十一通目 先鋭リュマというもの

 五層目は今までと様子がかなり、違う。

 四層まではフロアを歩いているような感覚だったが、五層は円柱状に空いた穴の周りをぐるぐると降りていく。穴の真ん中には巨大なシャンデリアのような氷柱が垂れ下がっている。まろみを帯びた氷の表面を、溶けた水が滴り落ちていくのが灯りに照らされて煌めく様は美しい。穴の周囲は非常に冷たく、足元も凍りついている。

 だというのに、氷柱から水が落ちるのは、時折地下から熱風が吹き上がるからだ。元々は氷で埋め尽くされた空間だったところに、地下からの熱風が通ったことによって穴が空いたと考えられている。天井部分に行くまでには熱も弱まるので、中央に氷柱が残っているのだろう。

 そして穴の反対側は壁になっているのだが、所々に窪みがあり、通路のようになっていたり、タシサがあったりする。ぼくが見惚れるのは、壁面の縞模様だ。地層が縞となって現れているのだが、間隔は狭く、ゆっくりと堆積したのがわかる。これを見るたびに、今いるこの世界は本当に存在しているのだと感じるのだ。


 五層の拠点は、四層からの降下地点より五メートルほど下にあった。直線では五メートルだが、歩行距離は一キロほどあっただろうか。今回の目的は探索ではないので横に逸れることなく歩き続けたが、それほど長い道のりではないのに魔物に遭遇すること四回という多さだった。測量が終わっている四層までと違い、探索している冒険者の数が少ないため魔物の数が多いのかもしれない。

 通路は三メートルほどだ。ひとりで歩くには問題がないのだが、戦闘となるととても狭い。横にふたり並ぶのがギリギリといったところで、邪魔にならないように移動するにも場所が無く、そういった意味でも難しい階層といえた。

 ナクタのリュマは相当な手練だった。ウィスクは魔物がこちらに気付く前に魔法で仕留めてしまうし、ウィスクの攻撃を逃れた魔物はピュリスの攻撃で大半が沈んだ。それもかわした魔物もデラフの斧の一振りで終わりだ。ナクタの出番がないどころか、ぼくとニーリアスが移動する間もない。四度の戦闘で一度も、隊列を崩すことがなかった。

 拠点についたぼくは、精神的疲労にやられていた。驚くことの連続で、高揚しすぎて疲れてしまった。こんなことは、ラクシャスコ・ガルブに潜りはじめの頃ぶりだ。初めての階層に踏み入れる時には緊張感はあるものの、これほど疲弊することはなかなかない。ニーリアスのほうも似たようなもののようで、放心した顔のまま携帯食を探っているようだ。

「早めの夕食にしよう!」

 ナクタの宣言に誰も何も言わなかったので、今夜はここに一泊することが決定した。

 先に到着した歩荷や冒険者の手によって、タシサは拠点らしくなっていたし、水も食料も潤沢だ。カリヤたちと別れた拠点より小振りであるし、研究者の数も少ない。層を下るごとに人の数は減るのだろう。

 ぼくは荷物を下ろすと、炊事場に向かった。冒険者の身を清めるための湯を用意するためだ。周辺にいる人に声をかけると、バケツ二杯分の湯と天秤棒を貸してくれた。礼を言って戻ると、装備を外していたナクタが、中途半端な格好で立ち上がった。

「もうちょっと休んでからでいいのに」

「大分、楽させてもらったんで大丈夫です」

 実際、戦闘の際に移動することもなく、身構えている間に終えてしまう速さなので、身体はかなり楽だった。

「生真面目なのは良いことだが、脚絆ぐらい外してからでもよかろう」

「一息入れてからのほうが、こっちも気楽だからな。まあ、しかし、これはありがたく使わせていただくよ」

 デラフとピュリスにも気遣われてしまい、恐縮した。冒険者の身繕いをしてから休むというのが一般的だが、それだと気を遣わせてしまうようだ。ここで頑なに自分の仕事を主張しても、彼らが寛げないのだろうと考えて、ぼくは荷物の側に戻った。

「変わった人たちだな」

 ニーリアスが顎を撫でながら小声で言ってきた。放心していたが、ぼくが動くのに気がついて後を追おうとしたら、デラフに砂糖菓子を渡されて止められたという。「お前の分」と言って渡されたのは、手のひらほどの菓子だった。カステラを砂糖で固めたような感じに見える。言うまでもなく、高級品だ。

 巻脚絆を解きながら、ナクタたちの様子を伺う。貰ってきた湯は使われているらしい。その使い方は丁寧で、貴重なものを扱うかのように、無駄にしないようにしているのがわかる。彼らの動きから察するに、かなり上級冒険者であることは間違いない。だというのに、浅層をウロウロしている冒険者よりもずっと、物事に対して丁寧だ。

 初めてナクタに出会った時の様子からしても、金に困っているということは無さそうであるし、育ちも悪くは無さそうだ。育ちがいいといっても、貴族ということは無いだろう。貴族というのは、ぼくらを同じ人間だとは思っていないし、その発想すらない。「前世持ち」でもなければ、人間皆平等という認識を持つ人間は極稀だ。

