぼくの脳裏にケルツェの風景が呼び起こされた。誰もが一度は見惚れる朝焼けや夕焼け、冴えざえとした月、息が詰まるような満点の星。木々が大きく育つことはない厳しい気候。固く乾いてザラついた大地。苔のようにしか生えない若草。そこに暮らす薄汚れているけれど、力強い人たちの姿。それを見守るように聳える白く美しい山・カルゼデウィ。

 ホームシックとはこういうことなのだろうか。胸の辺りがジクジクと疼き、鼻の奥がツンとした。

「幸福というものがはっきりとした形を持っていたら、不安になることもないのでしょう」

 どこかで知った、チャムキリの言葉だ。何かの一節らしい言い回しは、言葉ではなく記されたものなのだろうと思った記憶がある。

「聖女の言葉か」

 ぼくの言葉を聞いたナクタがそう呟いた。

 聖女というのはつまり、異世界からやってきたと言われている女性たちだ。ムスタはその存在を『前世持ち』なのではないかと言っていたが、あの言葉が聖女が残したものだとするならば、異世界転生したというのは本当かもしれないと、ぼくは思った。言葉の中に余裕を感じるからだ。

「七層についての報告、少し練ったほうがいいかもしれないな」

 唸っていたムスタがそんなことを言った。

「本来なら、六層の探索にはもう少し時間がかかっただろうし、探索しながらタジェサを置いて進んだはずだけど、今回はあまりに急に進みすぎたからな。整備されてなさすぎる。のに、七層は『クヴァルツィ・ルオラ』ときた。死人が増えすぎる、気がする」

「それは同意だな」

 緊急事態であったため、ありえない方法で道を作ってしまっただけである。手順を踏んでいないままに進むのが危険であることは、想像がつく。

「それに、タジェサまでの帰り道に自信がない。正直なところ」

 予想外の告白に驚いて、見えないままの瞳で見上げると、ナクタは肩を竦めたようだ。

「あちこちブチ抜いてきたけど、魔窟は修復効果があるからなあ」

「ああ――」

 ムスタが天を仰いだのが見えた気がした。

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