三通目 チャムキリ

 グムナーガ・バガールの人口が目に見えて増えたきた。

 潜行一週間前になり、潜行隊の面々はもちろん、彼らに乗っかろうという商人たちや、報道関係者もやってきたという。ぼくのような末端の人間からも言葉を得ようという人もいて、街全体が浮ついているように感じる。街全体が華やげば華やぐほどぼくの気持ちは憂鬱になり、荷物の点検を何度も繰り返してしまう。

 ラクシャスコ・ガルブはベテランでも気を抜けばあっさり死んでしまう魔窟だ。低級魔物しか出ないとされている浅層であっても、油断すればあっさり全滅する。魔窟が人を殺すのではなく、人の心が人を殺すのだと冒険者の誰かが言っていた。

 だから、この浮かれたような空気はぼくにとって恐ろしいものだった。セルセオ・ガットンだから、タバナ・ダウだから、大世帯だから、という理由で大丈夫なんてことはないのだ。臆病すぎるぐらいが丁度良く、準備を万全にしようと心がけることが、心を大丈夫に近づけるのだと思っている。

 朝食の後すぐに荷物の点検をしたが、防寒と防水対策が心許ないように感じる。魔窟での冷えと水濡れは魔物と同じぐらいに恐ろしい。普通の洞窟であれば温度変化は激しくないのだろうが、魔窟では生息する魔物の特徴によって環境が大きく変わる。魔導師がいるので冷ます方法はあるのだが、適度に温めるというのは難しいらしい。なので、濡れてしまうと低体温症で死ぬ可能性が高まるのだ。

 露天の古着屋に良いものは無いかと見に行くと、ナムツェ出身のマビとニルダワに出会った。ふたりは従兄弟同士で、ぼくと同じく歩荷をしている。双子なんじゃないかというほど良く似ているので、見分けるのは難しい。ふたりはぼくを見るとニヤリと笑い肩を組んできた。

「出世したんだから奢ってくれよ。一番安いのでいいからさ」

 強請っているのは酒や食事ではなく、娼だ。その証拠に、ふたりはバヴュ・トーパ(華やかな窓という意。娼館街)のある北西に視線をチラチラ向けている。一番安いのというのは格下の香一本分ということだ。

 ここでは飲酒はあまり好まれてはいない。呑むのが嫌いというわけではなく、探索にの邪魔になるとされているからだ。どういうわけか魔物は酒の匂いに敏感で、二日酔いでいったら最後、最も早く、最も執拗に狙われることになる。リュマにひとりいるだけで全滅するのは当たり前で、階層にひとりいたら同じ階層の全員の危険性がグッと上るといわれているのだから、嫌がられるのもわかろうというものだ。

 では娼はどうなのかというと、こちらは取り立てて騒ぎになることはない。金さえあれば子供でも出入りできるなんていわれているぐらいだ。けれど、バヴュ・トーパに行くのは魅力がないからだと思われているきらいはある。

 というのも、明日をも知れない冒険者が多く集まるこの街では、色恋について開放的だからだ。当人同士の気が合えば老いも若きも、性別だって関係ない。一夜を共にした相手が明日の夜も生きているとは限らないし、自分が生きている保証もない。冒険者や潜行家は一時の気の迷いに、本気で身を委ねる。そういった気風なので、娼を買うのは観光客か誰にも相手にされなかったヤツという認識がある。なかなかに世知辛い。

 ぼくは色恋に興味がないので、一夜の情熱も、娼との朝も未経験だ。そのこともあってマビとニルダワが絡んでくるのだろうが、こういうのは前も今も、所変われど同じようなものなのだと、懐かしさを覚えた。

 肌着と防水布を買うことにした。羊毛でできた薄手の肌着は、湿度調整が上手くいくので気に入っているが、新品は高い。古着屋で見つけたら即買いの品だ。雨具を買うか防水布にするかで悩んだが、布ならば加工もできるので色々な使い方ができるだろうと考えた。畳んだまま日焼けしてしまったらしく、出来損ないの格子のような模様がついてはいるが、性能に問題がないなら構わない。

「ドゥケ」

 小銭を奪おうとするふたりの腕を薙ぎ払っていると、声をかけられた。目を向ければ背の高い男が立っていた。背だけでなく、がっしりとした筋肉に覆われているのが服の上からでもわかる。はち切れんばかりの上腕二頭筋に目を奪われていると、男は「靴下はどこに売ってますか?」と尋ねてきた。

 一目見てチャムキリだとわかる容姿に、それまでうるさかったマビとニルダワは急に静かになり、存在まで消そうとしているかのように小さくなって固まっている。ぼくは色々諦めて、チャムキリを相手にすることにした。

「防具屋にある。場所わかる?」

 カタコトながら答えると、背後のふたりが驚いているのが気配でわかった。

「防具屋は、お店ですか?」

 露天ではないのかと言っているのだろうと解釈し、ということは知らないのだと理解する。グムナーガ・バガールには最近来たばかりなのだろう。口頭で説明できるほどチャムキリの言葉が得意なわけではない。もどかしさに身を捩るより、連れて行ってしまったほうがずっと早い。

