十四通目 ちょっとした疑問

 拠点を出ると、息が白くなった。

 下に行くほど暖かくなるはずだが、四層から離れるほどに寒くなる。緩やかな坂道を降りていくと、下から風が噴き上げてくる。コォォッという巨大な獣の呼吸のような音が響く。熱を維持できなくなった風は、ひたすらに冷たく、耳や鼻が凍りついてしまいそうだ。鼻にかかるように布を巻いておいて正解だった。


 隊列は変わらず、ウィスクが先頭だ。周囲を照らす光球を増やし、中央の穴の辺りにも飛ばしている。暗闇に潜む魔物を釣り上げるためだ。

 暗闇に生息する魔物は何を頼りに人間を認識しているのか。という話をデラフが持ち出した。それについては色々と語られていて、他所の魔窟の魔物については解明されているものもいるようだ。

「ここの階層のヤツは光に反応するっぽい」

 ウィスクが光球を飛ばすのと同時に、ピュリスが火球を飛ばした。二つの球は丁度反対方向に離れ、回転しながら下方にゆっくりと降りていく。すると、光のほうにふわふわとした毛玉が集まっていく。

「プスプスか」

 ニーリアスが呟いた。五層の測量はまだ終わっていないので、魔物の呼び名も固定化していないが、あの毛玉はプスプスと呼ばれている。ふわふわとした拳大の魔物は愛らしいことで人気があるのだ。性質としては大人しめで、数匹で固まって行動する習性がある。厄介なのは体温を奪う特質があることで、可愛いからといってまとわりつくのを許していると、低体温になって最悪死ぬ。

 プスプスがじゃれるように光球に群がっているのを眺めていると、空を切る鋭い音が響き、風を頬にうけた。あっと思う間に、プスプスがいなくなる。代わりに、光の球に向かって降り注ぐように光の筋が飛んでいく。

「サスーリカは光にできる影の大きさに敏感だな」

 氷柱に擬態する魔物のことを、デラフはサスーリカと呼んだ。聞き覚えのない単語なので、出身地の言葉なのだろう。ぼくたちはチモと呼んでいる。

「チモはなんでプスプスに攻撃したんだ?」

「群がったプスプスが、人ぐらいの大きさになったからだろうな」

 ぼくの疑問に答えてくれたのはニーリアスだった。ニーリアスは暗闇に目を凝らし、状況をよく見ようとしているようだ。ふたつの球は回転しながら更に下方に降りていき、その光だけでは周囲の状況が目視できないぐらいになっていった。時折暗くなるのは、何かが横切ったためだろう。遠くの方から聞こえる動物の鳴き声のようなものは、光に反応した魔物のものだろうか。

「こう寒いと、熱のほうに反応があっても良さそうなものだがな」

「下からの熱風がとんでもないってことだろうな。温度があるものに不用意に近づくと、焼き尽くされると知ってるんだ」

「だとするなら、炎の壁を先行させれば退避するかもしれんな」

 ピュリスとナクタが考察するのを聞きながら、これが先鋭リュマの探索なんのだと実感した。ナクタは魔窟を網羅したいという意志を持っているが、それは地形的なことだけではなく、魔物にも向けられているのかもしれない。未知の魔物に出会った時に恐怖するのではなく、知識を総動員して試行錯誤し、好奇心を持って観察できる胆力があるのが先鋭でいられる由縁なのだろう。

「こっちの光にも釣られちゃったみたい」

 下に向けていた視線を前に移すと、三頭の大型獣の姿が見えた。白っぽい毛皮と長い腕、それに赤ら顔が特徴的な魔物、キーダウチョだ。見た目としてはマントヒヒに似ているが、大きさはヒグマぐらいある。たっぷりの毛と分厚い皮に阻まれて、刃物はほとんど役に立たない。

「仲間を呼ばれる前に殺らないと、ねっ」

 ウィスクが右手を前方に出し、払うように動かすと、キーダウチョの頭部に細かな火花が散った。綺麗だと思っている間に、光の矢が次々とキーダウチョに飛んでいく。首の辺りに刺さったそれは、弾けるような音と閃光を放って消え、キーダウチョが仰向けに転がった。掛け声と共にデラフが飛び上がり、頭蓋目掛けてハンマー型の斧の背が振り下ろされる。背骨にくる鈍い音が三度響き、戦闘は終了した。流石に早い。

 感嘆したニーリアスがデラフの許可を得て、キーダウチョに近づく。白い毛皮は染色しやすいこともあって人気がある。

「これは見事だ。首のあたりが焦げてるが、状態はかなりいい」

「解体するなら運ぼうか? アーレトンスー持ってるし、休憩用のタシサも一時間ぐらい歩けばあるし」

「えっ、いいんですか?」

 ナクタの申し出にニーリアスは目を輝かせ、小躍りせんばかりになっていた。運んでの解体ならば、かなり多くの部位を選別できるからだ。

 ナクタが腰につけたケースから、輪になっている紐をニーリアスに渡した。受け取ったニーリアスは、紐を綺麗な円になるように地面に置き、魔核を二箇所あるポケットに入れた。すると紐は硬くなり、フラフープのような印象になった。

