二通目 ぼくたちの問題
ラクシャスコ・ガルブの入口周辺に次々とテントが立てられていく。
今回は大隊(約四百人)規模なので、地上での支援隊もいる。支援隊はできるだけ迅速に行動できるように、入口付近で待機することになる。今回ほどの規模でない場合は、サンガ(冒険者管理協会)に詰めていることが多いが、ぼくはテントにいる方が気楽なので好きだ。
設営を横目に見ながら道具屋に行った。ロープや金具をいくつか新調しておきたかったからだ。露天型ではなく、店舗のある道具屋に入ると眩しい若者が数人、熱心に道具を見ていた。若者といってもぼくと同じか、もう少し上なのかもしれない。けれど、この辺りでは二桁に届かない子供しかしていない瞳をしていて、若者と呼ぶに相応しい雰囲気だ。
この辺りでは他所から来た人のことをチャムキリと呼んでいる。眩しい人という意味になる。ざっくりと「自分たちとは違う人」という意味で使われていて、他所の人に向かって直接呼びかけたりはしない。彼らの中にはチャムキリと呼ばれることを排他的だといって嫌っている人もいる。
チャムキリの若者たちを微笑ましく思いながら店主に声をかけると、ぼくを一目見た店主は僅かだか憐れむような表情を見せた。たぶん、若者たちとぼくが同じような年齢であることを察したからだろう。チャムキリはぼくたちを見ると、時々物悲しそうな表情を浮かべるのだ。
ぼくは気づかなかったふりをして、ロープと金具を用意してもらうように伝えた。若者たちがぼくの言葉に耳を攲てているのがわかる。経験を積んでいる人間が何を選ぶのかと気になるのはよくわかる。誰だって最初は初心者なのだから、何も恥じることはない。用意してもらった道具を受け取り、代金を支払って店を出ると、ぼくが買ったものについて店主に質問する若者の声が外にも響いてきた。ラクシャスコ・ガルブは一投目が最初で最後になることもある場所だ。無事に経験者になって欲しい。健闘を祈る。
その足でサンガに行った。
兄たちとの待合わせがあったからだが、ぼくが行くとすでに姉がいて広めの机を抑えていた。「早いね」と言うと「文字の練習をしていた」と答えた。姉は今、読み書きと計算を身につけている最中だ。
兄や姉は読み書きや算数が得意ではないので、契約書類はぼくが目を通して確認することになっている。今日の集まりもそのためだ。
ぼくが生まれ育ったケルツェには学校というものはなく、識字率はとても低い。それはナムツェも同じで、この辺りの小さな集落はどこも似たり寄ったりだ。教育というものが根付いていない。そのせいか語彙そのものが少なく、思考するのに足りていないといつも感じる。
集落や民族に関しての物事は口頭で伝えられ、集落には必ず語部と言われる老人たちがいる。代々語り継がれてきたことを口伝で残すのが役割だ。さまざまな話を覚えていられるだけの能力がありながらも、語部たちもまた文字を持たない。誰かが書き記さなければそれらの多くはやがて消えてしまうのだろう。
姉の勉強を手伝っていると、兄たちが現れた。やってきたのは長兄と次兄で、三番目は仕事に入っているのだという。
兄が持ってきた書類は、彼らの次の仕事の契約書と、ぼくのすぐ下の弟の初の単独仕事の契約書だった。そこに書かれていることをぼくが読み上げ、おかしなところがないかを兄たちが判断する。記入が必要なところを教え、書きたいことを聞いて文字にする。以前は兄たちに書かせていたが、ぼくが書いた方が雇い主の対応が良いというのがわかってからは代筆することになった。整った文字で書かれていると背後に識者がいるのだと誤解して、おかしなことをふっかけられないのだそうだ。面倒が無いのが何よりなのでぼくに文句はない。最後に記名する場所を教える。名前だけは兄たちも弟も間違いなく書けるので問題はない。
兄たちは読み書き計算は満足にできなくとも、重さや距離や高さについての感覚はとても敏感だ。荷物を持てばほとんど誤差なく重さを当てられるし、歩いた距離がどれぐらいのものなのか、どれぐらいの高度にいるのかを正しく判断できた。まだまだ経験の浅いぼくでは、兄たちには遠く及ばない。
ぼくは長兄に今回の契約内容を伝え、前金の一部が入った封筒を両親に私て欲しいと預けた。魔法道具の封緘印を押してあるので、ぼくか両親にしか開くことはできない。長兄は仕事の内容に渋い顔をしたが、次兄はタバナ・ダウの名前に興奮して、ぼくの肩を何度も叩いた。「必ず戻ってこいよ」と長兄が、次兄は「次のタバナ・ダウになれよ!」といって帰っていった。
勉強を再開した姉と少し話した。
誘われていたリュマ(冒険者のグループ)に入らないのかと訊ねると、姉は迷っていると答えた。
姉が誘いを受けているリュマはグムナーガ・バガールでは名うてのリュマだ。女性だけで構成されているものの実力は折り紙付で、五〜六層を中心に活動している。現在の最下層が七層であることを考えると、先鋭的だ。それだけの実力があるところに誘われるというのはなかなか名誉なことだとぼくが言うと、姉は舌打ちして眉間に皺を寄せた。
