二十九通目 選ぶ怖さ

 追い縋るウィスクを「ニーリアスが良いと言ったら」という言葉で納得させ、テントに戻って行ったのを確かめてから、深く息を吐き出した。

 確かに運動不足ではあるし、変わらない風景に少し飽きてもきたが、六層を歩くというのは流石に危険が大き過ぎる。ぼくにとって六層は、初めての場所だ。今までも各層で初めての時はあったけれど、余力を持って少しずつ探索範囲を広めるタイプのリュマを選んできたし、歩荷仲間から情報を集めて備えることもできたが、今回はそういう期間も無いままにここまで来てしまった。心の準備ができていない。

 一日の作業を終え、あとは寝るばかりとなった頃合いに、ぼくはニーリアスに探索に誘われたことを相談しようと口を開いた。

「相談があるんだけど、聞いてもらえるかな?」

「なんだ? 上に用事でもあるのか?」

「いや、そうじゃなくて、シュゴパ・ウィスクから提案があったんだけど」

 言葉を続けようとして、ぼくは口を閉じた。ウィスクが盗聴防止の魔導具を発動したのはどこからだったかと気になった。魔導具を使ったということは、聞かれたくない話であるからなのだろうが、どこを聞かれたくなかったのだろう。

「ちょっと待ってな」

 ぼくの様子を見て、何か悟った様子のニーリアスは胸ポケットを探ると、手のひらほどの大きさの箱を取り出した。簡単な錠がついたもので、蓋を開くと白い光が湯気のように揺らめきながら広がりだす。

「内緒話をするにはこれが必要だろう」

「これも盗聴防止の魔導具? シュゴパ・ウィスクのものとはかなり違うね」

「そりゃぁそうだろう。あちらさんとは懐具合が全然違うもんでね。旧型だがふたりで話すぐらいなら問題ない」

 ぼくは光の揺らめきを目で追いながら、ウィスクからの打診についてを話した。ニーリアスは顎に手を当てて話を聞いていたが、ぼくが視線で答えを求めると軽く唸った。

「ナビンが不在だからなぁ」

 一瞬、何故ナビンの名前が出てきたのだろうかと考えたが、同郷の兄貴分から弟分の面倒を任された気持ちでいるのだろうと合点がいった。ナビンが不在の間に、ぼくに何かあったりすれば、監督責任を問われると思っているのかもしれない。

「ぼくが同行すれば、無茶はしないだろうと思っての提案だから、危なくないとは思うけど」

「まぁなぁ。あのリュマの安定性については疑うところは全くないが、ここは魔窟だからな。何事もないと断言はできんだろ」

 それはそうだが、それを言ってしまったらここにいることだって危険なことだ。ニーリアスは思っている以上に慎重派のようだ。

「じゃあ、ナビンが不在だからと断ろう」

「いやいや、その前に。おまえはどうしたい?」

「別に、どうとも。年長者に従うべきだと思う」

 ニーリアスは眉間に皺を寄せ、渋い顔でぼくを見つめた。答えが気に入らなかったようだ。

「そういう風に教えられてきたんだろうし、それが悪いことだと言う気はないが、ここは魔窟だ。一旦、教えを忘れろ」

「ニーリアスの言いたいことはわかる。でも本当に、どっちでもいいんだ」

「考えるのを放棄するのをやめろ。いくらなんでも、それは楽しすぎだ」

 楽と言われて、複雑な気持ちになった。反発したような気持ちもあるが、理解もできる。苛立ちもあるが、疲れた笑いが出そうな気分でもある。そういう、複雑な感情が胸のあたりにモヤモヤと立ちこめ、なんと言っていいかわからず内頬を噛んだ。

「誰かの言葉に従って、取り返しのつかないことになったとして、おまえは何も思わず生きていけるのか?」

「生きていく?」

 取り返しのつかないことになったら死ぬだけではないかと言おうとしたが、ニーリアスは片頬を引き上げて、皮肉めいた表情を作った。

「死んだら後悔なんてできやしないからな、それはそれで幸せだろうさ。死ななかった時のほうが、よっぽど取り返しがつかないってこともある」

 ぼくを見つめるニーリアスの瞳が、いつもよりも陰っているように思えた。皮肉な表情はそのままだが、ごっそりと色が消えたような気がする。

「自分の判断で死ねるうちは幸せなもんだ。人間なんてのは簡単に死ぬというが、簡単に死ねないこともよくあるのさ。この魔窟って場所では特に、死んだほうがマシだってことが往々に起こる。四肢欠損なんざ序の口、頭だけ生かされて魔物の一部になるなんてこともある。無事回収されて地上に戻ったとしても、一生寝たきりで家族のお荷物になるっていう生き地獄だ。そうなった時、どう思う? 他人の判断でそうなっちまった時、おまえは仕方ないと割り切っていられるのか?」

