ラクシャスコ・ガルブ潜行記

多寡等録

一通目 グムナーガ・バガール

 ぼくがグムナーガ・バガールに滞在するのは、今回で十度目になる。

 昼夜問わず喧騒の絶えない街で、活力と希望に満ち溢れている。生命力が濃厚な街だ。

 ラクシャスコ・ガルブが魔窟と認定されるまでは、この土地はナムツェ民族の住む集落だった。高地であるこの辺りには小さな集落がいくつかあり、そこに住む民族の名が付けられていた。ぼくの生まれ育ったケルツェの集落はナムツェよりも東に行ったところにある。以前のナムツェのように、何もないところだ。

 ラクシャスコ・ガルブというのはこの地方の言葉で【魔物の胎】という意味がある。六、七年前に隆起した小山に穴が開き、中から魔物が溢れ出てきたことに由来する。そしてグムナーガ・バガールというのは【放浪者の庭】という意味だ。魔窟の出現により各地から冒険者が集まり出した頃からそう呼ばれるようになった。

 魔窟に挑む冒険者を中心に町の型を成していったため、冒険者管理協会から始まり、銀行や治療所を兼ねた簡易神殿が最初に作られ、武器や防具、魔道具などを扱う店が増えていった。様々な食料や食事の揃う屋台村ができ、風呂屋に安宿も作られ、テントで寝起きしていた頃よりかなり良い生活ができるようだ。人が集まるところには自然と盛り場も生まれるもので、娼館や連れ込み宿、そういった目的の客が集まる酒場などが集まる一角もあった。

 最近では開発事業者なども現れて、景観を含めた機能的な街づくりが始まっている。

 テントからバラックへと居住を変えた冒険者の中には、隊員の住まう屋敷を作ろうとする隊もあるようで、一等地を抑えようとする連中が騒ぎを起こしたりもしている。

 騒々しくはあるが、活力が溢れる街というのは、無意識にも未来を意識させてくるためか人々の顔は明るく、憂いが入り込む隙間はなくて、生きていきやすいと感じる。

 

 今回の滞在理由は、セルセオ・ガットン率いる潜行隊に選ばれたからだ。

 選ばれたといっても、潜行者だとか冒険者だとかいった華々しい役ではなく、歩荷としての招集だ。

 歩荷というのは、文字通り、歩いて荷を運ぶことをいう。

 ぼくは五歳の頃から歩荷の仕事をしている。この辺りで生まれ育った者は、牧畜をするか歩荷をするかぐらいしか職業選択の余地がない。ぼくは八人兄弟の五番目なので、家畜を分けてもらえない。結果として、歩荷をすることになる。

 二番目からぼくまでの兄姉も歩荷をしている。父も歩荷だったが、ぼくが独り立ちをしたので引退して、牧畜をしながら自家消費用の小さな畑を耕している。父が現役の頃は海沿いの街に出稼ぎをしていたし、二番目と三番目の兄は山を越える移動をしている。グムナーガ・バガールに入っているのは、ぼくと姉で、姉は最近、とある隊に専属になってくれないかと打診されたようだ。なかなかの出世じゃないかと思うが、姉は返事を保留しているようだ。

 話が逸れた。

 セルセオ・ガットンという潜行家は、ラクシャスコ・ガルブの七層目を発見したことで一躍有名人になった男だ。

 見栄えがいいのと、陽気な正確なのともあって人気がある潜行家でもある。一部では、その容姿をやっかみ「資金提供者を集めるのが得意」などと言われていたりもするが、セルセオと潜るのは今回が初めてなので、噂されている以上のことは何も知らない。

 会ったこともない人間の依頼でラクシャスコ・ガルブに潜るなんて命知らずなことは、普通なら絶対にしないが、姉から打診だったたので受けることにした。元々は姉に来た依頼だったが、事情により参加できないので代りを探していたのだ。

