四十四通目 あるものとないもの

「うわあ!」

 そいつが地面から現れるのと、石扉が開いたのが同時だったらしい。誰のものかもわからない悲鳴と共に、攻撃魔法が炸裂する音が響いた。

 ぼくは耳を抑えてしゃがみ込み、音のしたほうに視線を向けた。テラリとした光を放つ巨体が地面の中に潜っていくのが見えた。

「ヒエッカマトの仲間で間違いない」

 ムスタが断言するのに、とりあえず頷く。名前を知ったところで、ぼくがわかることは先ほど聞いた情報と、臭いに反応するらしいということだけだ。

「ソウ! ムスタ! 無事か?」

「無事です。そいつは臭いに反応するみたいです!」

「無事だ! ヒエッカマトだ!」

「わかった!」

 咄嗟に答えたために言葉が重なってしまったが、内容は伝わったらしい。ぼくとムスタは念のために少しばかり移動して息を殺した。

 一方のナクタたちは、魔法の大安売りをするかのように次々と攻撃を繰り出していた。噴水のように、地面から魔法がいくつも吹き上がっていく。

「迫力ありますね」

 あまりのことに茫然と呟いたぼくに、ムスタは「対ヒエッカマトとして有効なんだ」と言った。

「魔法で作った爆弾を地面に潜ませて、次々に爆破することでヒエッカマトの行動範囲を絞るんだ。デラフかピュリスの射程範囲に躍り出たら、地面に戻れないようにして一斉攻撃だ」

 説明通りの光景が目の前で繰り広げられて、録画したものを見せられているような錯覚を覚えた。

 地上に躍り出たそれは、デラフが掬い上げるように斧を入れ、浮いたところをピュリスの剣が襲う。地面に戻ろうにもウィスクの攻撃魔法で突き上げられてどうにもならない。一方的な攻撃に、なんだか可哀想になってくる。

 しゃがみこんだムスタが、ぼくの服の裾を引っ張った。視線を向けると、アーレトンスーから何やら布を引っ張り出していた。

「どうしました?」

 隣にしゃがむと、ぼくとムスタにかかるよう、布を広げて頭から被せてきた。

「開発中の安眠布なんだけど、ある程度音が遮断されるからこれに入ってたほうがいいよ。耳、おかしくなるからね」

 音は遮断されたが、視界は確保されている。どういう仕組みなのかは全くわからないが、安眠のための布ということならば、遮音は必須であるし、布を外さなくとも布の向こう側が見えるというのもありがたい。

「なかなか、エグいですね」

 耳の奥に残る高音を振り払うように耳を揉みながら、ぼくは呟いた。

「ヒエッカマトは地面に潜ると厄介だからな。生態がよく知られてない時は、地面に戻られて攻略に時間がかかったらしい」

「あそこまで魔法を乱発できる人は少なそうですもんね」

「ウィスクの凄いところは、少ない魔力で効果的な魔法を選択できるところだと思う。今派手に打ち上げてるのだって、見た目は派手だが殺傷力は低いはずだ。自分の役割はヒエッカマトを追い詰めることだと割り切ってるんだろうな」

 ムスタはそう言うが、側から見ている分にはそんなに威力の低いものには思えなかった。音も光もとにかく派手だ。あんなものに当たったら、ひとたまりもないのではなかろうか。

「他の魔窟の魔物と、ラクシャスコ・ガルブの魔物が同じ習性というわけじゃないじゃないですか。この六層の主はナクタたちが初めての攻略ですから、情報だってある訳じゃない。なのに、そんなに的確に攻撃を選べるものなんですか?」

「魔物は系統によって持っている習性が似ていることが多い。ヒエッカマトは、どこの魔窟でも目が悪い。音や匂いに敏感で、光に反応することはあるが、浮遊したものを追うことはできない」

「ここのは音にはあまり反応しなかったような気がしますが」

 あれだけの時間話し込んでいて、全く反応がなかったのだ。ラクシャスコ・ガルブのものは音には鈍感なのだろうか。

「そうだなぁ。そこは少し気になるところだ。地元民であるソウがいたからなのか、はたまた正規ではない方法でドジェサに入ったからなのか。検証できるならしたいところだね」

 正規ではない方法というのは、石扉を開かずに入ったということだろうか。ドジェサの扉は挑む者の能力値によって開くものとされているのだから、そこを通らずに入り込んだものを魔物はどう判断するのだろう。

