四十通目 生きているということ

「それで、ソウは今後どうするつもり?」

 急な話題の変化についていけず、ぼくは首を傾げた。

「ここから救出されたら――って言うと、死亡フラグみたいだけど、まあ、十中八九助かるわけだけれど、そうしたら、どうするってハナシ」

「タシサに戻りますけど?」

「そうじゃなくてさ。このまま、その仕事をして生きていくのかって」

「たぶん、そう、なんでしょうね」

 ニーリアスとのやりとりを思い出して、ぼくは苦笑してしまった。見た目が若いと周いはあれやこれやと心配になるのだろう。

「こう言ってはなんだけど、あまり楽な生活はしてないだろう? チャムキリと比べてもそう見えるんだから『前世持ち』には相当厳しい環境なんじゃない?」

 それは全くその通りではあるが、良し悪しを考える間もなく営みに組み込まれて今日までやってきたので、身体に馴染んでしまったところはかなりある。いわゆる異世界移転だったら挫けていたかもしれないが、普通の子どもが育つように、それだけの年月をかけて環境に馴染んできてしまっているので、今ではこれが普通の暮らしになっている。

「確かに、前世に比べたらかなり厳しい環境ですが、幸か不幸か、こちらでの他の生活を知らないので、それほど苦でもないんですよ」

 今の生活に慣れてしまうと、以前の生活は異常なまでに清潔であったと思う。前世でのあの生活は、先人が築いた創意工夫の結果であるし、文化的な生活の模範であり、理想の形だったのだと思う。

 清潔な水を得るだけでも大変な日々の中にいると、あれは夢での出来事だったのではないかと思えてくる。それぐらい非現実的なことなので、あの頃の生活を手に入れたいと望む気持ちすら湧いてこない。

「本当に? 困っていることはないのかい?」

「強いていうなら、姉の自立の手助けを願いたいところですね」

「お姉さんの自立、というのは?」

 この際なので、常から思っていたことを聞いてみることにした。

「ムスタさんの育った場所では、女性に名前はありますか?」

「どういう意味?」

 意表を突かれたような顔のムスタに、ぼくはそっと溜息をついた。

「そのままの意味です。ぼくでいえば『ソウ』、あなたでいえば『ムスタ』のような名前が、女性についていますか」

「ついてないなんてことあるのか? ペットにだって名前はあるだろ」

 そういうことなのだ、と実感しすぎて、胸の澱みが濃くなる気がした。ムスタの戸惑いが答えだ。チャムキリの女性に名前があるなんてことは、知っている。ムスタが行動を共にしているピュリスも、女性でありながらちゃんと名前がある。

「集落では、女性には名前すら与えられないんですよ。基本的に女性は『ホン』と呼ばれます。それに父の名前。ぼくの父はグンというので、ぼくの姉が一人娘だった場合、グンホンとなります。ぼくには姉と妹がいるので、姉は一を表すサがついて、グンホンサ。妹は二を表すチャがつくのでグンホンチャです。結婚するまではそう呼ばれ、結婚する時に夫から名前を与えられる。それがぼくの育った場所での女性の扱いなんです」

 堰を切ったように溢れ出した言葉に、ムスタは唖然としていた。ぼくの勢いがそうさせたのか、内容がそうさせたのかはわからない。ぼくは、水筒に口をつけ唇を湿らせた。

「姉は冒険者になりたいと願っていて、その才能を認めてくれるリュマとも出会った。けれど、名前がないから契約書にサインすらできない。『適性証明』を取るにしても、名前がなければどうしようもない」

 今の仕事ですら、姉の契約には父の名前が必要になる。姉自身の選択よりも、所有者である父の意思の方が重要という意味に他ならない。前世での未成年者の扱いに似ているが、あれとは違うのは、何かあった時の責任は姉が取らなければならないということだろう。

「ずっと不思議なんですよ。こちらの女性は妊娠しないでしょう? 少なくとも、ぼくの集落ではミヒルの実から人は産まれる。ある程度しっかりするまで木の実のようにして育つ。なので妊娠、出産、育児といったところに男女差なんてほとんどないじゃないですか。冒険者をみる限り、戦力的な差もほとんどない。なのに、男女の扱いに違いがあるのはどうしてなんだろうって」

「いや、待て待て。少なくとも、クラーロフスケ・ヒリアではそこまで露骨な男女の扱いに差はないし、どちらかといえば前世よりも女性の扱いはいい、と思う。まあ、俺の感覚だから実際のところはわからないが」

 左手で顔を覆ったムスタは、右手を振りながらぼくの話を止めた。

「情報が多すぎて頭が痛くなってきた。名前がないなんて、流石にそれはどうかと思うが――クラーロフスケ・ヒリアの人間が出ていって、独自文化を持つ集落を指導するというのは、それはそれでグロい話ではあるが、しかしなぁ」

