二十八通目 染みついた常識
翌日、奥のタシサから戻ってきたニーリアスに『ベルティカル・コバズロ』について尋ねると「そりゃなぁ」と頷いてから、ぼくを見て、ちょっと首を傾げた。
「歴史の授業でやるから、誰でも知ってる魔窟だろうな」
「行ったことはあるの?」
戻ってきたばかりのニーリアスは、地面に敷いた防水布の上に座り、足の手入れをしている。ぼくは、ニーリアスと共に戻ってきたリュマに振る舞ったお茶の後片付けをしながら言った。
「ないな。とっくの昔に踏破されている魔窟だし、最早生産地みたいなものだからギハラツァばかりだしな」
「ギハラツァ? どういう意味?」
「魔窟で稼ぐヤツを現地でそう呼ぶんだ。踏破後の魔窟は、地元の労働者の仕事場になるってのがお定まりってやつで、冒険者はほとんどいないし、いたとしても地元出身のヤツばかりでな。腕試ししてから他所の魔窟に挑むってのが多い。基本的に地元の人間が生活のために採取したり採掘したりしている。そんな感じだから、余所者がウロついてたらそこそこ目立つわけだ」
踏破された後のことなど考えたこともなかったが、そんな使われ方をするのかと感心した。このラクシャスコ・ガルブも踏破されたのちは、同じような形になるのだろうか。これといって特産品のない場所であるから、働き口ができることは喜ばしいことだ。
「けど、なんで急にベルティカル・コバズロなんだ?」
ニーリアスの疑問は尤もだ。ムスタに聞いた話と、将来への不安を口にすると、ニーリアスは片頬で笑った。
「難しいことを考えるもんだねぇ。まあ、技術の進歩は目覚ましいし、近い将来にはオレたちのような仕事は減るかもしれんが、減るってだけで無くなりはしないだろ」
わかりきったことだというような口調に、ぼくは眉を寄せた。果たして本当に仕事は無くならないのだろうか。前世についての記憶にある一番古い人力輸送の職業は飛脚だが、ぼくが生きている時代には存在しなかった。技術の進歩により、もっと早く、もっと大量に輸送できるようになったからだ。
「無くなりゃしねぇよ。今後魔窟が誕生しないなんてことはないだろうし、そうなりゃ歩荷を連れていくしかない」
「でも、便利な魔導具ができるんでは?」
「そうなるとしても、今すぐってわけじゃない。実用化して、一般流通するまでを考えたらそれなりの長さは必要になる。人ひとりよりも高機能な魔導具が安価なわけないからな」
確かに、安く手に入るようになるまでは、かなり時間がかかるだろう。駆け出しの冒険者が誰しも持っているという時代はまだまだ先になるのかもしれない。とすれば、ぼくたちはまだまだ必要になるということだ。
考え方を変えてみれば、ぼくたちにとっても良いことなのかもしれない。高価な魔導具が買える深層探索者にはぼくたちは不要になるかもしれないが、駆け出しや浅層冒険者にとってはぼくたちのほうが使いやすくなる。とすれば、今までよりも拘束時間も危険度もぐっと下がるだろう。
「まあ、でもな。心配ならば、他の仕事に就くことを考えたほうがいいと思うぜ? 前にも言ったように、別の人生だってあるんだからな」
「無くならないって言ったのに?」
「無くならなくたって、仕事である以上、稼げなければ意味ないだろ? 今以上に安く使われるようになったら、仕事にならなくなるからな。引き際を見極めなくちゃならんし、別の道を探しておくのも生きていくには必要だ。若いなら尚更だな」
ニーリアスは「不安になったなら考え時だ」と、ウィンクを寄越した。重くなりすぎないようにとの配慮なのだろうか。ぼくは苦笑して肩を竦めた。
「ソウ。運動不足じゃない?」
久しぶりに顔を見せたウィスクが、真面目な顔で言った。希望されたツォモ茶を一口飲んだばかりだというのに、どうにも表情が固い、気がした。
「そうですね。タシサの中しか移動してません」
それなりにやることがあるので退屈という気分にはなっていないが、閉鎖的空間にずっといるので気持ちが沈んでいるようには感じる。地上でも同じような毎日を過ごしていたが、自然の移ろいを見ているだけでかなり癒されているのだと感じる。タシサの中で見えるものといえば、テントや土塊ばかりだし、雨や風といった変化もないので刺激が乏しいのは否めない。
「だよね、だよね? 運動したいよね?」
したいとは言っていないがと思いつつ、どうしたのかと小首を傾げると、ウィスクは指先でぼくを呼んだ。近づけということだろうと理解して、近寄ると二の腕を掴まれた。
「次の探索、一緒に来てくれない?」
「は? 一緒にですか?」
頷くまで離さないといわんばかりの腕力に、ぼくは恐る恐るウィスクの顔に目をやった。真顔は真顔なのだが、何やら必死な様子が伝わってくる。
