七通目 三層から四層へ

 フルグロから離れると、水の流れが聞こえてくる。

 三層目は棚田のように小さな池が連なっている箇所がある。前世の鍾乳洞で見た事がある光景だ。あの時はライトアップされていて、幻想的な雰囲気に感じたものだが、こちらは無骨な岩肌が、松明の灯りでぬらぬらと光っているだけだ。音のする方に進めば四層に続く場所に出る。

 いつもよりもかなり明るい洞窟内を冒険者の後ろにつきながら歩く。広い場所に出ると、必ず少数編成のリュマに出くわすのは、それだけ警備体制を強めているという事なのだろう。冒険者ふたりに歩荷三人、研究者一人というリュマでは、魔物に出会して勝てる見込みは高くない。移動には最低限の冒険者をつけ、他のリュマが守っているところを歩いていくという仕組みにしたのだろう。

 先程の様子を見るに、研究者はラクシャスコ・ガルブについて慣れていない。否、慣れていないどころかほとんど知識がないように感じた。フルグロの仕組みに戸惑っていたのもだが、烏帽子についてもだ。魔物の胎に入ったというのに、そんなことを気にしている場合なのかと思ってしまう。各々の文化には、理由があってそうなったということもあるのだろうから、口出しすべきことではないのだろうが、見栄も格好付けも命あっての物種ではないのか。

 つらつらと考えながら歩いていたら、左の壁が動いたような気がした。咄嗟に壁から離れ、口元を覆ったその時、ぼくの背後で悲鳴が聞こえたかと思ったが、すぐに消えた。

「アフミミネンだ!」

 叫んだのは誰だったか。視線を向ければ、研究者が頭からスライムを被っている。まずいことに悲鳴をあげようとしたらしく、口の中にもスライムが侵食しようとしていた。このまま放っておけば、窒息して死ぬだろう。ほとんどのスライムは雑食であるし、アフミミネンという種類はなんでも溶かすといわれている。色合いとしては薄い黄色。レモンゼリーを想像するとドンピシャだ。

「ラハヴァ」

 ぼくがに魔導具を出すより早く、誰かが炎の呪文を唱えた。炎は研究者のスレスレを飛んでいき、直撃するかと思ったスライムは素早く研究者から離れる。限りなく液体に近いアフミミネンは壁を伝って逃げようとするが、二発目の炎に飲まれて蒸発する。焼かれると浜焼きのような匂いがして、前世の記憶が呼び起こされ、食欲がわいてしまうのが難点だ。

 呼吸を乱した研究者に、カリヤが水筒を渡す。幸いなことに、烏帽子は頭に乗っていた。

「先が思いやられるな」

 小さな呟きはニーリアスのものだが、リュマ全員の心の声だろう。もちろんぼくも同じことを思っていた。水の多い三層にはスライムが多い。ヤツらは水音に紛れて近寄り、水滴を装って襲いかかってくる。違和感に気づかないと今回のようにあっさりとやられてしまうので、初見殺しと呼ばれている。ヤツらは呼吸や汗に反応しているといわれ、緊張や不安、興奮などで呼吸の頻度や発汗が多い者が狙われやすい。不慣れであるとやられてしまうというところもまた、初見殺しの所以となっているのだと思う。

 このリュマの中で、最も経験値が低いのはどう見ても研究者で、見事に初見殺しの条件を揃えている。呼吸、汗ともにとても多い。そして対処法をわかっておらず、叫び声を上げるという悪手を選んでしまうぐらいに無知なことが厄介だ。

 スライムの気配を察知したら、口や鼻を覆い、その場から素早く離れるというのが鉄則だ。襲われてしまった場合は、炎を使う。スライムは炎が苦手で、どんな小さなものでも嫌がるので、炎を繰り出す魔導具を取り出しやすいところに携帯しておくのが魔窟での常識だ。襲われた時には、慌てず冷静に炎を近づければスルスルと逃げていく。

 姿が捉えにくい魔物は、戦う術を持たない者にとっては最も厄介なものだ。はっきりと見えるものならば、冒険者がすぐに陣形を作るので邪魔にならない位置に移動すれば良い。しかし、見えにくいものは何かが発生した時に存在を知ることになるので、各自が対処の方法を覚えておかなくてはならない。六層にでるという吸血虫もこの類のものであろうから、対処法は覚える必要がある。が、六層に足を運べるリュマはまだ限られているので、情報が出揃っていないため、対処法も出来上がってはいなそうだ。魔除けに効果があるとわかっているのは幸いなことだ。


 四層に続く箇所に到達するまでの間、研究者は更に二度アフミミネンの襲撃を受けた。三度目の後に、ぼくは炎を吐き出す魔導具を貸すことにした。ずっと灯し続ければ襲われることはないはずだ。研究者は魔法が使えるようで、ミヒルの実を使わなくとも良いというのは助かった。自分が使うだろう分しか持ってきていないので、灯し続けた場合の消費量に不安があったのだが、自力でなんとかなってくれるならその心配はない。

 吻合型の地形になっているので、湾曲していて先が見通しにくく、魔物とばったり出くわしやすい三層だったが、道を作ってくれている冒険者たちのお陰で、スライム以外は大きな障害はなく四層前まで到達した。