 ピュリスが魔法で浮かせたキーダウチョを、デラフと協力して誘導して円の中に納めて下すと、スルスルと地面の中に収納されていった。三頭全てを円の中に入れると、円の対角線上に立ったデラフとニーリアスは、がま口を閉じるように半円を合わせた。パクンと音がすると、硬くなったはずの紐は元通りの紐に戻ってしまった。

「それは?」

「アーレトンスーっていう魔導具。円の中に入るものだったら収納できるんだ」

「水でも?」

「液体は無理だな。生き物もダメだ、死んでしまう」

 制限はあるようだが便利なものがあったものだ。こういうものがあるなら、先鋭リュマがあまり歩荷を使わないのも理解できるというものだ。

「便利そうに見えるだろうが、使用者の魔力量にかなり左右されるもんだからな」

 興味深げに紐を見ているぼくに、ニーリアスが釘を刺すように言った。

「キーダウチョ三頭ともなれば、俺の魔力じゃそうもたない」

「魔力が切れるとどうなる?」

「誰も知らない闇に消えるか、その場に出現するか。どっちになるかはわからない」

「高い?」

 真顔で頷かれたので、相当なものなのだろう。高価な上に、便利なようだがリスクも大きいとなると、ぼくが手にすることはほぼ無さそうだ。

 

 五層の魔物は、とにかく刃物が役に立たない。魔導剣士であるピュリスも、剣を振るうよりも魔法を使い続けていた。ウィスクもピュリスも魔力のためか、精神力のためか、はたまた頭脳の使い方が上手いのか、魔法の威力がとにかく強い。初級魔法だというのに、一撃で倒せるぐらいの威力になっている。

 ふたりの活躍で、大きな困難もなく、休憩所となっているタシサに到着した。

「ソウ、お茶ちょーだい」

 マントの裾を尻の下にたたみ込みながらウィスクが言った。居間で寛いでいるような気軽さだ。ぼくは荷物を下ろして、腰巻きに挟んだ細い筒を一本取り出してウィスクに渡した。不思議そうに筒を見るウィスクに説明する。

「飴です、甘い」

 筒の中には金平糖のような飴が入っている。ぼくにとっては希少品だし高級品だ。地下での最期の晩餐候補でもある。魔法というのは精神力と脳が疲れるという。そういう疲れには、甘いものが一番だと、前世のぼくが言っている。

 恐る恐る筒を傾けたウィスクは、転がり出た金平糖を見て顔を輝かせた。やはり、甘いものは好きなようだ。全部食べられてしまうかと思ったが、ウィスクは数粒手に取ると、筒を返してきた。内心ほっとしながら、お茶の準備をするために炊事場に移動した。

 炊事場にはデラフとピュリスとニーリアスがいた。先程のキーダウチョをアーレトンスーから取り出して、解体を始めるようだ。

「よかったら」

 先程の筒をピュリスに渡すと、彼女も顔を綻ばせた。やはり、魔法を使う者にとっては甘いものは格別なのだろう。

 水場を解体に使うならば、お茶は別のところで用意した方がいいだろうと、水を汲んでいると、用を足したらしいナクタがキーダウチョを横目に話しかけてきた。

「アムフェイトンのあたりでは、こういうヤツの手の干からびたのがお守りとして売られてたけど、こっちでもある?」

「お守り? 食べないの?」

「食べない、と思う。こっちでは食べるの?」

「魔物は食べない、あまり。けど、動物は食べる、手とか足」

 ケルツェでは、空気が乾燥しているのと、植物の育ちが悪いのとで、なんでも日干しにする傾向がある。ウェットな状態よりも持ちが良く、味も良くなるのだ。野菜などはもちろん、肉も魚も干物にするのはポピュラーだ。ナクタの言う干からびたというのがどういう状態なのかはわからないが、干物だとするならば出汁を取るには良さそうだ。

「ありがとう、ソウ」

 ピュリスも筒を返してくれた。良かったと思いながら、腰布に筒を戻そうとするとナクタが「それはなに?」と尋ねてきた。

「飴です。魔法の疲れに良い。ナクタ、魔法使ってません。働いてないと、ダメ」

 わざとらしく唇を尖らせるナクタに笑いながら、ふと気づく。この道中、ナクタは戦闘にほとんど参加していない。けれど、リュマの中心人物は間違いなく彼であろうし、仲間から信頼を置かれているのがわかる。よほど腕がいいのだろうか。それとも故郷での階級の関係なのだろうか。

 彼は何者なのだろうか。

 ちらりと胸を掠めた疑問に、ナクタは気づいていないようだった。

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