「あたしは、歩荷として終わるのは嫌なんだ。冒険者になりたい。けど、まだ金が足りないんだよ」
なるほどとぼくは思い、これは姉だけではなく、辺鄙な場所にある集落すべてが抱える問題だった。
冒険者になるには『適正証明』が必要になる。神殿に行って判定してもらうか、人物鑑定ができる鑑定師に判定してもらい、証明書を発行してもらわなければならなかった。都市部には大なり小なり神殿はあるので、そこで鑑定してもらえるようだが、小さな集落にはそんな施設はないし、そもそも神殿と宗教を異にしていることが多い。となると、鑑定師に頼まなければならないのだが、人物鑑定ができる鑑定師の数が少ない上に、その能力柄、裕福層であることが多いので出会うことが難しいし、金がかかる。
姉は随分と前から鑑定師を探しているようだったが、目ぼしい情報には行きついていない様子だ。人物が絞れなければ価格帯も読めないので、どれぐらい貯め込めばいいのか皆目検討もつかない。金の問題だけならば、ぼくの貯金を渡すという方法があるのだが、頼める鑑定師を見つけるほうについては、姉の人脈に劣るぼくには何もできない。
目の前にチャンスが転がっていても、それを掴むための手段を持っていないというのはなんとも歯痒いものだ。そして『適正証明』を持っていないだけで、可能性がかなり絞られてしまうという現実。
それはぼくにとっても他人事ではない話だが、姉にはもっと大きな問題があった。
兄たちがいる間、姉はほとんど言葉を発さない。長兄が保守的な人間だからだ。このあたりの集落において、女性というのは結婚をして初めて人権を得るようなところがある。そのため、未だ独身である姉が、自発的に言葉を発するのは良くないとされる。訊ねられた場合のみ、できるだけ短く、できるだけ従順な言葉を口にするのが望ましい、とされる。基本的に女性は男にとっての財という位置付けなのだ。嫁ぐ前は父の、嫁いだ後は夫のモノなのだ。
そういった考え方が顕著に現れているのが名前だ。
女の子が産まれた場合、親は子に名前をつけない。結婚した相手が名前をつけるという因習があるからだ。女性は基本的にホンと呼ばれ、他家と区別するために父の名が用いられる。姉妹がいる場合は数字で区別する。ぼくの家の場合、姉妹はふたりなので姉はグンホンサで妹はグンホンチャだ(サ=一、チャ=二)。女性は大体十歳になる頃には婚約者が決まって、早ければ十三歳で嫁ぐ。そうして夫に名前を与えられ、婚家の一員になったとされる。
姉は子供の頃からこの因習を疑問に感じていたらしく、グムナーガ・バガールに冒険者が集まるようになってからは忌み嫌うようになった。姉は十八になるが、名前がない。名前がなければ契約書類などが作れず、書類上、父の許可を得て仕事をしているという形になっている。契約書には父の記名がなければならず、自分だけで仕事が選べない。ぼくも独り立ちをするまでそうであったので、姉は書類上、半人前という扱いになるのだ。ぼくよりもずっと経験があるというのに。
幸いにして、ぼくたちの父親は理解があるほうなので、結婚しない姉を無理矢理にでも結婚させようとか、殴ってでも言うことを聞かせようとはしないのだが、問題は集落の意識にある。半人前の女が、自由意志で行動するなんて以ての外だと思っているのだ。
姉は久しく故郷の地を踏んでいない。家族に迷惑をかけたくないからだろう。兄たちも帰って来いとは言わない。喧嘩になることは必至だし、集落に話題を提供したくはないからだ。ちなみに、姉の婚約者であった男は、出稼ぎに行くといったっきり戻ってきていない。
姉が潜行隊の選抜を辞退したのはそれらの事情がある。現地で内々にしているものと、今回の潜行隊は話が違う。セルセオ・ガットンの資金調達能力の高さから、貴族や豪商が金を出しているので、詳細な調査書が作られて記録として残り続けることになるらしい。もし十層が発見されたとすれば、末端の歩荷であったとしても話を聞きたがる連中に囲まれることになるのが予想された。ここで姉が参加した場合、姉の名前はグンホンサとして永遠に覚えられることになる。それを嫌ったのだ。
先鋭潜行隊に選ばれたというのは喜ばしいことなはずだ。大所帯であるとはいえ、選ばれない同業者もたくさんいる。候補になるということは、今までの実績や人柄、心配りが認められたと証にも近い。だというのに、名前という、誰でも持っているはずのものがないことで、名を連ねることができない悔しさと惨めさ。
更に辛いのは、姉の苦しさを理解する人があまりに少ないということだ。女性に名前が無いのは当然のこととされている。不快感を抱く姉がおかしいという認識だ。両親も、兄弟も、その妻たちも、姉がおかしいと考えている。女性とはそういうもので、女性にとって婚家こそが真なる家族であると信じて疑わない。そういう風習の中で生きていれば、姉の方がおかしいと感じるのは当然かもしれないが、ぼくには歪に見えてしまう。
それはぼくが、前世持ちだからなのだろう。
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