 四層へ続く箇所の前には、大広間がある。通称「ドジェサ」だ。各階層にはドジェサがあり、そこには巨大な魔物が生息している。一度倒しても日数が経つと同じ種類が復活するが、同一個体が何度も蘇っているわけではないそうだ。ドジェサの入り口にはこちらも巨大な石の扉があり、ドジェサの主に見合うだけの力量がなければ開かないとされている。それを親切設計と取るのか、相手にする価値もないと見做されていると取るのかは、酒場での論争のネタとなっている。

 今回のぼくがいるリュマの実力では、石戸が開くわけもない。冒険者のふたりが猛者である可能性がなくはないが、ぼくや研究者が足を引っ張っていることは間違いない。それならどうするか、というのは、計画を立てた人物も当然考えたところだろう。その答えは単純明快で、実力があるリュマを石戸の前に配置する、という方法だ。

 ぼくたちが近づくと、待機していたリュマのひとりが手を振ってきた。こちらと違い、緊張感の欠片もないので、実力者揃いなのだろう。彼らは言葉もなく石戸の前に近づき、ぼくらの前後にふたりずつ立った。すると扉は音もなく下へと降りていき、前方が急に開けた。前のふたりが扉の奥へ進んで歩を止める。その間をぼくたちは進んでいくのだが、冒険者ではないぼくは、強い緊張を覚えた。

 経験豊富な人物が考えたことであるし、今回即席で作られた他のリュマもすでに通過していて、なんら問題はなかったのだろうと思うが、もしも、通過する時に、急激に扉が閉まってしまうのではないかという不安が湧き上がってくるからだ。実力が無いことは誰よりも自分がわかっている。ドジェサに踏み入る資格がない。その自分を、石戸は許すのだろうか。扉の幅は僕が寝そべったよりもある。荷物を背負った状態で、一歩で渡り切れるものではない。

 研究者をチラと見て、ぼくはゆっくり息を吐いた。露骨に緊張して見せれば、研究者がパニックを起こす可能性がある。内心の不安を表に出してはいけない。先を行く冒険者に続き、不自然にならない速度と歩幅を意識して踏み出した。歩数にして三歩。たったそれだけの時間がやたらと長く感じた。何事もなく、無事にドジェサに入ったぼくは腰に括り付けているナイフにそっと触れた。

 ぼくの後の面々も少しばかり緊張した面持ちで扉を抜け、全員がドジェサに入った。主のいないドジェサはがらんとした広い空間で、見上げてみても天井らしいものは見当たらない。魔窟というのは摂理というものから外れているのか、前世で苦手なりにも物理を学んだぼくの常識を軽々と覆してしまう。あり得ないがあり得る世界であるが、その最もたる場所が魔窟なのだと思う、

 念の為、ドジュサを抜けるまでは待機していたリュマが同行してくれるようだった。彼らの動きには硬さがまるでなく、突然ドジェサの主が復活しても問題無く対処できるだけの実力と自信があるのが窺えた。ドジェサの終わりには扉はなく、少し窪んだところに、下層に伸びる階段があった。整備が終わっている区画なので、人工的な歩きやすい石段が続いている。人の手が入っているのを見ると、途端に安心感が沸いてしまうが、それもまた危険なことではある。


「では、我々はここで」

 四層に降り、野営地となる広間(タシサ)に到着したところで、カリヤが言った。てっきり六層まで一緒なのだと思っていたぼくは意外に思ったが、研究者とカリヤ、そしてなんと冒険者のふたりまでもが「我々」に含まれていると知った時には仰天した。

 冒険者のふたりは普段は三層を中心として探索し、時々四層に足を伸ばすぐらいの探索をしているそうで、これより先に、戦闘能力の無い人間を連れていくだけの技量が無いのだそうだ。

 四層を探索している冒険者は増えてきているとはいえ、ようやく測量が終わった段階で、三層ほど整備されているわけではない。ある程度安全を担保して探索しようとすれば、この辺りをウロつくのが稼ぎとの天秤が釣り合うということなのだろう。

「これから先は、別の冒険者が四人つく。おまえさんは少し休んでな」

 ニーリアスは計画を知っているようで、そう言いながら荷物を解いている。ここで下す分があるのだろう。再び荷造りをするまでには少し時間がかかりそうなので、ぼくは言われた通り、休むことにした。

 とはいっても、座ることはしない。荷を下すと再び背負うのが大変なので、荷物の下に丁字の棒を立てて立ったまま休む。いつもよりは軽い荷物だが、重心が狂うと途端に背負いにくくなるので、できるだけ同じ状態を続ける方が楽なのだ。腰につけた筒から飴を一粒取り出して口の中に放り込む。塩味の金平糖といった感じの飴で、懐かしさもあって好んで買っている。噛み砕いてしまう癖があるのだが、ニーリアスの様子から焦る必要はないので今回はできるだけ舐めようと心がけた。

 飴を転がしながらのんびりとタシサを眺める。カリヤは研究者に雇われた従者的な立ち位置だったのか、彼らの集団の側で荷物を解いている。研究者集団は皆が皆、スライムにやられたようで、白い服がドロドロだ。彼らの大切な烏帽子もドロドロなのだが、誰も外していないあたり、本当に大切なものなのだろう。

 あちこちから軽やかな笑い声が聞こえてくる。魔窟にいるというのに、地上にいるような砕けた空気が流れていて、不思議な気持ちになった。

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