 それに、今回の潜行隊にはラクシャスコ・ガルブ屈指の剛力、タバナ・ダウが参加すると聞いていた。

 タバナ・ダウはナムツェの出身で、第一次ラクシャスコ・ガルブ探索隊に参加した伝説の剛力だ。低級魔族のスライムを使役する能力を持っていることでも有名で、現在整備されつつある五層目の潜行隊にも加わっていたと言われている。成功のお守りのような存在だ。

 剛力というのは、歩荷と同じく荷物も運ぶがガイドの役割も兼ねている。立ち位置的には歩荷の上役になる。

 ラクシャスコ・ガルブに限らず、魔窟に大隊を率いて潜る場合には、地元の剛力を最低ひとり同伴しなくてはいけないという決まりがある。地元の人間は魔窟に飲まれ難いとされているからだ。どうしてなのかは未だ解明されていない。

 ラクシャスコ・ガルブであればナムツェの民とその周辺の高地に住まう民族が含まれているようなので、ぼくも剛力になれる可能性はある。


 潜行開始日までは二週間ほどある。

 大所帯ということもあって、荷物の調整や人員確認などがあり、どうしても時間がかかる。潤沢な資金があってこそだ。

 ぼくたち歩荷は、自分が担げる荷物の上限を申請して、パッキング作業をする。

 申請する重さから、自分のための荷物分を引かなくてはならないので、そこの調整がなかなかに難しい。背負える荷物が多ければ多いほど給料は良くなるが、自分の荷物を疎かにはできないからだ。

 魔窟は文字通り、魔物が巣食う洞窟なので、一瞬たりとも安全安心な時はない。自衛手段を備えておかなければ、すぐにヤツらの餌になってしまうので、そのための装備も何かと必要になってくる。

 武器や防具を持っていくのならその重さを考えなくてはならないし、救急道具が必要ならばその分も引かなければならない。快適な寝具や服装を必要とするならその分重くなるし、好みの食料があるならその分重くなる。何を必要とし何を省くのか。潜行する者は重さと戦わなくてはならない。

 ラクシャスコ・ガルブは地下に展開している魔窟だ。いってしまえば洞窟のようなもので、太陽の動きが一切感じられない場所なので、時間感覚がおかしくなる。

 整備されている三層目までならば、適性能力があれば日帰りできるとされているが、暗闇での行動は精神を削る。その上通路は狭く、整備されている場所でも武器を持った人間が横方向に展開するのは三人が精一杯だろう。

 松明の灯りはあるが十分に明るいとはいえない閉鎖的な空間というだけで滅入るのに、いつどこからどんな魔物が現れるかもわからないのだから、不慣れな初心者は一時間潜っていられればマシなほうだ。暗闇と閉塞感に耐えられるというのが必要最低限の能力ということになる。

 そういった過酷な環境で心の安寧を保つ方法を見つけるのが、魔窟で生き残る上では重要なことだ。それは人によって異なるので、自分で見つけるほかない。他所から来た冒険者は宗教的シンボルを身につけていることが多い。家族や大切な人に贈られたものであったり、好物であったりする。

 ぼくの場合は、家族が贈ってくれたナイフと、お守りのように首から下げている良い匂いのする小瓶、それに歌だ。どれも大した重量にならない優れものだ。

 それにもうひとつ。ラクシャスコ・ガルブに入るなら、絶対に揺るがない信念をひとつ持つことだ。魔物に襲われても死ぬ。迷っても死ぬ。精神が蝕まれて死ぬ。落石で死ぬ。滑落して死ぬ。ガスを吸って死ぬ。死ぬ確率が恐ろしく高いこの環境に飛び込む理由、志のようなものを持たないととてもやっていけやしない。

 目的は信念には勝てない。他者の目的と自分の信念を秤に乗せた時、絶対に重くなるようなものをひとつ持っているべきだ。

 信念は良い。大それたものを持ったところで、重量は全く増えないのだから。

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