二十三通目 突破口
「こりゃ、すげえな」
通訳仕事から解放されたニーリアスは、様変わりしたテント内を見て感嘆した。
「バチが当たるんじゃないか?」
ナビンは何度目になるかわからない言葉を口にしているが、一体何からどんな罰を与えられるというのだろうか。そもそも、快適にしてもらったらバチが当たるなんて話は聞いたことがない。
「良き行いが報われたと考えたらいいんじゃないか?」
報いがあるというのなら、良い方向の報いを受けたと考えれば良いのだ。
「おまえは楽観的だなぁ」
「ナビンが悲観的なんじゃない? 大体、これは彼らにも都合が良いことなのだし」
「都合が良いってどういうことだ」
ニーリアスが首を傾げるが、ぼくからしてみればわからないことが不思議だ。
「まずは食料だけど、これについてはぼくらだけが食べるわけじゃない。傷んでいて困るのは全員同じだろ。それに、ぼくらより冒険者のほうが影響は大きいんじゃないかな。動けなくなったらどうにもならないしね」
「それはわかるが、寝室は?」
「ぼくらの体調が悪くなったら彼らも困るってことだよ。食事を用意したり、掃除をしたり、そういった煩わしいことを自分たちでしなくちゃならないことはもちろんだけど、ぼくたちが病気の元になったりしたら、あっという間に全員に広まってしまうだろうからね。できるだけ、全員が良い感じでいたほうが危険が少ない」
ふたりが感心した様子でぼくを見る。感染についての知識はきちんとあるようだ。ふたりがこの話を理解できるのなら、チャムキリな上に王族に関わる地位にある彼らなら、これぐらいのことは考えられるだろう。
ぼくの記憶の中にはあるけれど、こちらには無い言葉というのは沢山あって、医療に関する言葉のほとんどが無い。前世のぼくは医者でもなんでもないし、そういう知識があったわけでは無いのだけれど、感染や衛生といった、一般的に使われていた言葉も相対するものが存在しない。なので、伝えるのが結構難しい。
言葉がないから伝わらない、ということはあると思うが、生活の中で得た知見というものはあって、具合が悪い者と一緒にいると同じような状態になる、といったことは経験でわかっている。なので、言えば理解はしてもらえるが、それが菌やウイルスが原因だということを理解しているかどうかはわからない。ナビンなどは神罰の類だと思っている可能性はある。
『前世持ち』にとっては常識の範疇だと思うのだが、広がらないのは何故だろうか。持っている前世の記憶があまりにも違うのだろうか――と考えて、ぼくの考えていることが根本的に違っている可能性に思い至った。
ぼくは、ぼくがいた世界線の前世を持っている人が『前世持ち』としてこちらにいるのではないかと思ってるが、そうではない可能性もあるのかもしれない。前世で使っていた家電によく似たものがあったとしても、同じ世界線の前世を持つ人から生まれた発明ではないということも考慮すべきなのかもしれない。
SF的だと馬鹿馬鹿しい気分にもなるが、ぼくに前世の記憶があること自体が、そしてそれが現在に繋がる過去ではないのだから、全くもって馬鹿げた話だと一笑に付すのは早計というものだろう。確かめる術はないのだが、安易に同じ世界線にいた人たちだと思わないほうが良いかもしれない。
「本当に、おまえたち姉弟が荷運びなんかやってるのは勿体無いな」
先程の話を思い出したようにナビンが言うので、ぼくは肩を竦めた。
「ここにいるからそう見えるだけだよ。ニーリアスだって荷運びしてるんだし、チャムキリの中に入ったら、勿体無くもなんともないよ。普通以下だ」
評価される度、自分を下げるようなことをいうのはやめたほうがいいのだろう。けれど、姉はともかくぼくに関しては、前世の記憶があるという下駄の上にいるから賢く見えるだけなのだ。
あげく、その知識を人々のために活かそうという気持ちに乏しいという、後ろめたさもなる。積極的に活かす気がないというよりは、ぼくの浅い知識が役に立つとも思えないから、という消極的理由ではあるが、同じことだろう。
「いや、そんなことはないと思うぞ」
ニーリアスが真面目な顔でぼくを見た。
「おまえの理解力はチャムキリであっても珍しいほうだ。大抵は、子どもの頃から勉強して、理解力というのを養っていくんだが、何もないところでそれだけの理解力があるというのは、おまえの地頭が良いってことだろう」
否定したくなるのをグッと我慢して、照れたように笑ってみる。穴があったら入りたいくらいに恥ずかしく、心苦しい。
「しかも、理解したことを伝えるのが上手い。神殿に入って伝道師になったら、この辺りみたいに、勉強の基礎を学ぶ環境もない土地で知識を広める活動をしたら、大活躍だと思うぜ」
「神殿って、ぼくは信徒じゃないですよ」