 淡々とだが、緊迫感の伴った声色で問われ、ぼくは息を呑んだ。ぼくが想像していた最悪の状態は、生きたまま食いちぎられて絶命することだったが、それ以上の最悪があるかもしれないと、腹の底に冷たいものが広がるのを感じた。

「自分の命を自分でどうにもできなくなった時、そうなる原因を作った誰かを、おまえは恨まずにいられるのか?」

 それは、無理だ。何もできなくなった己の身の上を嘆くだけで止めることはできないだろう。命じた誰かを恨み続けるのは間違いない。

「少なくともオレは、おまえに恨まれ続けるのも、おまえをそうしたことを後悔し続けるのも御免だ」

 きっぱりと言い切ったニーリアスは、一旦息を止めると、大きく吐き出して、項垂れるように両膝に肘をついたあと、自身の頬を叩いた。

「――悪い、熱くなった」

「いや、ぼくが悪い」

 ニーリアスの様子から、単なる仮定の話ではなく、過去にあった出来事を思い出させたのだろうと察した。その出来事に直接関わっているのか、そうでないのか、命じた側なのか、従った側なのかといったことはわからないが、苦い出来事なのは間違いないだろう。

 思い出させたことを悪かったと思う一方で、自己判断しろと言われるのは厳しいとも思っている。

 ニーリアスの主張としては、魔窟の中では自分の判断を第一にすべきということだろう。何かあった時、誰かを恨まないように、自分で引き受けられるように、ということだということはよくわかった。

 けれど、それは力がある人の話だろうと、反駁したい気持ちがぼくにはある。

 ニーリアスがどうかはわからないが、ぼくやナビンは何も持たない存在だ。学も無いし、金もないし、力もないし、『適性証明』もない。ただ健康な体があるというだけで、こうして魔窟にいる。何もないぼくたちが、自己判断でできることなどほとんどない。危険な場所に行かないなんてことは土台無理であるし、初めての場所でリュマが崩壊したら、走って逃げ出すのが精々だが、最終的にはそこで終わりなのは目に見えている。

 行動の責任を自分で引き受けろ、ということなのだろうが、そんなことは言われなくともわかっているし、わかった上で魔窟にいる。けれどそれは、冒険者のように無数の選択肢の中から選んだものというわけではなく、これぐらいしかないからここにいるのだ。これぐらいしかないのは、結局のところ何もないからに帰結する。

 では、何もないのは自分の責任なのかとなると、そうではないだろうと腹立たしくなるのだ。恵まれた土地に生まれ育たなかったことを、選択した結果とされるのは納得がいかない。生まれた場所も、時代も、環境も、選べるものではないのだ。

「ナビンに相談するよ」

 ぼくが言うと、ニーリアスは顔を上げてぼくを見たが、緩く頭を振って「それがいい」と言った。気持ちが伝わらなかったと考えているのかもしれない。

「ニーリアスの言いたいことはわかったつもりだけど、ぼくが判断して行動した結果、最悪なことになったら、ナビンは後悔すると思うから」

「――そうだな。きっと、オレもそうだ」

 ぼくを見るニーリアスの眼差しが、先ほどまでと違っていた。何故だか苦笑混じりだ。

「しっかりしてるもんだから、おまえが子どもなことを忘れちまう」

「流石に子どもじゃない」

 唇を尖らせて抗議すると、ニーリアスは息を吐くように笑った。

「子どもだろ、オレの半分も生きてないだろ」

「年齢は関係ないだろ。六層にいるんだぞ」

「おお、それは確かに。子どもと呼ぶのは失礼かもしんなぁ」

 調子を取り戻したようなニーリアスに笑ってみせ、ぼくは寝台に上がった。

「話聞いてくれてありがとう。もう寝よう」

「ああ、そうだな」

 魔導具の蓋を閉めたニーリアスは軽くため息をついて、自身の寝台へと入っていった。

 それを確認したぼくはうつ伏せになり、瞼を強く腕に押し当てて、瞼の裏を見つめた。広がる宇宙空間を凝視しながら、何を考えるべきかということを考えていた。

 ウィスクの提案、ニーリアスの忠告、自分がしたいこと、自分がすべきこと――考えることは沢山あるのに、どう考えたらいいのかがわからなかった。

 ここのところ、どうしたらいいのか、という漠然とした問題が連続していた。「どう」というところに選択肢があるわけではなく、ただぼんやりと行動を選択しなくてはいけない感覚だけがある。

 楽をしすぎているのかもしれない。ニーリアスの言葉が思い浮かび、心が重くなる。楽という言葉の印象ほどに楽観的ではないし、何にも囚われていないわけではないのだが、何かを選び取るということを怠けているような感覚はある。

 選ぶというのは、無数に広がる選択肢を失うことのような気がして、なんだか怖い。

 けれど、人生は選択の連続だということも、わかってはいた。

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