三十通目 過ちをかざる勿れ

 翌日、返事を求めて現れたウィスクに、ナビンに相談するまで待って欲しいと伝えた。ナビンがぼくの兄貴分であることも伝えると、不服そうに唇を尖らせたものの理解してくれたようだった。

 朝食を終えたウィスクが去り、後片付けを始めると、水音で誤魔化すようにニーリアスが話しかけてきた。

「伝えたか?」

「うん。ナビンに相談するって伝えた」

「少しは時間ができたんだ。自分がどうしたいのか、考えてみるんだな」

 その言葉に、煮え切らない唸り声を返すのが精一杯だった。

 ニーリアスがぼくを子どもらしくないというのは、こういう無邪気さのないところなのだろうという自覚はある。あれこれ考え過ぎなのだ、きっと。

 冒険者に限らず、こちらの人たちは割と単純な思考で生きているように思える。ありとあらゆる情報を浴び続けた前世の記憶を持ってしまっているので、自分や周囲の人たちが人生で経験する以上のことを、ぼくは知ってしまっている。だから、妙に慎重になり、老成しているように見えるのだと思う。

 どうしたいのかを考えるより先に、どうするのがいいのかを考えている。それは「無難」を選択したいという、前世の習性が身についているせいだ。自らしがらみを作っているような気がしないでもない。

 大きな視点で考えれば、歩荷よりも金になる仕事を見つけて大金を稼いだほうが、姉や集落のためになるのではないか、とは思う。今まではそんな方法はなかったが、ナクタと知り合ったことによって可能性が広がりそうな気配はある。けれど、何者かになれるかなれないかもわからないままに、近々の小銭を稼がないというのも家族や集落にとっての裏切りなのではないか、とも考えてしまう。

 ケルツェではあっさりと人が死ぬ。死ぬ理由は様々だが、金があれば死なずに済んだだろう事柄は少なくはない。集落の内側だけで生きていた時代にはそれでも諦めがついたのだろうけれど、外を知ってしまった今では、金があれば助かったかもしれないという可能性が過り、無力感を味わうことになる。治療費という大袈裟なものでなく、今日の糧があるかないかという話なのだ。なので、大成して富を集落にもたらす以前に、今日明日の糧を賄える小銭を稼ぐことが重要だったりする。

 そういった現実の中で、自分がどうしたいのかを考えるというのは、心的負担が大きい。だから、考えたくない。

 前世で見た転生もののように、最初からどういう能力があるのかとか、能力が数値化されて見えるとかしてくれれば、多少は楽だろうと思うが、願ってみても絵空事だ。

「ニーリアスは、どうやって生き方を決めたの?」

「簡単な話だ。魔窟が好きなのさ。色んな魔窟に潜ってみたい」

「それなら、冒険者になった方が良かったんじゃないの?」

「そこは色々、な。想定していたのとは違った生き方にはなったが、色んな魔窟に潜るという部分は叶ってるわけだから、上々だろ」

 迷うことなく言い切れるのは、本心から望んで選択してきたからなのだろう。

「色んなヤツに会ったが、楽しそうにしてるヤツは大体同じことを言うんだ。『後悔しない選択をした方がいい』ってな。後悔しないために好き勝手しろ、っていうわけじゃない。無難な生き方だって、本心から望んだなら後悔しないだろうさ。死ぬ時になって『ああ、無難な人生で良かった』って思えたらこの上ないだろ?」

「それはそうだね」

「冒険者なんて、好き勝手にやってるヤツらばかりだと思われてるが、結構後悔してるってヤツが多いのが面白いところだな」

「そうなの?」

「冒険者ってのは、一見カッコいいだろ? 自由に見えるし、上手くいけば大金も稼げて、名前も売れる。そういう輝かしい面だけ見て、冒険者になったヤツは、理想と現実の違いに直面するから後悔しやすいのさ」

 確かに、冒険者というのは若者にとっては憧れの仕事とされているようだ。浅層を探索する冒険者たちは、口を揃えたようにそう言う。

 ぼくにとっても冒険者というのは憧れの仕事ではある。ぼくたちに許される選択肢のどれよりも金になるというのがその理由だが、考えてみればチャムキリには他にいくらでも選択肢があるはずだ。もっと金になって、もっと安全で、もっと栄誉ある仕事はいくらでもありそうだ。

「なんで冒険者になりたがるんだ?」

「理由は色々あるが、一番は憧れる下地があるからだろうな。子どもの頃から神殿に出入りしていると、最初の王様の冒険譚を聞かされるのさ。魔物を相手に方々を彷徨って、聖女と出会い、魔王を討ち倒して、今の生活を手に入れたっていう顛末を聞かされるからな。なんだか、カッコいいだろ?」

