二十一通目 一朝一夕にはいかない
世界の王、という言葉に蒙を啓かれる思いがした。魔物の王を魔王と呼ぶのだ。人類の王という存在がいてもおかしくは無いだろう。王といえば国王であると考えるのは、前世持ちの傾向にあるのかもしれない。うっかり口にしないほうが良いと心に刻んだ。
それにしても、この世界というのはどういうものなのだろうかと、今更ながらに考えてしまった。というのも、国という言葉はあるが、「世界」となると実に曖昧なものになるからだ。
世界といったとき、ぼくが思い浮かべるものは森羅万象、ありとあらゆる存在だ。地球という捉え方が最も強いが、宇宙を含むこともある。そういう概念の名前が「世界」であると思っているが、こちらで用いる「世界」が全く同じものを指すのかは不明だ。
そもそも、この世界がどういうものなのか、よくよく考えてみるとわからないことだらけなのだ。人類の誕生からして、地球上のものとは全く違う。漠然と宇宙の数多ある星のひとつなのでは無いかと考えているが、それが正しいのかどうかもわからない。空に太陽のようなものはあるが、本当にそうなのかはわからない。ゲームをプレイしている時、その世界がどんなものなのか、曖昧であるのと同じような感覚が、今のぼくの胸にはある。
前世のぼくが死んだ頃、流行っていた異世界ものに登場する「世界」は、どういう構造をしていたのだろう。ゲームや小説の世界として描かれるあの世界は、地球のような惑星であったのだろうか。それとも、平面的な奥行きのない、書割のような世界であるのだろうか。今頃になってそんなことを思う。
古代人の考えていた世界観は、近代に生きていたぼくにとってはあり得ないことであったけれど、当時の人たちにすればそれが当たり前だったはずだ。亀や象の上に世界があったり、円盤状のものの地下に地獄があったり、平坦な大地の中央に高い山があったりする。それが世界というもので、神や悪魔がいると考えていた。
そういう世界観をあり得ないと笑っていたけれど、今生きる世界が前世のものと全く同じという保証は全くない。神や悪魔の存在を絵空事と捉えていたあの頃とは違う。この世界には魔法があって、魔物がいる。魔素という概念があって、魔窟が出現するのが、当たり前なのだ。
世界という言葉を理解するのが、これほど難しいことだとは、考えたことがなかった。
ニーリアスが通訳として冒険者に呼ばれて行ったので、ぼくとナビンで支度を進めることになった。
「おまえ、ニーリアスの話によくついていけるな」
ナビンが首を振りながら言った。顔には困惑と疲労の色が濃い。身体的な疲れというよりは、脳味噌を使いすぎたといった表情だ。
「そんなことないよ。道中、色々あったから」
情報がナビンより多いだけだと仄めかし、ぼくは大袈裟に肩を竦めた。
「王様っていうのは、族長みたいなものだと思ってた」
「オレも似たようなもんだ。凄く偉い人、ってぐらいに思ってた。外に行ってるヤツらから話は聞くけど、見たことはないしな」
「へえ? どんな?」
「神殿長が新しくなった話の時なんかに出てくるな。大きな神殿の神殿長が変わる時には、式典に王様が来ることもあるらしい」
そういえば、神殿というのは聖女が作ったもので、聖女信仰の場所とされていると聞いたが、神殿の頂点であるクーティアと王ではどちらのほうが立場が上なのだろう。印象としては世界の頂点たる王が上のような気がするが、王は聖女によって力を与えられた存在だ。とするならば、聖女の方が上の立場となり、代行者たるクーティアのほうが上のような気もする。
「グムナーガ・バガールの仮神殿長も、王家の流れだって言ってたけど、瞳は茶褐色なのかな?」
「さぁなぁ。神殿なんて、行ったこともないからさっぱりだ」
ナビンの返答に頷きつつ、やはり神殿とぼくらの距離感というのはそういう感じなのかと理解した。ナビンはぼくや姉より年上であるし、グムナーガ・バガールにも長くいるが、それでも接触したことがないとなれば、避けているか避けられているかのどちらかということになる。
冒険者にとって神殿というのは無くてはならない施設だ。怪我や異常状態を回復してもらう場所であるし、何より才能を見出してくれた場所だ。異国の地であっても神殿があれば、心が休まるのだろう。
しかし、ぼくらにとっては親しみのない場所だ。何をする場所なのかもよくわからず、そもそもあまり相手にされていない気配を感じる。
