二十六通目 近接

「あの」

 その二音を耳が拾った瞬間、ぼくは文字通り飛び上がった。そのまま何度か飛び跳ねた後、驚きと羞恥で二度死んだ、感じがした。生きていることが不思議なぐらいだ。躍動感のある死体であるところのぼくは、表情を作れないままで振り返った。ぼく以外にタシサに人がいるなんて思ってもいなかったものだから、完全に油断していたのだ。

 そこには赤髪の男が立っていた。やけに背が高く感じるのは、横幅がないせいだろう。

「いや、ごめんごめん。驚かせるつもりはなかった」

 笑いを噛み殺しながらの謝罪は謝罪になっていないように感じるが、ぼくだってぴょんぴょんと飛び跳ねる死体を見たら笑ってしまうと思う。ので、男に罪はないと思い込むことにした。

「何か、ご用ですか?」

 訊ねながら、こんな人物をタシサで見かけたことがあっただろうかと訝しんだ。

 赤髪は特別珍しいことではないが、色合いとしては目立つほうだ。そしてこの長身とくれば印象に残りそうなものだ。

 タシサはそれほど広くはない。決められた範囲の空間の中で、十日も過ぎれば全員の顔は覚えてしまうものだ。特徴のある男の姿を覚えていないわけはないので、絶対に初対面だ。

「生憎、全員出払っておりまして。ぼくにできることならば、お手伝いしますが」

 自分の言語能力には限界があるというのを示すように伝えると、男は首を振った。上手く伝わらなかったのだろうかと思っていると、「おまえさん」と、観察するような目を向けながら男が声を顰めた。

「『前世持ち』だろ」

 唐突ではあったが、そういう質問をされる日が来るかもしれないということは想定していたので、用意しておいた芝居を打つ。

 二、三度瞬きをしてから、口元に手を当てて笑う。

「ふふ、まさか、そんなわけないじゃないですか」

 ここで饒舌にならないことが重要だ。やましさを抱えた人間は、居心地を整えようと喋りすぎてしまう。

「ええっ! ここで否定する? 嘘だろ」

 男は本気で驚いたような顔でぼくを見返した。想像が外れたことを取り繕っているというより、本当に否定されるとは思っていなかったという様子である。

 ぼくは不思議そうに小首を傾げて見せながら、どうしたものか、と考えた。

 男は何やら確信を持っているようであるが、ぼくとしては『前世持ち』であることは伏せておきたい。記憶があるといっても、この世界に革命を起こせるほどの何かを持っているわけではないからだ。下手に期待させるのも悪いし、期待されても困る。

「さっきの歌、前世で流行ったヤツだろ」

 言うなり、男はぼくが口ずさんだメロディを歌詞付きで歌い出した。すっかり忘れてしまっていたが、聞いてみれば思い出す。優しく、懐かしく、少し寂しいものだった。

 うっかりすると涙腺が緩んでしまいそうになるが、グッと堪えた。泣いたら、認めてることになってしまう。ぼくは考えることで意識の階層を変えることにした。

 男とぼくが同じ歌を知っているということは、二世代程度の幅の中で重なっている可能性がある。ぼくの感覚では流行った覚えはない。流行歌だったものが定着したから知っている、という感覚だ。ということは、男の方がぼくより古い時代を生きていた可能性がある。

 それはともかくとして、ここはどう誤魔化すべきだろうか。冒険者に教えてもらったとでも言えばいいだろうか。だが、この男がここにいるということは、腕の立つ冒険者だということだ。冒険者というのは一度興味を向けたものには、よほどのことがない限り興味を持ち続けるものだ。そして執念深く、追い詰めるのに長けている。下手に誤魔化せば、退路を失うことになる。

「――あなたのリュマは?」

 曖昧な問いを投げると、男はぎゅっと目を瞑り、眉間を摘むようにした。

「それは、大変、言いにくいのだけれども」

 唸るようにそう言って、言葉を止める。苦悩しているように見えた。思いがけず、上手いこと話題が逸れたなと思ったのも束の間、男は薄目でぼくを見て「申し訳ない」と呻いた。