「今から行くところ。一緒にどう?」

 問いかけると、彼はパッと表情を変えた。チャムキリはぼくたちよりもずっと表情が豊かだが、彼は特にわかりやすいようだ。

 マビとニルダワと別れ、表通りのほうに歩く。靴下は露天でも売っている。安価である代わりに、品質が安定していない。両方の大きさが揃っていなかったり、ほつれやすかったり、形が崩れていたりする。店舗にあるものは高品質なものなので、チャムキリにはそちらのほうが良いだろう。変なものを摑まされたと難癖をつけられても困る。

「君、名前はなんていうの?」

 急な問いにギョッとして見返すと、彼はぼくの反応に驚いたようで少しのけぞった。

「えっ、聞いちゃダメなやつだった?」

 目に見えて狼狽えた彼の様子が面白く、ぼくはちょっと笑った。ころころ変わる表情を見ていたら、一番下の弟を思い出してしまったのだ。

 名前を聞くことは失礼にはあたらないが、ぼくたちの名前に興味があるチャムキリがいるとは思わなかったといったことを告げると、彼は唇をきつく結んだ。その様子を見て、もっと上手いこと言ってやれば良かったかと反省した。

 チャムキリがぼくらの名前を聞かないのは、山羊や羊と同じようにぼくらを見ているからだろうと思っている。良く解釈すれば、ぼくらに名前があると知ってしまえば、モノや牧畜のように扱えなくなるという人情味からだろうし、悪く解釈すれば、牧畜を解するわけがないと思っているのだろう。

 ぼくたちの間には言葉の壁があるし、価値観の違いもある。見た目に違いもあるし、宗教も違えば、食べているものも、命の重さも値段だって違う。同じ人間だと理解できない人たちがいることも想像がつく。

 無口になった彼を防具屋まで案内して、口実にしてしまった手前、ぼくも店内に入った。チャムキリに愛想を振りまいている店主を横目に、高級靴下を眺める。今回の仕事がうまくいって、残りの半金が出たら記念に買うのもいいかもしれないと思う。近くにあった繕うための針を買うことにして、店主に会計を頼んだ。

 上客を連れてきたためか、ぼくにまで愛想を振りまいた店主に内心で苦笑し、黙って出ていくのも悪いかと、彼に「良い買い物を」と声をかけた。

「あ! ちょっと待って」

 値段も見ずに三足ほど掴んで会計をした彼は、ぼくと一緒に店外に出た。他に何か用事があるのだろうかと思って見ていると、彼は右手を胸に当て、軽くお辞儀をした。

「オレは、冒険者のリューネナクタ・ファイルヒャイターです。よろしければ、あなたのお名前を教えていただけますか?」

 実に丁寧な名乗りだが、丁寧すぎて逆に怖い。ぼくたちとは違った響きの名前は仰々しく聞こえ、格式のある家の出なのだろうかと推測した。

「ぼくはソウといいます。ケルツェのビハナ・ソウ」

 ぼくが答えると、彼は顔を明るくして「よろしく、ソウ」と握手を求めてきた。ここで別れるのによろしくと言われてもと思いつつ、握手に応じると「オレの名前は長いから、ナクタでいいよ」といってきた。確かに長い。そして、全く覚えられない。そちらが名前なのかと思いつつ頷くと、買ったばかりの靴下を一足、渡してこようとする。

「いらない。何かが欲しくてしたわけじゃない」

 はっきりと断ると、ナクタはハッとした顔をして、顔を暗くさせる。チャムキリにとっては大したことのない出費で、誰かに与えるのは全く負担にならないものなのだろうけれど、ぼくらにとっては高価なものだ。

 グムナーガ・バガールに来て間もないナクタには、価値観の違いの大きさをまだ飲み込めていないんだろう。自分の行いが、ぼくらを傷つけてしまうことを憂いている。わかりやすいのだが、それだけに面倒臭い。

 ぼくにもっと語学力があれば、きちんと説明できるのだろうけれど、今現在習得できている程度では、複雑な言い回しなどはできない。聞き取れるほどには喋れないのだ。

 お互いにもう用はないはずだし、ぼくはナクタを傷つけるばかりで一緒にいても仕方がない。「ドゥケ」と言って別れると、ナクタは肩を落としながらも、手を振って見送ってくれた。

 自分のテントに戻りながら、もっと上手い立ち回り方があったのではないかと考える。なまじ前世の記憶があるせいで、頭でっかちになっているところがあるのだとは思う。靴下を差し出されたのがマビやニルダワだったら、喜んでもらっていただろう。そうやって笑顔を見せてやったほうが、相手も嬉しいはずだ。ナクタに他意はなく、純粋にお礼として渡そうとしただけだ。けれど、とぼくは思ってしまう。

 あの靴下は、ぼくの一ヶ月の食費よりも高い。そしてここでは、来月も今月と同じだけ稼げるとは限らない。今月無理をして、来月補うというやり方はできない。ひと月も先のことなど全く見通せないからだ。

 チャムキリとぼくたちの間にはそれだけの溝があって、だからぼくたちの命は軽く扱われる。病院もなければ神殿もないぼくたちは、病に罹れば神に祈ることしかできない。薬もなければ治癒魔法もないからだ。風邪でも死ぬし、下痢でも死ぬ。ラクシャスコ・ガルブに潜らなくても簡単に死んでしまう。

 それでも、自分で選択できるだけマシだ。バヴュ・トーパに売られたら、そこから出る自由すらないのだから。

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