四通目 ミヒルの実と無能なぼく

 目が覚めるとすぐに、携帯コンロで湯を沸かす。

 朝日を浴びて橙に染まる山々を見上げる。グムナーガ・バガールからだと北に見える山々の中で、一番高い山をぼくたちはカルゼデウィと呼んでいる。常に雪の衣装を纏い、急峻な山容は、何人足りとも寄せ付けない。この辺りでは神の住まう山で、汚してはいけない聖域とされている。

 ツォモ茶を飲みながら山を眺め、飲み終わったら街から出て周辺の散策に行く。体力を落とさないのと、ミヒルの実を採取するのが目的だ。

 ミヒルというのは不思議な植物で、茎も葉も真っ黒だ。そこにクヌギの実に似た形をした、透明感のある赤い実をつける。質感はベリーというより石に近い。ミヒルの実は魔素を多く含んでいて、魔道具の動力として使える。ぼくの持っている動力のいる魔導具全てはこの実で動く仕組みになっている。

 ミヒルが繁殖すると魔物が生まれるといわれている。チャムキリから聞いた話だと、魔素溜まりができるとミヒルが発生し、そのまま放置して魔素濃度が高まると魔物が生まれたり、魔窟が発生したりするのだそうだ。なので、ある程度の繁殖が確認されたら、神官によって浄化してもらうことになっているらしい。

 ぼくたちの集落では、ミヒルの実を採る時には「ミヒルの歌」を歌うように言われていた。独特の節がある歌で、歌詞の意味はわからない。音に抑揚をつけただけのような歌詞なのだが、これを歌いながら採らないと神の怒りに触れ、天罰が下るのだと教えられた。チャムキリの話と合わせると、天罰は魔物の増加や魔窟の発生にあたり、歌には神官の浄化と似た効果があるのかもしれない。

 これだけでも十分不思議なミヒルという植物だが、もっと不思議で、ぼくを混乱させるのが、赤くないミヒルの実からぼくたちが生まれる、ということだ。

 基本的に赤い実をつけるミヒルだが、それ以外のさまざまな色の実が稀についていることがある。赤以外のミヒルの実を見つけて持ち帰り、強い絆で結ばれたふたりが育てることでトウモロコシのような実を持つ植物になる。その実は自然に落ち、更に一年をかけてぼくたち人間の姿になる。人間の姿になってから初めての春を三歳とする――というのがこの世界での常識らしい。それは国の東西を問わず、身分の差も問わず、等しく同じであるようだ。

 当然ながら、前世の記憶があるぼくにとっては、そんな馬鹿な! という話ではあるが、末の弟や、他の家の様子を見るに、どうもそれが真実であるらしく、どうしてトウモロコシが人に成るのか、誰かに納得できる説明をして欲しいところだが、これが常識である世界では、女性の腹に十月十日というほうが奇怪で異常な話に聞こえるのだろう。

 今のところぼくは子供が欲しいと思っていないし、一緒に育てる相手もいないので、必要があるのは赤い実だけだ。

 巾着に実を詰めていると、遠くで人の声がした。見下ろすと大柄な男がひとり、こちらに向かい大きく手を振りながら登ってくる。周囲を見回すが、ぼくの他には誰もいないので、男が呼びかけたのはぼくなのだろう。

 ぼくが気づいたのを見て、男は駆け上がろうとしたようだが、すぐに息が切れてしまったようだ。仕方なく、ぼくが降りていくと男は先日見チャムキリ、ナクタだった。

「ボードン。作業の邪魔したね」

 ぼくはちょっと驚いた。ナクタの使った「ボードン」はぼくたちの言葉の「ごめん」だったからだ。ぼくたちがチャムキリの言葉を学ぶことはあっても、チャムキリがぼくらの言葉に興味を持つとは意外だ。思えば、昨日の時点でナクタはぼくらの挨拶で話しかけてきていた。

「何してるの? ああ、ミヒルの実か」

 話しかけてきながらぼくがいた場所を見上げたナクタは、答えを聞かずとも理解したようだ。「手伝おうか?」というので、もう巾着いっぱいに詰めたと袋を持ち上げて示すと、ナクタは残念そうな顔をした。

「あれから、君に何かお礼はできないかと考えていたんだけど、君が喜びそうなことが全然浮かばなくて」

 今度は心底驚いた。ぼくのことを覚えていたことも驚きだったが、あの遠さでぼくだと気づいたのなら驚愕する。何故わかったのかと聞いてみると、ナクタは人を色で見分けているのだと言う。

「ソウなら、ゆらめく青に明るい緑が時々弾ける感じだね」

 それが何なのかは全くわからないが、そんな風に見えているので遠くからでも見分けがつくらしい。便利なものだと思う反面、目に煩そうだと思ってしまう。生まれながらにそういう視界なら、慣れるものなのだろうか。

 もう戻るのかと訊かれたが、太陽の位置はまだ昼前だった。もうしばらく歩くつもりだと答えると、ナクタは一緒に行ってもいいかと言うので頷く。

「さっきも言ったけれど、君に何かお礼したいんだ」

 気にしなくても良いのにと思ったが、借りを作るのが何より怖いという地方の教えがあるのかもしれない。それならば、このままにしておくほうがナクタに悪い。ぼくは少し考えて答えた。

