十五通目 何も持たず、持てず
携帯コンロに鍋を乗せ、ツォモ茶を用意する。今のところ、ぼくがリュマの役に立てるのは茶を用意することぐらいだ。
少し離れたところで、ニーリアスがキーダウチョの解体を始めていた。血生臭さが漂ってこないのは、ピュリスの描いた魔法陣によるものらしい。詳しいことは知らないが、浅層を歩く冒険者が使っているのは見ないので、上級者向けの魔法なのかもしれない。デラフとともに解体を手伝っている。ニーリアスの解体の腕は見事なものだ。
ウィスクは壁に背を預けて目を閉じていた。眠っているのか、目を休めているのかはわからない。ナクタはぼくの近くで、ずっと手元を見ていた。怪しいものを混入しないか見張っているのだろうか。そんな気は微塵もないのだが、正直いってとても気まずい。
「ナクタは魔物の素材に興味ないのですか?」
気まずさを誤魔化すためにどうでもいい話題を向けてみたのだが、後になって思えば、これはマズい選択だった。
「そんなことないよ。未知のものや、装備の強化や補修に必要なものは持ち帰るしね」
「キーダウチョの毛皮は高価です」
「そういう意味では興味はないな。高価なだけなら意味はないだろ?」
どう反応したものか困り、ぼくは曖昧に微笑んだ。
ぼくの環境的にいえば、高価であるというそれだけでかなりの意味はある。暮らしが豊かになるし、弟妹に教育を受ける機会を与えることができる。姉の鑑定の足しにもなるし、ぼくの装備ももう少し良くなるだろう。
けれど、ナクタの視点から見れば、高いだけのものに感じるのはわかる。キーダウチョの毛皮は金持ちの装飾品になる。防具に使えないことはないが、機能的にはそれほど上等なものではないので、無駄に豪華な代物にしかならない。冒険者であるナクタには魅力的ではないのだろう。
単なる嗜好品としてでなく、社会的に有用な何かに使われるものであれば、高価であったり、貴重であることに意味を感じると言うのは、理解できる感覚だ。けれど、ぼくの身分が身分だ。理解できるといってしまうのは不相応に思える。
「それに、しばらくは地上に出ることはないだろうから、荷物になるだけだしね。彼はどうするのかな?」
「ニーリアスは荷運びで地上に出ます」
深層で発見される新種や貴重部材を、四層のタシサに運んだり地上まで持って上がるのは、信頼と実績のある歩荷の仕事だ。ぼくは経験が浅いこともあって外されているが、ニーリアスとナビンは任されている。
「なるほど。じゃあ、ソウが欲しがらないのは荷物になるから?」
話の矛先を向けられて、ぼくは答えに詰まった。ナクタが浅層を攻略中の冒険者であれば、嘘をついたり、はぐらかしたりするところなのだけれど、上級冒険者というのが答え難いところだった。
ぼくにも少なからず下心というものはあるからだ。
ぼくがニーリアスのような歩荷になるには、早くてもあと五年はかかるとみているし、ナクタたちのように出来上がったリュマと出会うよりも、浅層での活躍が目覚ましいリュマを見つけ、馴染みになって、親しくなるというのが現実的な方法だ。一緒に仕事をし、信頼を得て、評価されれば姉のようにリュマの一員として声がかかることもある。
今回の機会はそうした地道な努力を無視して、完成された優秀なリュマとお近づきになる絶好の機会だった。ナクタたちのような上級リュマの仕事を受ける機会など、そうそうあるものではなく、この機会を上手く利用しなければならないと発破をかける自分がいる。一方で、きちんと手順を踏むべきだと諭す自分もいた。
ナクタとは地上で二度顔を合わせただけだし、魔窟においては丸一日ともに行動しただけだ。会話はしたが、互いのことは何も知らないに等しい。優秀なリュマであり、善良な冒険者であることはわかったが、それ以上でもそれ以下でもない。それに、彼らの役に立つ人材だと自分を印象付けることができているとは思えない。一方的に有用性を感じているだけでは、信頼関係は成り立たないだろう。そんな関係で、どれだけ曝け出すのが正解なのだろうか。
「そう、ですね。シュゴパ・ウィスク。お茶です」
曖昧な返事をし、ツォモ茶を濾しながらウィスクに声をかけた。起きていたらしいウィスクは「ありがとー」と言いながら、器を手に近付いてきた。すかさずナクタも器を出し、ひと段落したらしい解体班もやってきた。
「もう終わったんだ?」
「皮を剥ぐのはな。今、水に晒してる」
大まかに血液を落としたら、冒険者御用達の魔導具「真空袋」にしまう。多少圧縮されるのと、腐敗が進み難いので重宝されている逸品だ。
「毛皮だけなの? 骨や臓腑も売れるでしょ?」
