二十四通目 冒険者とは
タシサでのぼくの役割は、冒険者に食事や飲み物を提供することと、掃除を含めた衛生管理だった。
知らなかったが、ぼくの入ったリュマで食中毒が出たことがないのがナビンたちのあいだで話題になっているのだそうだ。前世では当たり前だった衛生観念もこちらでは潔癖を通り越して、理解されない域にあったりする。
こちらで生まれ育ったぼくはいい具合にチューニングされているが、いわゆる『転移』なんてことになったら、あまりの不衛生さに卒倒するかもしれない。転生であったことを幸福に思いたい。
先鋭潜行をしている冒険者は精神が安定しているのか、きちんとルールを守る傾向があるようで、地上と同期した明るさになるよう設定されているタシサ内では、時間に沿った行動をしている。なので、余程のことがなければ眠っている最中に叩き起こされることはない。道中の厳しささえなければ、浅層を担当するよりずっと楽かもしれない。その道中も、ナクタのリュマに同行したぼくは全く苦労しなかったので、かなりツイている。
ナビンとニーリアスは他の歩荷と入れ替わりで、地上に戻ったり、奥のタシサに荷物を運んだりする役割があるが、ぼくは経験に合わない人選だったことで、荷運びを免除されたようだった。
それは安全ではあるが退屈でもあるし、いつ地上に戻れるのかもわからないということだ。ぼくは単身で地上に戻ることはできないので、万が一、六層にいる冒険者が全滅したりしたら、食料が尽きるまでここで生き続けることになる。
想像するとなかなかの恐怖だが、よく考えればそれはいつものことでもある。微かな希望に縋って生き続けることを選ぶか、タシサから飛び出して魔物の牙に掛かることを選ぶか、選べるだけマシかと思うぐらいには感覚が麻痺している。
ぼくが地下に入って十日経った。その間にニーリアスは地上と往復し、今はナビンが地上に出ている。ぼくは変わらずタシサにいて、誰よりも長くいるものだから主のようだとウィスクに言われている。
ウィスクといえば、暇があると水場にやってきて、お茶を飲んでいく。そのたびに、もっと快適にしようとあれこれと弄っていくので、便利かつ豪華な場所になりつつある。このままこの場所で食堂でも始められるのではないか、というぐらいにしっかりした見た目になってきている。
そしてナクタもやたらとやってきては、六層のことやセルセオたちの潜行計画について話していくので、ぼくはただ存在するだけで情報通になってしまっていた。
セルセオは六層奥の亀裂からの潜行にこだわっているようだが、七層の安全を確保する必要があるため、未だ準備段階にあるらしい。一方、六層を探索している冒険者たちはタジェサを探して奮闘しているようだ。七層への正規ルートの開拓と、初タジェサ攻略の栄誉と報酬のためだ。
「ナクタたちはタジェサを見つけられそう?」
ぼくが聞くと、ナクタは「さあなあ」とのんびりした返事をした。
「まさか、また『戻らずの通路』に入ってるんです?」
「そうそう! この間、面白いことに気づいてさ。次の挑戦で試してみようって話になってることがあるんだ」
ぼくが呆れていることなどに全く構わず、ナクタは興奮したように『戻らずの通路』での出来事を語り出した。なんでも、『戻らずの通路』を歩いている時に、違う温度の場所があるのだそうだ。
「オレが考えていたのと、構造が違うんじゃないかって思ってるんだよな」
言いながら地面に二本の線を引いて、いった。
「その通路は、奥のタシサに向かって伸びているんじゃなくて、直角に曲がった先にあるんだ。考えていたのは、こういう真っ直ぐな通路の一箇所に出現場所と転送場所があるってことだったんだけど」
先程描いた二本の線に繋がるように、奥のタシサとぼくらがいるタシサを描き加えていく。出来上がる見取り図を興味深く眺めながら、ナクタの話を聞きながら想像を広げていくと、胸がドキドキとしてきた。
「温度が違うってことは奥のタシサに向かって進んでいるってことなんじゃないか、って思うんだ」
「通路の先に真っ直ぐ進んでも温度は変わらないの?」
「変わらないね。奥のタシサやその先の亀裂に向かって下り坂になっているんだけど、その方向に移動しなければ温度変化はほとんどない」
「通路が斜めになっているとか?」
「それだと距離感が合わないんだ。それに、温度が変わるのはほんの二歩ほどの距離だけなんだ」
最初に描いた通路の一部分を丸く囲んだナクタは、ぼくのことをじっと見た。
「ソウは何故だと思う?」
問われて、ぼくはナクタの話を振り返った。
「この場所だけ別の通路に転送されてるんじゃないか?」
転送という概念があるのなら、そう考えるのが自然だろうと思って答えると、ナクタが自身の腿を力一杯打った。
