三十三通目 最初の灯り
翌朝、迎えに来たナクタとウィスクに、ナビンは極めて低姿勢にぼくの無事の帰還を願っていた。ふたりは力強く請け負ってくれたが、ナビンのぼくを見る目は悲しげで、悪いことをしているような気持ちになった。
「行ってこい」
ニーリアスがぼくの背中を力強く叩く。咽せそうになり軽く睨んだが、ニーリアスもまたいつもよりも表情が固かった。
ぼくはそれを見ないフリで、軽く手を上げて「ドゥケ」と言って背中を向けた。
自分が思っているよりずっと、ナビンとニーリアスはぼくの身を案じているのだと知って、複雑な気持ちになった。
進学のために家を出た日のことを思い出す。あの時の両親の表情によく、似ていた。
当時のぼくは両親の心中など微塵もわからなかったし、新たな人生の門出に喜びと期待しかなかったけれど、今では大人の視線も持っているので、彼らの心中が多少なりとも想像できてしまう。
大切にされていることを実感して気恥ずかしくなるし、見た目通りの精神年齢でないことを隠していることを後ろめたく思い、要らぬ心配を抱かせていることに申し訳なさを感じてしまう。
チャムキリや冒険者に対して、ぼくらが何かを直接願うなど僭越な行為だ。ナクタやウィスクであったから、和やかなやりとりで終わったが、相手によっては激昂され、最悪の場合は腕の一本ぐらい無くなることだってある。
彼らにとって、ぼくらの命は金で売り買いできるものであるから、存在そのものが軽くみられる。無事を願うなんて、自分たちの腕を侮辱されたと取るヤツもいる。その侮辱には四肢のひとつで勘弁してやると思っているのだ。
ぼくらの仕事に対しての感情というよりは、民族の存在そのものを下に見ているのだと思う。グムナーガ・バガールができる以前よりずっと、チャムキリによって身体の一部を奪われたという人が集落にいる。
そういう背景があるのに、ナビンはぼくの無事をナクタとウィスクに願ってくれた。昨日一日一緒に行動して、彼らの人柄を知ったから大丈夫だと思ったのかもしれないが、それでもかなりの勇気が必要だったことだろう。
与えられている気持ちの大きさを知ってしまったがために、うまく気持ちを処理できなくなったのだった。
「ドゥケ! ソウ!」
タシサの出入り口に近づくと、ムスタが妙に高揚した様子で手を振ってきた。
「ソウと一緒に探索できるって聞いて、頑張って作っちゃったよ! ちょっと血液を貰ってもいいかな?」
嫌とは言えない雰囲気に押され、差し出された手に自分の手を預けると、ムスタはぼくの袖を捲りあげ、肘に近いところを薄く切った。
「指先は痛いからね。こっちの方が多少マシでしょ」
溢れ出した血液をガラスのような棒で掬い取り、いくつかの小さな円い石に塗りつけた。それらの石を台座に嵌め込むと、そこにいたリュマの面々に配った。ぼくの傷口は、ナクタが指でなぞるとたちまち消えてしまった。
「万が一はぐれてしまった時のために、魔導具を作りました! 離れた場合、この石が強く光るようになっています。そして、距離が近づくにつれ、明滅が激しくなります」
「えっ、なんで血液を貰ったのさ。これなら魔力貰えばできるでしょ」
「わかってないなぁ。ソウは『適性証明』を持っていないって言ったのは君たちだろ」
ムスタに言われて、ウィスクは思い出したような顔をした。そして、ぼくに申し訳なさそうな視線を投げた。
「だから夜更かしして血液で登録できるように改造したんだ。いやぁ、我ながらよくやった! えらいえらい!」
妙な感じなのは寝不足のせいなのかもしれない。皆は渡された魔導具を首から下げたり、腕に装着したりして、ムスタの言動を受け流している。
「そういうわけで、俺はお留守番です。チクショウ!」
懐かしい捨て台詞を吐いて、ムスタは両手で顔を覆って嘘泣きをして見せた。どうやらリュマの中では賑やかし担当のようだ。
「『チクショウ』っていうのは、ムスタの鳴き声だから気にしなくていいよ。別に意味なんてないんだから」
ウィスクが冷めた目をムスタに向けて説明してくれた。ぼくが言葉を習得しようとしているのを察しての助言なのだろうが、チクショウの意味はここにいる誰よりもわかっている。
しかし、知らないことになっているので、ぼくは戸惑った表情で頷いて見せた。
「それじゃぁ、出かけるとしようか」
ピュリスが一同を見渡すと、それぞれが頷いた。それに倣ってぼくも頷くと、ウィスクが「お先に」とぼくの肩を軽く叩いた。
「順番はこの間と同じく、ウィスク、デラフの後にソウで、ピュリス。オレが最後」
ナクタの言葉に頷いて、歩き出したデラフに続いた。
