三十四通目 暗転

 四層を青、五層を無彩色とするならば、六層は橙色だ。

 植物などは生えておらず、赤から黄色系統の濃淡のある壁がどこまでも伸びている。

植物を育てる土壌としては適していないのだろう。

 壁は直線的ではなく有機的なうねりがあり、先を見通すのは困難だ。

「このまま真っ直ぐいくと、奥のタシサがあって、その先に亀裂がある」

 道は緩やかな下り坂になり、時折暖かな風が吹き上げてくる。セルセオは亀裂からの降下に挑んでいると聞いたが、かなりの暑さなのではないだろうか。

「ここから先はわかりにくくなるから、はぐれないように」

 ムスタが探知機を作ってくれたのは、そのためなのだろう。ピュリスの言葉に頷き、ウィスクの進む先を見る。大きく膨らんだ空間から、道がふたつに分岐しているようだ。

「亀裂側に進むと温度が上がりすぎてかなわんので、逆に進む」

 デラフの言葉に頷きながら、その後について行く。こちらもやはり直線の通路ではなく、距離を詰めていないとすぐに見失いそうになる。

「止まって」

 後ろから腕を引かれると同時に、空間のどこかに変化があったのを皮膚が感じた。

「魔物だ。上に張り付いていて、通ると落ちてくる」

 落ち着いたピュリスの声に、ぼくは心を落ち着かせたまま少し屈んだ。

「どうしたらいいですか?」

 通路は狭く、立ち回るだけの広さはない。非戦闘員のぼくはできるだけ隅にいたほうがいい。

「ウィスクが消し去ったから何も問題はない」

 退避行動を取ろうとしていたぼくを、珍しいもののような顔でピュリスは見た。デラフもナクタも構えた様子がないことから、彼らにとっては注意を向けるほどの敵ではないのだろう。何事もなかったかのように歩き出す。

 意識する前に消されてしまった魔物だが、六層の魔物にはまだ出会ったことがない。どういう種類の魔物がいるのか気になったので、誰にともなく尋ねてみることにした。

「どんな魔物なのですか?」

「石塊のような形だな。人が通過すると落ちてくることから、アフミミネンと似たような生体だと思うが、アレと違って軟体ではないんだよな」

 アフミミネンは三層にいるスライムの一種だ。レモンゼリーのような見た目をしている軟体生物なので、石塊のような魔物と似ていると言われてもピンとこないが、冒険者は見た目よりも行動で魔物を仕分けているのかもしれない。

「調べたりはしないのですか?」

「それが目的のリュマはしてるんじゃないかな? オレたちは今回、構造の把握を目的にしているから、魔物については優先順位が低いんだ」

 ぼくは驚きの声をぎりぎりで飲みこんだ。

 ナクタがタジェサの発見に重点を置いていることは聞いていたが、魔物の調査をおいてまでとは思っていなかった。ぼくが知る限り、冒険者が最も興味を持っているのは魔物だ。金になるというのが大きいだろうが、新種を発見し、攻略することについても関心を持っているものだ。

「構造の把握と魔物の調査は相性が悪い。魔物調査をするとなると、階層の移動が多くなるからな」

 ぼくの表情を読んだらしいピュリスが説明してくれたが、それにしても、だ。

 先程の石塊のような落下してくる魔物といい、吸血した上に麻痺までしてくる虫のような魔物といい、まだ名前すらついていないものがいるのが六層だ。同定される魔物がいなければ、最初の発見者として名前をつける権利も得られるかもしれないというのに無欲なものだ。

 無欲、というより、欲張る必要がない、というほうが正しいのかもしれない。

 ナクタは王家に連なる者であるのだし、そんな彼とともに行動するピュリスやウィスクも名家の子息である可能性が高い。そうでなかったとしても、血統正しきナクタとともに冒険した仲間としての名声を、すでに得ている。

 とすれば、魔物の発見者として名を残すことなど、さして興味もないのだろう。持てる者の余裕というやつかと思うと、腹立たしい気持ちになってきた。

 何も望まなくても全て持っている彼らに比べ、ぼくらはどうだ。自分のものではない重い荷物を背負い、危険な場所をほぼ丸腰で歩く。食事を整え、場合によってはケアもしてやり、自分のことは二の次にして雇われたリュマのために尽くすのに、魔物のカケラですら売ることができない。