「落ち着きましょう。何故です」
「ナクタとピュリスが険悪でさぁ。ほんとやんなるよー」
大きなため息をついたウィスクは、ぼくの二の腕を掴んだまま話し始めた。
「ナクタから、まやかし回廊については聞いてるだろ? 今回の探索で、怪しいところは大体見てさぁ、残ったのがまやかし回廊の温度差があるところだけなんだよね。ナクタはそこに行こうって言うんだけど、ピュリスが大反対なんだよ」
まやかし回廊というのは『戻らずの通路』のことだ。ナクタはそこに六層のタジェサに繋がる道があると思っていると、ぼくにも語っていたが、今回の探索でかなり絞ったようだ。
「そこに通路があるなら、行けば良いのでは?」
「そうなんだけどさぁ、色々まずいみたいなんだよねぇ。今回はセルセオの潜行隊としてここにいるわけ。主役はセルセオって決まってるんだよ。なのに、未発見のタジェサを見つけちゃったら、主役が変わっちゃうじゃない?」
セルセオのほうは芳しい報告がないままだ。膠着した状況を打破したとなれば、話題の中心が変わってしまうのは想像できる。
「ナクタはほら、ご存知の通りだし? 面倒なことになるかもしんないって思うとさぁ。ピュリスが反対なのもわかるわけよ」
「シュゴパ・ウィスクも反対なのですか?」
「まあねぇ。普段だったら全然いいんだけど、面倒臭いのはさあ、ヤなんだよねぇ」
そこで言葉を切ったウィスクは周囲を伺うように首を伸ばし、左手の人差し指に嵌めた指輪を捻った。するとそこを中心に球状の青い光が大きくなっていき、ぼくとウィスクを包んだところで止まった。光の球が固定されたのを確認したウィスクは「盗聴防止の魔導具だよ」と説明してくれた。
「セルセオについて、詳しくは知らないけど、これだけの人数を招集できる能力を考えると、あんまり良い奴でもないんだろうなって思うんだよね。大きな金を動かす能力って誠実さとは違うものがあるからさぁ。となると、あまり対立しないほうがいいんだろうなって思うわけよ。特に、ナクタは大っぴらにしたい立場じゃないわけだしね」
聞かれたくない話をするのだろうなとは思ったが、悪口にならないギリギリのところを攻めてきた。見た目通りの年齢ならば、ポカンとした顔をするべきだろうと顔を作ったが、ウィスクの懸念もよくわかった。
ナクタと話した時も思ったのだが、セルセオは山師のようなところがあるように思う。ここでいう山師とは、詐欺師紛いの人物のことだ。
セルセオは亀裂を使って下層を目指そうとしているが、ナクタたちのように怪しいところを探りながら、順当にタジェサを見つけ、踏破していくという方法もある。セルセオたちに大きな動きはないようであるし、ナクタたちはタジェサに繋がりそうな通路を見つけているとなると、順当に進めたほうが下層に行くのが早いように思える。が、その方法をとらないところを見るに、演出が好きなのだろうと予想できる。できるだけ派手に、他の人がやらない方法で、かつ効率的に、というのがセルセオの考えているところなのではないだろうか。
「まあ、ピュリスが反対しているのは他にも理由があって、ナクタの仮定はちょっと合わないんだよね」
「何が合わないのですか?
「階層に対して、仕掛けが複雑すぎるってこと。どれぐらいの階層があるのかはわからないけど、今のところ十層以下の魔窟は存在してないし、ここが例外ってことはないと思うんだよねぇ。となると、六層のタジェサなんて、普通は簡単に見つかるんだよね。複雑にするほど魔物の知能が高くない、はず」
「えっ。魔物の知能と関係あるのです?」
魔物の知性と階層の複雑さに関係があるというのは初めて聞く話だ。
「当たり前でしょ。魔窟って、なんだと思ってんの?」
魔窟が何かなんて、きちんと考えたことがなかった。勝手にできる、謎の空間という認識だったのだが、意味があるのだろうか。
「魔窟ってのはさ、魔物の巣なわけ」
「巣? ってことは、家なんですか?」
「そうそ。魔物にとって魔窟は住まいなわけよ。そう考えれば、わかるでしょ。地上に近いよりも、深い場所にあるほうが安全な家なわけ。でも、全員がそこに住めるわけじゃないから、場所の取り合いになる。結果、負けた弱い奴がどんどん地上に近い場所に移動するってこと」
ウィスクの説明にハッとした。言われてみれば納得な理由だったけれど、そこに考えが至らなかったのは、確実に前世の記憶が影響していた。
ゲームでは最初に登場する敵は弱いものであるし、どんどん強くなっていくのが当たり前だからだ。こんな場所に身を投じながらも、ゲームの世界観を当たり前のこととして考えていたことに、物凄く驚いた。
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