十六通目 『適正証明』の価値

 『適正証明』事件から後は、流石のベテランリュマも空気が重かった。

 キーダウチョの始末を終えたニーリアスが仕切らなくてはならないぐらい、彼らは何かを深く考えているように見えた。それをぼくは有り難いことだと思い、彼らの優しさに感謝しつつ、その心の柔らかさを羨ましく思った。他者を思いやれるというのは、余裕があるということだ。当事者たるぼくらは心身ともに疲弊していて、何かを感じたり、行動を起したりする余裕はどこにもないし、そもそものところ、自分たちが冷遇されているとすら思っていないのかもしれない。

 ぼくには、前世の記憶がある。今生では知り得ることのない知識と、広い視野を持ってここにいる。だから、自分たちが置かれている状況の哀れさに気付いてしまうし、ナクタたちの心の動きも推察できるのだ。

 前世のぼくが、紛争地域の子どもたちの映像を見て感じたことと、ナクタたちは感じているのだと思う。哀れみと同情。可哀想だと思いながら、どうせ何もできやしないと諦めている。この感情は驕りなのではないかと気付き、少し自分と世界を厭になるのだ。


 タシサを出て二時間もすると、刺すような冷たさが、気持ち緩んだ。

 隊列は静かなままで、居心地はあまり良くはない。ムードメーカーのナクタが黙っているのが影響しているようだった。言わなければ良かったと後悔するぐらいには、雰囲気は暗い。

「一息いれよう」

 提案したのはピュリスだった。真っ先に同意を示したのはウィスクで、この時ばかりは我儘そうな口調に救われる思いだった。リマにとっても、ぼくらにとっても、本来ならなんてことはない移動時間だが、全員が気疲れしているらしいことはわかった。戦闘に問題はないが、溜息の頻度が異常に高い。

「この辺りにタシサ、ありましたっけ?」

 ニーリアスが首を捻ると、ウィスクは肩を竦めた。

「その辺の凹みで十分でしょ。魔物避けはナクタが得意だし」

 ピュリスが壁の隙間に火球を飛ばして魔物を払うと、ウィスクがその隙間に入っていった。今回は下層に行くことが目的で、ただひたすらに螺旋状の道を歩いていたが、壁にはところどころに横道があり、探索の時はその中に入っていく。横道に入れば、魔物や鉱石、植物などが見つかることもあるし、冒険者の成れの果てに出会うこともある。今までの階層に比べて低温で腐りにくく、大きな魔物は入れないので死体が荒される可能性も低い。そのため、死者が出るとできるだけ狭い横道に押しこむことがある。後々、回収できるように。

「丁度いいのあった」

 ウィスクに呼ばれて、ぼくらも隙間に入っていく。六人が寝転べるぐらいの凹みに入り、ナクタが薄い石版に魔方陣を描いた。ぼくにくれた手袋と同じように図形がシャボン色になると、石版を割り、凹みの入口と四方に破片を置いた。割っても図形はシャボン色のままなので、効果は持続しているのだろう。

「タシサほど快適じゃないけど、魔物は入ってこれないから、楽にしていいよ」

 ナクタの言葉に、ぼくはニーリアスを見た。荷物を下すかどうか迷ったのだ。ほんの少しの休憩なら、荷を下さないほうが楽なのだ。

「どれぐらい休む?」

「言いたいことを言い合うぐらいは休もう」

 断言したのはピュリスで、デラフも「そうだな」と頷いた。ふたりの様子に、ニーリアスは荷物を下す選択をしたようで、ぼくもそれに倣う。荷物を足の間に置いて座りこむと、尻から冷たさが登ってきて、身震いした。慌てて腰を浮かし、荷物の上のほうに入れている防水布と防寒布を引っぱりだし、尻の下に敷いた。

「――それじゃあ言うけど、ナクタ、暗過ぎなんだけど」

 全員が腰を落ちつけると、ウィスクが口火を切った。全員の目がナクタに向き、ナクタは地べたを見つめている。

「こんな辛気臭い階層で、どんよりされると鬱陶しいんですけど」

「今のところ問題はないが、突然未知の魔物が出てきたとして、対応できるのか?」

「やる気がないのなら、私が最後尾を担おう」

 ナクタを除いたリュマの三人から、次々に辛辣な言葉が飛びだし、我が事ではないのに、胃の腑が引き攣れる思いだった。潜行中に会議が開かれるのは、初心者でも中堅以降でも同じだが、感情で言い合うのではなく、現状を厳しく指摘するようになるのは中堅以降になってくる。ベテランともなれば、信頼関係もがっちりできあがっていることもあってか、容赦というものがなく、聞いているだけで辛くなる。