「例え話だよ。そういうことに向いてるんじゃないかってことだ」
つまり、教師が向いているということなのだろうが、その気は全くない。正直なところ、あまり誰かに影響を与えたくないのだ。前世の記憶のあるなしに関わらず、ぼくの考えを真っさらな人間に植え付けるのは、あまり好ましいことではない。たぶん、ぼくはぼくという人間を、あまり信用がおける人物だと思っていないのだ。
「確かに、ソウの話はわかりやすいな」
「言語についても、独学でそこまで理解できるのはなかなかのもんだ。ちゃんと勉強してみようとは思わないのか?」
なんと答えたものかと困ってしまった。こんな質問をされる日が来るとは思っていなかったというのが大きい。言語の習得には興味があるし、この世界の歴史も大層面白そうだと感じている。
「そんなこと、考えたこともなかった」
娯楽に乏しいこの人生で、知識が増えるというのは楽しさしか感じないのは確かだ。言葉を覚え、チャムキリから知らない話を聞き、想像を膨らませ、現実との齟齬がどれぐらいあるのかを探り、自分の知識との擦り合わせをするというのは、ただただ楽しい。
ニーリアスが真面目な顔をしているのは、ナクタが王族であることがわかった今、ぼくの可能性を広げることができるからなのだろう。
ナクタは端的にいえば「良い王族」だ。権力を笠に着るわけではなく、行き届いていないことに心を痛める人だ。この間の話で、ぼくたちの処遇を良くするために動いてくれるのではないか、とも思う。
集落一帯をどうにかするのは住人側の意志もあるので、簡単にはいかないだろうが、ぼく自身が望めば、叶えてくれそうな気配は濃厚ではある。
できることなら、姉のことは頼みたい。ぼくよりずっと、将来の希望が具体的なのだ。
「ぼくより、姉さんが先だな」
思わず出た呟きに、ニーリアスが首を傾げる。
「ぼくの姉のことは知っているでしょう? 自由に生きるための、最低限のことが揃っていない。だから、まずは姉をどうにかしてあげたい」
「なんとかって、何をすればいいんだ?」
「まずは『適性証明』の取得。そのための名前、かな」
「名前って、おまえの姉さんは独身なのか? 結婚していてもおかしくない年だろ? 婚約者はいないのか?」
一応のことは知っているらしい反応を示すニーリアスに、ぼくは首を振った。
「結婚はしていないし、婚約者は失踪したのでどこにいるのかわからない。それに、婚約者がいたとして、姉は結婚しないだろうしね」
「好きなヤツがいるのか?」
「それはわからないけど、少なくともぼくらの集落での結婚という儀式をしたいとは思ってないだろうな。家畜の買い付けみたいなものだから」
「おいおい、それは言い過ぎだろ」
ぼくの言い草に、ナビンが口を挟んだ。ナビンは集落の考え方に多少の違和感はあるものの、抵抗しようとまでは思っていないのだろう。ぼくたち男にとっては都合の良いことではあるから、結婚には良い印象を抱いているのかもしれない。
「ニーリアスも言った通り、姉は結婚していてもおかしくない歳なのに結婚していないし、婚約者には逃げられているから、集落の考え方で結婚するというのは家畜も同然なんだと思う。これだけケチがついた姉を、まともな人が娶ってくれるとは思わないし、酷い名前をつけられることだってある」
姉の場合は、という風に言ったせいか、後半の例が想像の域のことではなかったせいか、ナビンは何も言わなかった。
婚期を逃したり、婚約者がいなくなった女が、すごく年が離れた男の何番目かの妻になったり、身持ちの悪い男の妻になるのはある話なのだ。そうして、そういう女には酷い仕打ちをしても良いと思っているようで、聞くに耐えない名前をつけたりすることがある。集落の人間は、それを可哀想だと思いながらも嗤ったり、蔑んだりする。人間の情けなくもいやらしい性分を見せつけられているようで、ぼくはとてもゲンナリする。
「それなら、改宗したら解決するだろ」
あまりにも簡単にニーリアスが言うものだから、ぼくは呆気に取られてしまった。
「クーシカになれば、祝福名が与えられる。神殿での生活では主にそれで呼ばれるんだが、日常生活でも祝福名で通しているヤツもいるからな。『適性証明』についても、改修すれば儀式を受けやすいはずだ。まあ、そこは、あの人に頼めばすぐだろう」
神殿の教えを守ることを誓えば、姉の望んでいるものはすんなりと手に入ると言うことだ。今まで答えが出ずにいたことが、あまりにもあっさりと解決しそうで、ぼくはニーリアスに尊敬の眼差しを送った。
「困ってることがあったら、喧伝したほうがいいのさ。手段を知ってるやつはどこかにいるもんだからな」
彼は照れくさそうに、そう言った。
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