「ぼくは嫌ですよ。またひとりでここに飛ばされるのは」

「まあなあ。必ずしもここに飛ばされるとは限らないしな。俺たちが飛ばされたことについても、装置的な何かなのか、魔法による選別なのか、全くもって別の何かなのか、わからない訳だしな」

 そう言われて、ぼくは底が抜けたような恐怖を感じ、脚の腱がゾワゾワする感触が気持ち悪くて爪を立てた。ぼくがいるのは、魔窟という魔物の内なのではないか、という想像が急に浮かんできたのだ。

 何者かが装置や魔法を設置したわけでなく、魔窟自体がその何者かなのではないか。

 異物を感知して、型が合わないものは通さず、型が合うものは通すというのは、細胞の仕組みのようでもある。魔物たちはぼくたちを排除するためにある白血球のようなものなのではなかろうか。

 悪趣味な想像ではあるが、妙にしっくりもくる。

 だとすれば、ドジェサに運ばれたぼくたち『前世持ち』は、魔窟にとってどういう存在なのだろうか。排除されるためだけのものではなく、取り込んで利用するのに良い何かなのかもしれない。

 それに、ムスタは通過しなかった、あの場所。あそこを通過したぼくは、ムスタとはまた違う型を持っているのかもしれない。それがなんなのかはわからないし、それに意味があるのかもわからないが。

「どうした?」

「いえ、ちょっと。魔窟にとって『前世持ち』は、他の人たちと何か違いがあるのかと考えていたんですよ」

「ここに飛ばされた理由について、か」

 ムスタが眠る前、そういった話をしていたことを覚えているのだろう。ここに飛ばされたぼくとムスタに共通するのは『前世持ち』であることだ。

「魔窟にとって、か。この社会にとって『前世持ち』には役割があるとは言ったが、魔窟にも、か」

 ムスタの言葉に引っ張られるようにして、ぼくは何かを思い出しかけた。ムスタが合流する前に、何か、考えていたような気がする。

「俺たちにはあって、ナクタたちにはないものを探すのか、その逆か。どちらも経験することはできないから、無い方の視点をどう持つかが課題だな」

 ぼくたちにあってナクタたちにないものは、まさに前世の記憶であり、前世での常識だろう。では、逆はどうなのか。ぼくたちになくて、ナクタたちにあるもの。

「この世界しか知らないという純粋さみたいなものでしょうか」

「純粋さ、か。もう少し詳しく言える?」

「信じる力、というのかな。ぼくたちは前世の記憶があるがために、この世界のことをどこか疑ってかかっている気がするんです。疑うというか、知っている範疇にある偽物の何か、だと思っている。一方でナクタたちは、ここが全てで、魔窟も魔物も魔法も当たり前に存在していて、聖女というものも実在した何かになっている。ぼくたちにとって、神だとか宗教だとか、そういったものは『人間が作り出したもの』という意識があると思うんですが、ナクタたちにはそれがない。全部が本当ですからね」

 こうして目の前に、ぼくらが知っている現実にはいない生命体がいて、それと命懸けで戦っている姿を見ていても、どこか絵空事のような気持ちが抜けないでいる。それは、そういったものは現実には存在しないのが常識、という世界で生きていた残滓のせいなのではないだろうか。

 だが、ナクタたちは違う。魔物がいない世界なんて想像できないだろうし、魔法がない生活というものも信じられないだろう。

「この世界そのものを信じる力みたいなものが、ぼくたちには無いような気がするんです」

 厳しい土地に生まれ落ち、生きるか死ぬかのような日々の中で過ごしているのに、ぼくはどこか上の空なのだ。余所者であるという意識がどこかにあるし、自分の人生だというのに旅人のような他人事感が抜けきらない。

「夢というには生々しいのに、現実というにはどこか遠い感覚が、ずっとあるんです」

 ぼくがまた上の空でそんなことを口にした。

 目の前には、死闘を繰り広げる人たちがいるというのに。下手をしたら、ここで朽ち果てるかもしれないというのに、腹の底から込み上げるような切望感がぼくにはない。

「それは、わかるかもしれないな」

 ムスタにも、この感覚はあるのだろうか。手で触って確認できるものではないから、ぼくの持っているものとムスタが持っているものが同じ形であるとは限らないけれど、共感してもらえるのは、少しだけ勇気づけられる。

「そろそろケリがつきそうだ」

 ムスタの指摘で、ぼくは大きく息を吐いた。

「久々の日本語、楽しかったです」

 ぼくが礼を言うと、ムスタはちょっと変な顔をした後、苦笑した。

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