今回は前回と違ってとても身軽なので歩きやすい。大きな荷物は必要ないと言われたので、布包みを腰に巻いただけだ。ベルトには家族からもらったナイフを一応つけてはいるが、六層の魔物をこれでどうにかできるとは思っていない。
そして服装もかなり薄着だ。六層は温度の変化が激しいので、暑さに対応できたほうがいいとナビンに言われた。仮に動けなくなったとしても、凍死するような気温にはならないといわれた。重要なのは水分のほうで、思ったよりも汗をかくので調整を上手くしろとのことだった。
こんなに何も持たずラクシャスコ・ガルブを歩くなんて、初めてのことだ。身軽すぎて逆に不安になってくる。
「あ、これ、あげようと思ってたんだ」
ナクタに渡されたのは、文庫のような大きさの箱だった。用途がわからず首を傾げると、ナクタが長辺の一部を指で押した。すると半分の高さで箱が開き、濃紺の地に白い線で方眼に区切られた面が出てきた。
「ムスタが作った魔導具で、指で押すと少し凹んで色が変わる仕組みになってる」
ナクタが説明しながら指を滑らせると、触った部分が明るい水色に変化した。
「これで歩いた場所を記録できるんだ。記念にあげるよ」
「こんな立派なもの、ダメですよ」
「ニーリアスに聞いたけど、ソウは誰よりもラクシャスコ・ガルブに詳しくなりたいんだろ? だったらもっと、貪欲にならないと」
「遠慮ならしなくてもいいぞ。我々はムスタが改良したものを使っているから、それはもう使っていないからな」
ピュリスに言葉を添えられてしまっては仕方がない。ありがたくいただくことにして礼を述べる。ナクタたちには世話になりっぱなしであるし、ニーリアスにも何かと迷惑をかけているような気がして、ますますもって後ろめたさが勝ってくる。
「大体六歩にひとつ、灯りとなるものを設置するというのが、魔窟共通の慣習となっているんだ。そういうものを目印として記録していくとわかりやすいものになるよ」
顔を上げて眺めてみれば、通路には灯りが設置されていた。曲線を描く通路となっているが、灯りの連なりは等間隔であるように見える。
「六層の灯りも、そうなっているのですか?」
「そうだな。竪穴の落下地点を基に、六歩ずつ置いてある」
「最初にここに来たリュマが置くのですか?」
今まであまり深く考えていなかったが、誰かが置いたから灯りがあるのだ。勝手に測量時に設置しているのだろうと思っていたが、測量を終えていない五層にも六層にも灯りはある。
「設置する余裕があれば。でも、灯りを置くのは冒険者にとって名誉ある行為だから、できるだけ置きたい気持ちはあるものだろうな」
「名誉、ですか?」
「特に最初の灯りはね。ちょうどいい。これが六層に設置された最初の灯りだ」
ナクタが示したところを見ると、壁にグラフィックアートのような図形が描かれていた。図形の一部が光っているところを見るに、発光の魔法図なのだろう。しかし、その光量は弱く、周囲を十分に照らすには足りていない。
「こっちが魔法図で、こっちが設置者かリュマの名称だね」
「なるほど。名前を残していいんですね」
「残しても残さなくてもいいんだけど、最初のひとつは大抵署名がついてるね。深くなればなるほど、残されるから」
「浅いと残されないのですか?」
言われてみれば、今までこういった印を見た記憶がない。覚えていないだけなのか、見ていないのかは曖昧だ。
「浅いところだと、消されることが多いからなぁ。深くなるにつれ、そこに到達する人間は限られてくる。深みを知る者は、最初に足を踏み入れたリュマへの尊敬の念を持つものだからね。感謝こそすれ、消すなんてことはしないよ」
言わんとすることを理解して、ぼくは深く頷いた。浅層にいる冒険者よりも六層にいる冒険者のほうが人間ができている率が高い。例外がないわけではないが、有象無象が蠢く浅層に比べたら出来た人の方が圧倒的に多い。
それは単に経験値の差というだけでなく、素質によるところが大きいのだろう。すぐに着火してしまうような浅慮な者は、深層に到達する前に敗退することになる。
深度が増すごとに地上は遠くなり、自由から遠のいていく。四六時中同じ顔ぶれと行動を共にし、強い緊張を維持したまま過ごさなくてはならないのだから、強い精神力と協調性がなければやっていけないのだ。
他の魔窟も踏破してきたというナクタたちは、きっと強い信頼関係ができているのだろう。その輪の中に、ぼくという異物がいていいものなのだろうかと、ふと、不安になった。
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