 なんだかやりきれない気持ちになってきて、ぼくは奥歯を噛み締めた。そうでもしないと、鬱憤を叫び散らしそうだ。

 デラフの踵だけを追って歩きながら、ぼくは胸に渦巻く感情をなんとかしようと試みつつも、飲み込まれて無口になっていった。

「ソウ?」

 ナクタの声が急に耳に入ったが、気づかなかったフリをして先に進んだ。

「ちょ、ダメだ、どこに行こうとしてんのさ!」

 ウィスクの緊迫した声が聞こえて顔を上げ、ぼくは愕然とした。

 つい先程までデラフの踵を追っていたはずなのに、何故か真っ暗闇にいた。本当の暗闇で、自分の手指も確認できない。

「な、んだ、ここ?」

 口から転がり出たのは懐かしい日本語で、慌てて口を押さえたが、近くにあった人の気配は全くない。誰の声もしないことから、ひとりきりなことを理解した。

 瞬間、心臓がギュッと収縮して止まったような気がした。頭の先から腰まで一気に熱が落ちて行くのがわかり、膝の力が抜けて尻餅をついてしまった。

 状況を飲み込めず、狂ったように早鐘を打つ鼓動に飲み込まれてしまいそうだった。

 狂乱に陥ってしまえば、助かる可能性は乏しくなる。ぎりぎり残っている理性を必死でかき集め、ぼくは手の甲を強く噛んだ。

 痛みが意識を現実に留めてくれている間に、首から下げている巾着の中を探り、ダクパを取り出して咥えた。火をつける余裕はないが、何もしないよりはマシだ。独特の匂いが鼻を突き、それが正気を呼び起こしてくれた。

 何故ここにいるのだろうか。

 どこ、ではなく、何故に切り替えて、直前のことを思い起こした。

 デラフの後を追っていたはずが、急にここに来てしまった――としか感じていない。つまり、落下したような感覚はなかった。どこにも痛みはないので、穴に落ちたりしたわけではなさそうだ。

 大きく息を吐き、咥えたばかりのダクパを手に取り、周囲の匂いを嗅いでみる。魔窟は、階層によって匂いが違う。

「まずいな」

 嗅覚は、甘い匂いを捉えてしまった。

 六層は、乾いた土の匂いと、鉄錆臭い風が吹く場所だった。植物は生えておらず、瑞々しい気配もなかった。のに、今いる場所には、花か果実、それと水の匂いがしている。

 ぼくは再びダクパを咥え、再び巾着の中を探った。指先に意識を集中させ、火付けの道具を探すことに専念する。探し出した道具で、ダクパに火をつけ、注意深く周囲を照らした。

「そんなものは終いなよ」

 突然話しかけられて、ダクパを噛み締め、火を消した。苦みが口の中に広がり、不快感に顔を顰める。

「怯えなくても、何もするつもりはないし、おれはすぐに出ていくよ」

 呆れたような声は若い。若いというより子どものようだ。ぼくの肉体とそれほど変わらない年齢のように思える。人がいることは間違いないと思うのに、言葉以外の存在が感じられず、薄気味悪さを覚えた。

 声の主はぼくと交流するつもりはないようで、こちらに近づいてくる様子も、話しかけてくることもなかった。

「それじゃ、せいぜい楽しんで」

 暫しの沈黙の後、別れの挨拶にしては意味深長な言葉を明るい声で伝えられ、そのすぐ後に、先のほうにぼんやりとした光が現れた。

 様子を見るためにじっとしていたが、何かが動く気配は感じられず、先程の声の主の存在も、全く感じられないままに時間が過ぎた。

 あまりに変化がないので、ぼくは慎重に立ち上がり、体を低くしてぼんやりとした光のほうにゆっくりと近づいた。

 近づくにつれ、光の近くに草が生えているのがわかった。光が妙な動きをするのは、すぐ近くに水面があり、それに反射しているからだというのもわかった。

「本?」

 光の元は本だった。文庫ぐらいの本が淡く光っている。魔導具の類なのだろうか。

 思わず手を伸ばすと、本が強く光り、その発光が周囲を明るく照らした。

 急激な明るさに目が慣れず、視界が白く塗りつぶされてしまう。その明るさに耐えられず、目を瞑る。

 視界を失い、体勢を崩して膝を強かに打ってしまい、瞼を開けると、そこはまた暗闇になっていた。

「どうなってんだよ」

 地面に手をつくと、そこにはあったはずの草はなく、ざらついた砂のような感覚だけがある。

 再び混乱に陥りそうになるのを堪え、事実だけを繋げるのに注力する。ざらついた砂のようなものには覚えがある。六層の壁に触れた時と同じものだ。

「戻ってきたのか?」

 とはいえ、六層にいるというだけで、見知った場所にいるわけではないのは自明だ。ナクタたちはいないし、周囲は暗闇に塗りつぶされている。

 それはつまり――

「――未踏の地か」

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