 そうなのだろうか。ぼくは首を捻ったが、ニーリアスは構わず続けた。

「それに、各地の魔窟を制覇したリュマは英雄的に扱われるし、彼らの冒険譚を元にした芝居や歌劇も作られる。恵まれた家系に生まれなくても、一発逆転ができる可能性があるのが冒険者だし、若いヤツらにとっては退屈な地元を抜け出して、刺激的に生きたいって願望を簡単に叶えてくれる職業でもあるのさ」

「それは、まあ、わかるかな」

 神殿で『適正証明』を貰えれば、冒険者になるのは簡単なのだろう。これといった試験があるわけでもなければ、簡単に自立できる職業として選びがちなのは想像に容易い。

 前世でも今世でも、若者にとって鬱陶しいものというのに変わりはなく、話のわからない親や大人だ。冒険者であれば大人の指図を受けずに済むので、自分たちの有用性を示せると考えるだろう。

「親やまともな大人は、冒険者になることを反対するしな」

「それはそうだろうね」

 夢と理想の実現で頭がいっぱいになっていると、悲惨な現実というのは都合の悪い騒音として処理されてしまいがちだ。冒険者の訃報を聞いても、自分ごとに考えたりはしないだろう。どこかの間抜けが死んだぐらいにしか思わない。自分はもっと上手くやるし、強いはずだと思い込む。余りある自信過剰。それが若さというものなので、どうにかできることでもないのだが。

「反対されれば燃え上がるというのも世の常だからな。割の合わなさに反して、人気のある職業であり続けるわけだ」

 なるほどなと頷いて、ふと思った。

「だとすると、ナビンは反対するだろうね」

「だとすると、ってのはどういうことだ?」

「まともな大人だからさ。冒険者についていく! なんていうのは、あまりにも無謀だと言うんじゃないかな」

 ぼく自身はそう思っていないが、ニーリアスやナビンからみれば、ぼくはまだまだ子どもだ。若者とすら思ってもらえていないかもしれない。そんなぼくが、六層の探索について行きたいと言ったら、若気の至り、ここに極まれりと、思うだろう。血相を変えて止めそうだ。

「まあ、なあ。普通ならそうだろうが」

 同意するとばかり思ったが、ニーリアスは上唇を突き出すような、変な顔をした。

「ナビンは普通だと思うけど?」

「ナビンは普通だと思うが、おまえさんは普通じゃないからな。正直なところ、オレはあいつらと一緒に行っても問題ないと思ってるし、どちらかと言えば、行ってきた方がいいんじゃないかと思ってる」

「え、そうなの?」

 昨日の口ぶりでは、反対なのかと思っていた。

「ここは魔窟で、安全とは言えない場所だから、安易にいうべきことじゃないことだとは思うがね。その上で、だ。優秀なリュマと行動して、自分の可能性を発見したり、発見されたりした方がいいんじゃないかと思うわけだ」

「自分の可能性、か」

「この間も話したが、おまえにはもっと別の生き方もあると思ってるんだ。俺はな。けど、おまえが他の可能性を考えないのは、見聞の少なさに起因してるんじゃないかと思ったわけだ。おまえはオレの生まれ育った場所でなら、子どもの範疇にいるからな。生きてる時間が短いんだから、そこはどうしようもない」

 鍋の水を切ったニーリアスは腰を伸ばすと、昨夜も使った魔導具を起動させた。

「オレやナビンに言われるより、もっと多くの経験をして、色んな人を見ているあいつらに認められれば、おまえはもっと客観的に自分を判断できるんじゃないかと思ってな」

 まるでぼくがニーリアスやナビンのことを軽んじているかのような言い方に反論しようとしたが、ニーリアスは首を振ってそれを封じた。

「誰に何を言われるか、ってのが、人生では重要なことだったりするもんだ。だから、できるだけ多くの人と関わって、自分というものを理解していったほうがいいのさ」

 何も決められないのは、ニーリアスのせいでも、ナビンのせいでもない。ぼく自身の優柔不断さ――正確にいえば無責任さのせいだ。

 そのせいでニーリアスに無力感を与えてしまったのだとしたら、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。幸いなのは、ぼくの見た目が子どもだということだ。子どもは分からなくて当然だという前提があるから、気分を害せずにいてくれるのだろう。けれどぼくは、子どもであるから許されているのが、情けなかった。

「――行くか行かないか、ちゃんと考えてみるよ」

「無謀なこと言い出したらちゃんと言ってやるから、心配すんな」

 重くなったぼくの声音をどう受け取ったのか、ニーリアスは笑ってそう言ってくれた。

 ナビンが戻ってくるまでに、ウィスクの提案に乗りたいのか、そうでないのかぐらいのことは、伝えられるようにしなくてはいけないと、考えを改めた。

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