「だよな! オレもそう思うんだ! だから、この二歩ぐらいのところで、今までと違う行動をしたら、別のところに行けるんじゃないかと思うんだよ!」
興奮が抑えられないといった様子に、ぼくもつられて喜びそうになるが、耳の奥にチリリと危険を知らせる音がして我に返った。
「もしかして、行こうとしてます?」
「もちろん! 全然違うところに出たら面白いよなあ」
笑顔で頷くナクタに、思わず深いため息をついた。これではピュリスが神経質になるのもわかるというものだ。
「ナクタ、それはやめたほうがいいのでは?」
「なんでだ?」
「もし、一方通行の通路だったらどうするんです? この階層はあまり探索されていません。わからないことだらけです。戻れなくなることだって、あるでしょう」
言い終わった瞬間、ぼくは失敗したと思った。冒険者でもないぼくが、可能性に賭ける彼の気持ちに水を差すようなことを言うべきではないと気付いたからだ。ぼくが言わずとも、それこそピュリスあたりが諭すであろうことを、口出しすべきではなかった。
「ははあ。慎重になれ、ってことか。確かに」
顎を掴み、なるほどと頷くナクタに、不快の色はない。
「タジェサが発見されるまでは、他のリュマは情報を出さないだろうしなぁ」
「そういうものですか?」
怒っていないようなので、内心の恐怖を隠して訊いてみた。
「浅層は隠したところで意味はないけど、深くなってくるとどうしてもな。タジェサの攻略報酬の質も上がってくるから、競争相手は少ないほうがいいだろう?」
「でも、他のリュマに知らせず、タジェサに挑むのは危険じゃないですか? 何かあっても救助してもらえないでしょう?」
「そこのあたりはリュマの方針が出るな。信用できるリュマにだけ教えて報酬を分け合うってところもあるし、自分たちだけで挑むところもある。他のリュマに教えて挑ませ、タジェサ主の情報を集めるところもある。まあ、扉が開かなければどうにもならないんだがな」
扉が開くということは、挑める能力があることだ。自分たちだけで挑もうとするのは、可能性が見えるからだろう。親切なのか意地悪なのか、わからない設計だ。
「オレたちの場合は、ひとり残して挑むことにしてるんだ。オレたちが全滅しても、ひとり残っていればタジェサまでの通路はわかるだろ?」
「それなら救助が間に合うかも」
「いやいや。救助は別にどうでもいいんだ。最初に挑戦するリュマがオレたちだったら、その時点での最強である可能性が高いだろ? それで全滅したなら、他のリュマが救助できるとは思えないからな」
例え話だからなのか、あっけらかんとナクタは言った。
「全滅してしまった場合の問題は、タジェサの場所がわからなくなることだ。場所がわからないままなのと、わかっているのとでは全然違うからな」
「全然違うというのは、何が?」
「魔窟全体の攻略の速度が変わってくる、とオレは思う。深い階層の未踏のタジェサともなれば、同じ階層を歩いているリュマの力量はよくわかってるからな。どこのリュマが挑んで敗れたのか。自分たちとそのリュマとの差はどれぐらいか、っていうのがわかっていれば攻略の速度は上がるだろう?」
ナクタの説明を聞きながら、ぼくは眉を寄せた。言っていることがわかるようでわからないからだ。その違和感をどう言葉にしたらいいのだろうかと考え、ようやく聞きたいことに行き着いた。
「他の誰よりも早く魔窟を攻略したい、というのはわかりますが、自分たちが全滅した後の魔窟の攻略速度を考える必要はありますか? ないと思いますが」
「あるさ。魔窟というのは、潜行者や冒険者のためのものだと思われているが、本来そういうものじゃないよな? 魔物が生まれ続ける場所で、そこに住む人たちにとっては忌々しい存在だ。自分のすぐ近くに未知のものがあるというのは、恐ろしいし、落ち着かないものだ。できるだけ早く、安全であると思いたいはずだ。さっさと踏破して『全部わかりました』と伝えてあげたほうがいい。そのための冒険者だろ?」
ぼくは、いたく感動してしまった。冒険者の存在をそんなふうに考えたことなど一度もなかった。多くの潜行者や冒険者は、富と名声だけを目的にしているように見える。とても、人々のためにあると考えているようには思えなかった。
「皆が皆、ナクタのような冒険者だったら情報を共有して進めただろうにね」
「そうだなぁ。他の冒険者に殺されたりすることを考えなくていいのは、良いよねえ」
ぼくの率直な感想に、ナクタは酷く物騒な同意をした。
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