四十六通目 水晶窟

 七層へはピュリスを先頭に進むようだった。

 彼女の三歩前には小さな炎が生き物のようにふわふわと漂っている。ぼくがそれに見惚れていると、それはピッケエレインという魔法で、先に飛ばすことによって危険を肩代わりしてくれるだと、ウィスクが教えてくれた。

「目に見えない危険を察知するから便利なんだよねぇ」

 説明を聞きながら思い出したのは『炭鉱のカナリア』だ。カナリアは人間よりも有毒ガスに敏感だとされていたので、炭鉱に入る時にはカナリアをカゴに入れて探知機代わりにしていた時代があった。そのことから、察知していない危険が迫っていることを知らせる前兆のことを指す言葉として使われていた。

 魔法によって斥候を生み出せるというのは良いものだ。小さな命を人間のために使わずに済む。この過酷な土地に生きる人々は、そんなことを考えないのかもしれないが、脆弱なぼくの精神は簡単に摩耗してしまうので、ありがたい。

 デラフの後に続いて、階下に続く急坂に足を踏み入れたウィスクがぼくの腕を引いた。覚悟を決めて一歩踏み出すと、じっとりとした熱風が噴き上げてくるのを感じた。

「これはキツいな」

 げんなりした声で言ったのはデラフだった。豊かな髪を長く伸ばしているので、かなり蒸すのだろう。

「これは骨が折れそうだ」

 背後からナクタがぼやいた。確かに、高気温高湿度の中での探索はかなり消耗することだろう。魔窟は閉鎖空間なので、涼しい風が吹くということもなさそうだ。あるとすれば、空間で膨張した空気が熱風となって噴き上がってくることぐらいだろう。下手をすれば、それだけで茹で死にしそうだ。

「見通しも相当悪いぞ」

 先を行くピュリスが声を張った。それに合わせてウィスクが光源を広げると、思ってもいない景色が広がっており、ぼくは目を見張った。

 最初の印象は『電信柱の墓場』という印象だった。上も下もなく突き出した太く白い柱が空間を埋め尽くしている。木々のような曲線はなく、ひたすらに真っ直ぐに伸びるそれらは、よく見ると円柱ではなく多角柱のようだ。小人となって水晶群晶の中に入ってしまったように感じる。

「迫力ぅ」

 気圧されたように呟いたのはムスタだ。全くもって同感だった。迫力がありすぎて、興奮するより圧倒される。

 ファンタジーをテーマにしたゲームに、こうしたステージがあったように思うが、画面越しに見ていた景色はただただ美しく、見惚れるだけであったのに、似たような場所に立ってみると、感じるのは悍ましさだ。人が立ち入って良い場所ではないような気がする。

「この温度、この湿度、そしてこの見通しの悪さ。正攻法で攻略するのは時間がかかりそうだな。セルセオの方法が成功することを祈ろう」

 ナクタの言葉にデラフとウィスクが同意を示した。

 他のリュマが先行することを願ったり、七層への一歩を後回しにしようとしたり、このリュマには対抗心というものがまるでないようで、ぼくはちょっと呆れてしまう。

 命をかけて魔窟に入っているのだ。できるだけ手柄を上げたいものではないのだろうか。それとも、彼らにとっては娯楽の範囲を出ていないということなのか。

「この辺りで良いだろう」

 ピュリスが立ち止まり、ウィスクがその死角を補うように立った。ナクタがぼくの肩に触れたので、どうしたのかと振り返った途端、背後で何かが砕ける音がした。

「窪みを作ったぞ」

 見れば、水晶の一部に穴が空いている。どうやらデラフが抉ったようだ。

「ソウにも扱えるもの、持ってるか?」

「うーん。あるにはあるけど、血が出るね」

「ピュリス、ウィスク、イゲリに警戒」

「了解」

 ナクタの言葉に応じ、ふたりは周囲に炎の壁のようなものを張り巡らせた。

「この感じで血の匂いをさせたら、イゲリが出る確率が高いからな」

 イゲリが何かはわからないが、血の匂いに反応する魔物のことだろうと推測した。そしてそいつは炎に弱いのだろう。

「それじゃあ、この尖ったところにどこか刺してもらって」

 ムスタが花の蕾を思わせる形をした器具をこちらに差し出し、一部を指した。凹んだ部分に画鋲の棘のようなものが出ているのが見えるので、少し躊躇したが、そこに指を押し当てた。チリっとした痛みの後、蕾がふわりと発光し、ゆっくりと開き出した。花弁は淡い桃色に染まり、ふわふわと小さな光の粒が溢れている。