 世界の常識を統一するという考え方がグロテスクだということは、ぼくにも理解できる。ぼくが生きていた時代では、多様性が叫ばれていた。段階的に変化していく途中であったから、その考えが正しかったのか否かまではわからないが、多様であることが種を強くし、生きながらえさせることができるといわれていた。

 確かに、画一的な捉え方しかできない集団や組織というものは、好調な時には強さを発揮するが、潮流が変わった時に弱さを露呈する。『こんなこともあろうかと』という発想がでなくなった時に、その集団や組織は終わるのだ。

 その一方で、あまりにも酷い扱いを受けているものを見過ごして良いのか、という気持ちにもなる。そこの人間が納得していれば良い、というものでもないのではないか、と思うのだ。

 ぼくが今、こういう立場になって思うのは、他所の価値観が入ってこなければ、おかしなことにも気付けないということだ。ぼくには元々インストールされていた価値観だが、それがない人たちは、自分たちの行っていることに間違いなはいと思っている。それが大分歪んでいることだとしても、正しさの物差しがひとつしかないのだから、歪んでいるように見えないのだ。

 そういう人たちに、自分たちの力だけで問題に気づき、それを修正していけというのは難しい話であるし、渦中にいる人物にとっては今すぐにでもなんとかしたい問題だったりする。女性の扱いについて、集落全体の納得を待っている間に、姉はあらゆるチャンスを失うだろう。

 憂鬱に染まりそうになるが、今のぼくにはニーリアスが示してくれた可能性がある。

「姉の名前については、ニーリアスに『改宗すればいい』とアドバイスをされたので、ナクタに相談しようと思っていました。ムスタさんからも口添えしてもらっていいですか?」

「それはもちろん! でも、お姉さんは納得してるの?」

「まだ話してはいないのでわかりませんが、大丈夫だと思います。多分、もう集落に戻りたいとは思わないだろうし」

 姉はぼくよりもずっとしっかりしているし、意思が強い。どうやってその精神を養ったのかはわからないが、あの環境にいても己の意思を貫ける鋼の精神がある。

「ご家族はどうなんだい? お父さんは、それでも構わないのかな」

「父は理解があるほうなので大丈夫だと思います。問題は長兄ですが、まあ、保守派ではあるので、父の権限の方が上であることは理解できると思います」

 そう考えると、父が元気なうちに事を済ませなければならない。ぼくの集落では五十歳ともなれば老齢に入る。前世ほど長命ではないからだ。

「お姉さんに意思を確認して、改宗に抵抗がないならすぐにでもできるよう手配しよう。なんなら、人物鑑定ができるヤツを紹介もできるし」

「本当ですか! ずっと探しているんですが、なかなか見つからなかったので紹介していただけると嬉しいです」

 探し求めていた人物に行き着いた興奮で、ぼくは思わず立ち上がった。できる事なら走り出し、今すぐ姉に伝えたいところだ。こんなにとんとん拍子に話が進むなんて、ニーリアスの時にも思ったが、願望は口にしたほうが良いのかもしれない。

「ああ、なんと言ったらいいか。こんなに胸がいっぱいになるのは初めてかもしれないです」

 飛び跳ねたいような気持ちになるなんて、前世を合わせてもなかったような気がする。ぼくの人生はいつだって灰色で、変化がなく、いつも平温であったから、ひどく嬉しいこともなければ、その逆もなかった。

 いつもどこか他人事なのだ。自分の人生というものに対して。どうにかしたいとあまり思っていない。なるようになるしかない、とも思っている。いや、どうにかできるという感覚に乏しい、のだろう。自分の人生は自分でなんとかしなければどうにもならないと、わかっていながらどうしようもないと諦めている。

 そのぼくにとって、姉の抱える問題が、一番の自分ごとだったのだと思う。姉の境遇のおかしさに気付けるぼくが、どうにかしなければならないという使命感があった。ようやく目処が立ったという喜びが、腹の底を騒がしくする。

「死ぬわけにはいかないなぁ、って、初めて思いました」

「は、初めて?」

「はい。前世でも、今生でも、初めてです」

 一度死んでいながら、生き直す機会を得ていながら、今初めて、生きているという実感を得たような気がする。

 座り直してからも身悶えするような気持ちで、落ち着かない。他の人はこういう気持ちで日々生きているのだろうか。これはこれで、かなりエネルギーが必要で大変そうではある。

「みんな、こんな気持ちで生きているんでしょうね。凄いな」

「まあ、言いたいことはわからないでもないが、初めてっていうのはなかなかだねぇ」

 ムスタが呆れたように言った。

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