「いや、君がどうとかこうとか、そういうことではなく、問題は俺のほうにあって、君は全く悪くないんで怒らないで欲しいんだけれども」

 長々と言い訳めいたことを口にして、男は大きく息を吐いた。

「リューネナクタと同じリュマに所属しております、ムスタ・トラディンと申します。以後よろしくお願いしたく存じます」

 勢い良く頭を下げられて、ぼくは思わず後ずさった。圧が凄い。が、ナクタのリュマならこれぐらいの個性がないとやっていけないだろうなと納得もしていた。

「シュゴパ・ムスタ」

「呼び捨てでお願いします!」

「あ、ああ、はい。ムスタ。どうして、先ほどから謝るのです?」

 ナクタにもウィスクにも断られているので、もはや呼び捨てにすることに抵抗がなくなってきた。言われたままに呼びかけ、問いかけると、ムスタは小さくなりながら答えた。

「避けていたからです! 大変申し訳ない!」

「道理で」

 思わず口にしてしまうほどに納得した。避けられていたならば、見たことがないのも頷ける。

「怒らないのかな?」

「別に、怒ることでもありませんし」

 ナクタたちの影響なのか、それとも『前世持ち』だからなのか、身分の差を全く気にしていないようだ。チャムキリがぼくたちにキレることはあっても、ぼくたちがチャムキリに対して怒りを表すことはない。もちろん、腹が立つことはあるし、仲間内で愚痴りはするが、それをチャムキリに見せたところで得られるものは何もなく、失うものは大きいのだ。

「あなたが不快になることをぼくがしてしまったのでしょう。謝るのは、ぼくのほうです」

 軽く握った拳で二度額を打つという、このあたりの謝罪を示す動作を見せると、ムスタはオロオロと居心地な様子を見せた。

「いや、違うんだ。よく知りもしないのに、出来すぎた子ども怖い、と思っただけで、君が気にすることは本当に、全くもって、ない」

 こちらに手のひらを見せて振りながら、ムスタは再び眉間に手をやった。

「君が『前世持ち』ならその年で出来すぎた思考を持っていてもなんら不思議じゃないものな。なんせ、人生二周目なわけだし、前世の濃度はこっちの三倍ぐらいあるし」

 ムスタは完全にぼくを『前世持ち』にすることにしたらしい。強く否定するのも違うのではないかと、否定はせずに流すことに決めた。

「ムスタは、探索に行かないのですか?」

「ああ。俺は留守番が得意なんだよ」

 冒険者としてそれはどうなのだと思ったが、追及するのも変なのかもしれないと、理解したというように頷いて見せると、「いやいや」と自分で自分の言葉を否定し始めた。

「俺は戦闘よりも魔導具の改良の方が得意でね。仲間が快適に探索できるように色々作ったり改良したりしてるわけよ。目下の急務は『適温を保つ装置』なんだよね。ここ、寒暖差激しいから」

「寒暖差、ありますか?」

「タシサはずっとこんな感じだけど、この階層は奥に向かうにつれて温度が上がるんだよ。結構、大きく変わるもんだから、バテやすいんだよね」

 ムスタが考えているのは、タシサで使うものではなく、移動中に使うものだったようだ。エアコンのようなものを想像していたが、どちらかといえばファン付きの作業着のようなものなのかもしれない。防具の下に装着するとなると、ファンではどうにもならなそうだが。

「なるほど。あ、でも、それより『温度の違いがわかる何か』を先に考えた方が良いのではないですか?」

「何故? 温度の違いは体感でわかるだろ?」

「ナクタが『戻らずの通路』に興味があるのは知ってますね? 二歩ぐらいの短い距離だけ、温度が変化すると言ってました。そこに、別の場所に行く鍵があるんじゃないか、と考えているみたいです」

「初耳だ」

 不服そうに唇を尖らせつつも、思考は別のところにいっているようで、瞳がうつろになっている。温度変化を捉えられる装置について考え始めたのだろう。

 心ここに在らずならば、『前世持ち』云々の件は有耶無耶になってくれそうだ。

 大人しくテントに戻ってくれれば良いのだがと思いながら、ぼくはぼくで仕事でもしようと桶から水に浸けて柔らかくしたベルを取り出した。青紫の蔓は毒々しい色合いだが、外皮はしなやかで丈夫なので、剥いで縄にする。芯の部分は縦に裂ける性質があるので、手頃な厚みにして籠などを作る。縄や籠は、持ち込むには嵩張るので、現地調達することが多い。

 普段の生活でも、必要なものは自作するのが基本だ。前世のように売り買いできるものではないので、必要とあれば作るしかない。母の作る籠は繊細で、編目も工夫して独特な模様を作り出したりしているので近所で評判だ。街に持っていけば売れるのではないかと思うが、提案しても父も母も、集落の誰もが笑って相手にしてくれない。街にはもっと良いものがあると、彼らは思っているようだ。

 そういうものだろうかとぼくは思う。

 もっとずっと都会に生きていたけれど、あれほど見事なものを目にしたことはなかったのだけれど。

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