ウィスクが小首を傾げた。倒した魔物に関心が無さそうにしているが、取引される部位についての知識はあるようだ。キーダウチョで最も高価なのは毛皮だが、骨や臓腑も薬になる可能性があるとして積極的に取引されている。もっとも、測量の終わっていない五層の魔物のものならば、買い叩かれることはそうそうない。
「臓腑は鮮度が不安だし、骨は重量でるから流石に」
「いらないなら、オレがもらうけどいい?」
これまで関心を見せなかったナクタが、急に立ち上がってキーダウチョの方に走って行った。顔の近くにしゃがみ込むと、何やら鈍い音を立てながら作業をし、すぐに戻ってきた。
「これ、ソウにあげるよ」
開いた手のひらには、血に塗れた奥歯らしきものが二本載っていた。ぼくの奥歯の二倍はあろうかという大きさだ。
「寒いところの魔物で、それなりの大きさがあるやつは、奥歯に興奮物質を蓄えているヤツが多いんだ。キーダウチョもその条件に合うから、きっと高く売れるよ。これならそれほど嵩張らないし」
にこやかに説明してくれたが、ぼくはどうしたものかと悩み、ニーリアスを見た。ニーリアスはなんとも言えない顔をして、頷いた。
「それは酷ってもんだ」
断り難いぼくの代わりに、ニーリアスが口を開いた。しかし、ナクタを始め、リュマの面々はニーリアスの言わんとしていることを理解できないようで、不思議そうな顔でぼくとニーリアスを見ている。
「冒険者なら、魔窟から出るものの取り引き方法を知ってんでしょう?」
「もちろん」
当然ながら全員が頷いた。
魔窟から出たものは、必ず一度はサンガを通してから取り引きをすることになっている。よっぽどの危険物はそこで跳ねられるが、大抵のものはそこから先は自由取り引きになる。依頼を受けている場合なら、サンガに検査してもらってから、依頼人に渡すという形になる。もちろん、サンガに預かってもらってもいいし、買い取ってもらってもいい。これは冒険者の基本中の基本知識だ。
「それなら、サンガとの取り引き資格についてもわかるでしょう」
察しの悪さにニーリアスの言葉がやや荒れたので、ぼくは申し訳なくて唇を笑みの形に歪めた。
「サンガとの取り引き資格? 『適正証明』の提出以外に何かあったか?」
ピュリスの言葉にウィスクが首を傾げ、デラフが「それぐらいだった記憶があるが」とナクタを見た。
「ぼくらは『適性証明』がない」
全部をニーリアスに言わせるのは気が引けたので自白すると、ニーリアスは視線を落とし、ナクタたちは間が抜けた顔で固まった。
「え? 『適正証明』がない? 最低でも『芽吹きの儀』を受ければ出るでしょ」
「宗教の違い、か?」
ウィスクは純粋に驚き、デラフは重い声で問いかけてくる。ナクタとピュリスは硬い顔でぼくを見つめていた。
「いいえ。田舎で、その――貧しいから、です」
流石に、自らのことを貧しいと言うのは勇気がいった。顔から火が出るほど恥ずかしく、それと同時にとても惨めで、腹が立つほど悔しかった。仕方のないことだと割り切っていることだが、言葉にすると耳から入り、心が傷つく。
「この辺りの集落で神殿があるのはここ、グムナーガ・バガールだけだ。あるといっても仮施設で、儀式ができるほど神官もいなければ整ってもいない。人物鑑定ができるようなヤツもいないし、頼めるだけの金がないから『適性証明』を持っていないんだ。つまり、この辺りの人間はサンガと取引できない」
「でも、ここに来たばかりの時についてくれた歩荷は、部位集めてたけど」
「オレみたいな余所者か、闇取引してんでしょうね」
サンガを使えないぼくらが、魔窟から持ち帰ったものを捌く方法が、闇取引だ。よくあるのが、依頼を達成したい冒険者の代わりに、依頼品を集めてきて冒険者に渡すと言うものだ。依頼報酬よりもずっと安い値段での取り引きになるし、約束を反故にされることも多い。あまり旨味はないが、少しでも多く稼ぎたいとなれば請け負うしかない。
「それは俺が預かって、換金してソウに渡しますよ。もっとも、これの価値を理解しているあなた方がサンガに持って行った方が、信用値がつくとは思いますが」
受け取るように手を伸ばしたニーリアスに、ナクタは首を振った。
「ごめん」
泣きそうな顔で謝罪してきたナクタに、今度はぼくば首を振る。
「ぼくは平気です。でも、他の人には言わないで」
ナクタの生まれ育った場所や、行ったことのある魔窟の辺りでは、ぼくたちのように『適性証明』を持たない人というのはいなかったのだろう。とすれば、知らなくても仕方がない。ぼく自身、知らなかったことを責められるほど、完璧な人間ではない。
ただ、本当にぼくたちは、何も持たず、持てず、いるのだと思い知ってしまったのが悲しかった。
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