「少しだけ、言葉を教えて欲しい」

 ナクタはずっとゆっくりとした口調で話してくれている。だからなんとか聞き取れているが、これが早くなったら単語を拾えるぐらいしかできない。

「それでソウがいいのなら」

「では、散歩の間、お願いします」

 そうしてぼくたちはしばらくの間、簡単な日常会話や、単語などを互いにやり取りしながら歩いた。


 テントに戻り、携帯コンロにミヒルの実を補充しておく。

 携帯コンロは前世でのバーナーに近い。買えばかなりの金額なのだが、これはお下がりだ。前に手伝ったリュマのひとりに貰ったのだ。彼は一攫千金を夢見て他所からやってきたのだが、ぼくが手伝っていた期間中に仲間の死に遭遇し、向いていないと判断したようだった。グムナーガ・バガールを離れる日に、ほとんど新品に近い探索用の道具一式をぼくに譲ってくれた。売れば纏まった金になっただろうに、ありがたいことだ。

 この街に古着屋や古道具屋が多いのは、夢半ばで終える人たちが荷物を処分するからだ。街を離れる時に一切合切を売り払って、荷物を軽くして路銀を作るという方法が広く知られている。商売が成り立つぐらいに、夢破れる人が多いのだ。

 道具の手入れをしながら、時々カルゼデウィを眺める。その美しい白い山を見るたび、ぼくは前世の友達を思い出す。彼はぼくのこの奇妙な人生で、唯一、友達と呼べる人だった。山を愛し、山に焦がれ、そして山で死んでしまった。

 前世でのぼくは、今と同じく何も考えていない人間だった。今よりも悪いことに、何もせず、何にも興味を持てないまま生きていた。当時のぼくは「将来の夢」という言葉がもっとも嫌いだった。何と答えれば及第点なのか全くわからなかったからだ。さまざまな選択があるように見せかけて、実のところ選べる道はそれほど多くはなく、年齢によって無難な返答をしないと嗤われるという最悪のクイズだ。

 友人は柴翔太といった。出会いは高校で、一番最初の席順が前後だったのが知り合うきっかけだった。よくある話だ。柴は車で二時間はかかるだろうという場所から自転車で通っていた。ワンダーホーゲル部があるからという理由で選んだのだそうだが、入部してすぐ、最初の夏休みを待たずして退部していた。協調性がまるでなく、向いていないと判断したのだそうだ。山関係の雑誌や本をよく読んでいて、何故かぼくに山や登山家について解説していた。輝かしい偉業と、それと同じかそれ以上の悲劇の話は面白くはあったが、ぼくには終ぞその気持ちは理解できなかった。

 そんな彼が最も憧れた山がK2で、死亡率がめちゃくちゃ高いのだという。度々写真を見せられていたその山に、カルゼデウィはよく似ている。ぼくの前世の記憶において柴との思い出が鮮明なのは、カルゼデウィがどこからでも目に入るからだろう。

 今日もまた、柴のことを思い出しながら、教室で何度もやらされたロープワークを手遊びする。昔取った杵柄という言葉があったが、ロープワークの巧みさを父によく褒められたものだ。

 柴のことははっきりと思い出せるのに、前世での自分についてはぼんやりしている。いつ死んだのか、どうして死んだのかも定かではない。それぐらい、前世のぼくはぼんやりと生きて、ぼんやりと死んだのだと思う。あの世界になんの未練もないぼくが、記憶を継承してまで転生した理由は何なのだろうかと考えてしまうが、答えなどどこにもないのもわかっている。考えるだけ無駄だ。

 こちらの世界には「前世持ち」と呼ばれる人たちがいる。実際にいるのだろうと思えるほどに、前世の家電に良く似た魔導具がある。前世持ちであれば、王都に招かれ、贅沢な暮らしができるという噂話もある。そういう噂ができるぐらい、前世の知識をこちらで生かして成功した先人がいるのだろう。

 けれど、ぼくには何もない。

 前世をぼんやりと生きていたので、こちらに生きる人々の役に立てるような知識などないし、思いつくものは大体出揃っているようにも思える。名乗り出たとして、期待を背負って結果が出せないという最悪の状態になるのは目に見えている。

 それに万人が驚愕するような素晴らしい能力というものも持ってはいない。言葉だって難なく操れるわけではないし、運動神経も兄弟たちと何も変わらない。

 周囲に比べて得意なことは、学ぶことだった。これは前世で学習の機会があったからだ。小学校から大学までの十六年間が、今世で役に立っている。お陰で、読み書きも計算も、異なる言葉を覚えることも周囲の誰よりも得意だ。

 更にいうなら、異なる文化があるだろうことも、さまざまな宗教や価値観があることも、生まれながらに理解しているということは、グムナーガ・バガールで生きていくのにとても役立っている。

 前世よりずっと不便で、ずっと貧しく、生きるということだけに全力を傾けなくてはならないこの土地で、ぼくは十三年生きている。欲を言えばキリはない。せめて必要最低限のレベルをもう少し上げて欲しいとは思う。

 けれど、案外、生きることだけに集中すればいい、ここでの暮らしはぼくに向いているのかもしれないと思っている。

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