 解いた巻脚絆を使うときに便利なように筒状に丸めてから目を上げると、ナクタがいなくなっていた。用を足しにでも行ったのかと視線を動かすと、炊事場にフワフワとした亜麻色の髪がいるのがわかった。見覚えがあるその頭部に、嫌な予感を覚えて立ち上がった。しかし、時すでに遅し。振り返ったその手には、盆があった。

 駆け出さないように自制しながら、足早にナクタの元に歩み寄る。

「あの、休んでいてください」

 盆を受け取ろうと手を伸ばしたが、ナクタはそれを良しとしないどころか、遠ざけた。

「ソウのほうこそ、靴脱いだら?」

「そういうのは、ぼくの仕事なので」

 戦闘もせず、冒険者の世話もせず、守ってもらって歩くだけでは役立たずでしかない。

「ソウの仕事は荷物を運ぶことだろ?」

 それはそうだが、それだけではないのだが、ナクタは今まで歩荷を連れて潜ったことがないのだろうか。先鋭リュマでは歩荷を付けないことが多い。非戦闘員で一枠埋まってしまうのを嫌うからだ。先鋭であるということは、未知の領域に踏み込むことを生業としているので、生存率を上げるためには全員が攻撃手段を持っていた方がいい。そして、未踏の地に足跡を残すことが目的であるから、戦利品を多く持ち帰ることは重視していないことが多い。先鋭リュマともなれば、大所帯であるところも多く、訓練を兼ねて探索することも多いので、換金部位を集めるのはその時にしていたりする。それに、高級魔物の部位は換金率が良いので、自分で持てる数だけでもかなりの金額になる。そのため、歩荷は必要ではないのだ。

「今日は本当に、楽をさせてもらったので、何かしないと申し訳ないです」

「それを言ったらオレなんて、荷物すら持ってないんだからもっと楽してるよ」

 言い合っている間に戻ってしまい、ぼくは間抜けにもナクタの周りでうるさくしているだけで終わってしまった。恥ずかしいったらこの上ない。

「はい、スープ。五層はちょっと冷えるよな」

 器を手渡されてしまい、ぼくはちょっとヘコんだ。軽く落ち込みながら荷物のとこに戻ると、ナクタがニーリアスに器を渡していた。そしてデラフに盆ごと渡してしまうと、何故かニーリアスとぼくの間に腰をおろした。

「ニーリアスさんはオレたちと同じ『チャムキリ』だろう? どうして、歩荷をしてるんだ?」

 ド直球の質問に、ニーリアスは面食らったようだ。ぼくもギョッとした。質問内容もそうだが、ぼくらが使う『チャムキリ』という言葉は、彼らにあまり好まれない呼び名だ。それを知られているということに、ちょっとした後ろめたさがある。

「この仕事が好きだからだよ。なんだ? 世間話をしようってのか? 変わってんな、あんた」

 自分を取り戻したらしいニーリアスが、探るような目つきでナクタを見た。ぼくはここにいていいものかと考えた。ニーリアスについてを知ってしまうのも悪いような気がするし、自分に質問が向くのも好ましくない。別に言えないことがあるわけではないが、語るほどの身の上がないのだ。

「魔窟でできることなんて、世間話しかないだろ?」

「それはそうだが、俺たちのことなんて気になるものなのか?」

 ナクタの言うように、魔窟でできることなんて会話ぐらいしかないし、ニーリアスの言うように、チャムキリがぼくたちに興味を持つなんてことはない。こういった場合の、冒険者の武勇伝を聞くというのがぼくたちの役割であって、ぼくたちから何かを話すなんてことはほとんどない。せいぜいが、階層について知っていることを伝えるぐらいだ。

「そりゃぁ、気になるさ。オレはオレでしかないからな。ニーリアスさんの考えも、ソウの思っていることも、教えてもらわないことにはわかりはしないんだ」

「そいつ、そういうヤツだから。諦めた方がいいと思うよ」

 今回一番働いていたウィスクが、両手に菓子を持ちながら言う。魔力の回復には甘いものがいいと聞いたことがあるが、本当なのだろう。タシサについてから無言だったのは、ずっと菓子を食べていたからのようだ。

「ニーリアスさんも、ソウも、聞きたいことがあったら遠慮なく言ってくれ」

「じゃあ、遠慮なく聞かせて貰いますが、リュマの皆さん、歩荷を使ったことないんですか?」

 ニーリアスも同じことを思っていたらしい。

「無いことはないけど、それほど頻繁には雇わないな」

「道理で扱いがおかしいと思いました。普通、冒険者は給仕なんてしないんですよ。それは我々の仕事です」

「そんなことはないだろう。やれることをやれる者がやった方が効率がいい」

 否定の声はナクタではなくピュリスから上がった。隣で頷いているのを見るに、デラフも同じ考えのようだ。どうにも変わったリュマである。それとも先鋭であるが故なのだろうか。探索中に欠員が出ることだってある。できることが多く無ければ、生存の可能性が減るのが魔窟という場所だ。

 ウィスクはどうなのだろうかと視線を向けると、彼は肩を竦めた。

「ボクが楽できるなら、なんでもいいよ」

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