ナクタやニーリアスの話からすると、そもそもは宗教施設というより救護所といったものだったのだと推測できる。少なくとも、最初の聖女はそのつもりで施設を作ったに違いない。聖女の持つ治癒の力に神秘を感じ、聖女とその力を奇跡として信仰したことにより、神殿は宗教色の濃い施設となっていったようだ。であるので、本来の意味で存在するならば、誰でも利用できる場所だったのだろうが、聖女を信仰の対象としてしまったことで、信仰による分断が発生するという状態になってしまった。
もっとも、問題はぼくらのほうにもある。こちらにはこちらの信じるものが存在している。経典といったような明確なものがあるわけではないし、信仰の名称があるわけでもないけれど、カルゼデウィを聖域として崇めたり、日々の生活の中に信仰の兆しを感じる言動が息づいている。そういう無意識の信仰が、聖女信仰という異質のものに反応し、避けている傾向はある。
一言でいえば「互いに親しみがない」ということなのだけれど、その溝を埋めるのはそう簡単なことではないことを、ぼくは前世で学んでいる。互いが互いを知っていくというのは、一朝一夕にできることではない。
「ナビンが結婚して子どもができたとして、その頃、ケルツェに神殿ができたら、子どもを神殿に連れていく?」
「そうだなぁ」
ナビンは汁物をかき混ぜながら、考えるように語尾を伸ばした。
「金の心配とかを無視して考えたら、連れてったほうが子どものためだろう。そうすれば、もっと仕事の選択肢が増えるだろうからな。でも――末っ子は、連れて行かないかもしれないな」
「どうして?」
理由は想像がついたが、敢えて尋ねた。
「家族がいない老後は、誰だって嫌だろ」
想像通りの答えを口にしたナビンは、バツが悪そうに口元を歪めた。それが、ケルツェで生まれ育った人間の基本的な考え方だが、それを恥と思うぐらいには、ナビンは世の中を知ってしまった。それゆえに、自分の欲が、子どもの自由な生き方よりも強く出てしまうことを情けなく感じるのだろう。
「おまえはどうなんだ、ソウ。オレなんかと違って、神殿で鑑定してもらって別の生き方を探ってみたいと思わないのか?」
「神殿はぼくたちを相手にはしてくれないよ」
「神殿じゃなくとも、鑑定を受けたいと思わないのか? おまえは賢いんだし、こんな仕事じゃなくてもやっていけそうじゃないか」
「うーん、どうだろう。ぼくには歩荷が向いていると思うんだけど」
ナビンの熱のこもった言葉に、ぼくは少しばかり不安になった。もしかして、牧歌としての能力はあまり無いのだろうか。最年少にして潜行隊に参加し、六層にまで来ているのだから、歩荷の才能は十分にあると思うのだが。
「そりゃ、向いてはいるだろうけど。おまえといい、おまえの姉といい、なんだか勿体無いって思うんだ」
意外な言葉にびっくりして、ぼくはナビンをまじまじと見つめてしまった。
「ナビンは、姉さんのこと認めてるんだ?」
「当たり前だ。最初に潜行隊に選ばれたのは、姉の方だろ。ケルツェの女としてはそれだけでも大出世だっていうのに、リュマにも誘われてるだろ? しかも、能力を買われてだ」
若いけれど顔役となっているだけあって、ナビンは姉の動向についても詳しいようだ。ぼくの知らないことまで知っている。
「能力って、なんです?」
「知らないのか? おまえの姉は、魔物の弱点を見つけるのが上手いって評判だ」
「知らなかった」
姉から聞いていない。自分の得意なことを弟に話すのは、自慢しているようで恥ずかしいのだろうか。それとも、言うほどのことではないと思っているのか。後者のような気がする。
「目がいいのか、記憶力がいいのか、それともそういう能力そのものがあるのかはわからんが、初めて見た魔物の弱点を見抜いたって聞いてるぞ。それでリュマが壊滅しなくて済んだって」
それは確かに、熱烈な勧誘を受けるはずだ。命の恩人というだけでも歓迎されるだろうけれど、リュマを強くする要員となるのならば、逃す手はないと考えるだろう。
「なるほどな。姉が冒険者になりたいって言ってた理由がわかった」
「オレは向いてると思うが、集落のヤツらは反対するだろうな。おまえの兄貴とか」
ナビンは長兄と同い年であるから、兄の考え方もよく知っている。長兄は大多数のケルツェの人たちと同じ保守派で、女の身でありながら結婚もせずにいる姉のことを恥だと思っているのだ。同じ時間を過ごしてきても、これだけ考えが違ってくるのだから不思議なものだ。
「チャムキリは女かどうかなんて全く気にしないからな。おまえの姉のようなヤツはケルツェを出るのが正解だと、オレは思う」
そう言うナビンでも、自分の末っ子には傍にいて欲しいと願うのだ。人はなかなかに複雑にできている。
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