「ごめん」

 問題点を指摘する三人に、ナクタが返したのはそれだけだ。ウィスクは鼻を鳴らし、デラフは腕を組んだ。満足な反応ではないらしい。

「気をそぞろにして、何を考えている」

 ピュリスが問いかけ、ナクタはちらとぼくを見た。やはり、タシサでの会話が原因なのだろう。とすれば、問題の一端はぼくにもある。

「すみません。ぼく、変なことを言いました」

 口を挟むと、全員の視線がぼくに向けられた。身を竦めるも、視線から逃れることはできず、居心地が悪い。機嫌を損ねて、ここに置いていかれないといいがと祈るような気持ちで、荷物に視線を落とした。

「変なことではないだろう」

「まあ、この辺りのエライ奴が変なのは確かだと思うけど」

 否定するピュリスの言葉を、ウィスクが混ぜ返すと、ナクタが重い溜息を吐いた。

「その通りだ。ソウは変なことを言っていないし、この辺りを管理しているヤツに問題があり過ぎるし、知らぬまま今日までいたオレが能天気で腹が立つ」

 洗い語気に驚いてナクタを見れば、地面を睨み続けたままの眼差しが、怒りの色に染まっていた。

「――怒ってますか?」

「自分にね!」

 怒気のある笑顔を向けられて、ぼくは顎を引いた。人間とは、かくも複雑な表情ができるものなのかと感心してしまう。

「街での君の態度をもっと深く考えてみるべきだったんだ。思い返せば、君はずっと問題を体現していた。それをオレは、単に内気なのだろうと判断していた。他の民族との接点が少ない土地の人たちは、皆、同じような反応を示すからね。深く考えることをせずに、そうなのだろうと勝手に、判断していた」

「落ち着け、ナクタ。能天気だったのは、おまえだけじゃない。皆同類よ」

 デラフはナクタの肩を叩き、もう片方の手を硬く握った。「そうそ」と投げ遣りな調子でウィスクが同意し、ニーリアスに視線を向けた。

「あんたは誰に聞いたの、ああいう話」

「仕事をしてたらなんとなく、わかるもんですよ。他所からやってくる冒険者なんかよりも、ずっと度胸があって、魔窟に対して積極的で、魔物には慎重に対応できるヤツが、単なる荷運びをやってるなんてのはザラだ。そうしたら疑問を持つでしょう? なんで、歩荷を選んでんだ? って。そうして話してみれば『適正証明』の存在すら知らないってのが大半なんですよ」

 ニーリアスの言葉に、再び空気が重くなる。雰囲気から察するに『適正証明』が無いというのは、ぼくが考える以上に、彼らを深刻にさせるもののようだ。ぼくは単に、冒険者になれないだけだと考えていたが、それ以上の価値があるものなのかもしれない。

「『適正証明』は、冒険者になるためのものではないんですか?」

 思い切って聞いてみると、全員が息を詰めたのがわかった。腹の底に冷たいものを流しこまれたような、厭な気分になる。

「『適正証明』は、最低限の身分証明書である、ということだ」

「身分証明書」

「ああ。少くとも、私が育った国では、何をするにも『適正証明』が必要になる」

「何をするにも、というのは、働くことですか?」

「それももちろんそうだが、国内外を移動する時にも提示を求められる。『適正証明』があれば、身元の他に、どういった能力があるかもわかるからな」

 ピュリスの説明に、ぼくは額に手を当てて俯いた。想像以上に『適正証明』は必要不可欠なことに眩暈を覚えた。

 この街を出て、どこか遠くで暮らしたいと思っても、『適正証明』がなければ、生活できないということに等しい。ということは、結局ぼくらは、この貧しい山岳地帯に居続けなくてはならない、ということだ。

 もっと豊かな生活をしたいと願うなら、『適正証明』を手に入れなくてはならず、入手するためには豊かにならなくてはいけない。けれど、この辺りに富を得る手段はない。一番金になるのが魔窟に入ることだが、常に危険と隣り合わせで、いつ死んでしまうかわからない。金が貯まった頃には、別の人生を選べるような年ではなく、結局どこに行くこともなく、一生を終えるのだろう。

 そういえば以前「オレの人生で、子どもたちに可能性を買うんだ」と、ナビンが疲れた顔で言っていた。あれは、自分の可能性はここで頭打ちだと悟った悲しさと、せめて子どもにはよりよい未来を与えたいという覚悟の言葉だったのだろう。ぼくの人生も、姉や弟妹たちに捧げるのが精一杯なのかもしれない。そう決めてしまったほうが楽なのだろうことは、わかっている。

「あの、『エライ人が奴が変』っていうのは、どういう意味ですか」

 ウィスクが放った一言を思い出して訊ねると、ナクタが唸るような声で答えてくれた。

「この辺りを管理する立場の人間が、君たちを飼い殺しにしている、ということだよ。どういう狙いがあるのかはわからないけれど、この土地に縛りつけ、他所に行けないように、意図的にしているとしか思えないからね」

 前世で読んだディストピアもののようだな、と他人事のように思いながら、管理者たちの意図がどういったものであったかと、記憶を探った。

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