 魔窟という無骨な場所に似つかわしくない、繊細な作りの照明器具だが、水晶だらけの風変わりな様相には似合っているとも思う。

「花の真ん中に名前が出る仕掛けってわけ」

 ムスタの指摘されて気づいたが、花でいえば雌蕊などがあるあたりに回転する文字列があった。読もうとしなければわからないが、それは確かに集落の文字で、ぼくの名前となって浮かび上がっていた。

「綺麗な形ですね」

「だよなぁ。こういうのが好きな層に絶対刺さると思ってんだよ。これは元々ルンメっていう吸血草を使った魔導具で、ゆくゆくは魔核で操作できるようにして、任意の文字を表示できるようにしたいんだけど、なかなか難しくてさぁ」

 熱を帯びた早口言葉に、ぼくは愛想笑いを浮かべて流した。研究者特有の発作というやつだろう。

 しかし、こんなに繊細なものが魔物だというのだから恐ろしい。四層にいそうではあるが、他の魔窟で採取した可能性も高い。何も知らなければ可憐であるし、装飾としても申し分無いとは思うが、元が魔物となるとどうなのだろう。

 ふと思いついた考えが、あまりに不気味なものだったので、ぼくは恐る恐るムスタに尋ねた。

「吸血した人間の名前を出す魔物なのですか?」

「いや、そこは俺の技術。花が開いて光か溢れるのは元々の仕様だから、これが開花してるってことは、誰かが食われてるってわけ」

 不気味は不気味だが、最も気になったところはムスタの手による改良だと知れたのはよかった。養分となった者の名前が表示される魔物なんて、あまりに悪趣味だ。

「養分を蓄えると開花して、受粉する仕組みなんだから、よくできてるよなぁ」

「最も栄養がある時に、繁殖もするというのは理に適ってるな」

 ナクタは本心から感心しているようだ。言わんとすることはわかるが、自分の血液で開花した後にそう言われると、ゾッとするのでやめて欲しい。

「それじゃあ、置くよ」

 いつの間にか移動していたナクタに照明器具を手渡すと、彼はデラフが作った窪みにそれを据えた。

 瞬間、閃光が目を焼き、ぼくの視界は暗転した。

「うわあ! ごめん! 直視しちゃった? 大丈夫?」

 目を抑えたぼくに、ナクタが慌てた声を上げた。オロオロした声に、まずい状態にあるんじゃ無いかと不安になった。

「痛くは無いですけど、まずいものでした?」

「光だけだから、時間が経てば大丈夫だと思う。警告しなくてごめん」

「大した害がないなら大丈夫ですよ」

「ひとまず、上に戻ろう。暑くて敵わん」

「それもそうだね。ごめんね、ソウ」

 デラフの言葉に同意したと思うや否や、足元が宙に浮いた。何事かと思ったが、肩と膝裏に回されているのは、腕だ。

「あの、ナクタ?」

「軽くて驚いた。すぐに戻るから、じっとしておいて」

 降りてきた急傾斜を思い出し、あんなところをぼくを抱えた状態で上がれるものなのかと思ったが、ナクタの足取りに不安はなく、力強く上がっていく。

 いわゆるお姫様抱っこというやつをされているわけだが、恥ずかしがって身を捩れば全員を巻き込んで急坂を転がり落ちることになるやも知れないと、羞恥をグッと堪えて身を任せる。

「待ってよ。足元見えてるの?」

「覚えてる限り、何もなかったから平気だぞ」

 言われてみれば、辺りは暗闇だ。湿度で濡れた地面は歩きにくく、滑りやすいものだが、ナクタには何の障害でもないらしい。実に安定した移動をしている。

「このままドジェサに戻ってもいいかな?」

「それは流石にやめてください。歩けます」

 揶揄う様子はなく、真剣にこちらを気遣う口調だったが、このまま運ばれるぼくの身にもなって欲しい。

 身体的にも子どもから大人になりかけている年頃なのだ。こういった扱いに一番過敏な時期であることを察して欲しいし、中身は成熟した大人なのである。子ども扱いされるのには抵抗がある。更にいえば、ムスタはぼくの中身を知っているのだ。恥ずかしさも一入というものだ。

「本当に? いいの?」

「時間が経てば大丈夫なのでしょう?」

 体にかかる重力が変化した。ドジェサに戻ったのだろう。ぼくはナクタの胸を押し、降りる意思を示した。渋々といった様子ではあったが、ナクタはしゃがみ込み、ぼくは足を地面につけた。

「ありがとうございます」

 恐る恐る目を開けてみたが、そこは依然、暗闇だった。

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