2-06  敵対心

 風紀委員会に仮入隊して約半月。

 創立記念日も間近に控えた中、新たな仕事が割り振られた俺は

 バインダーを片手に校内を散策していた。


「ここも良しと」


 任された仕事は学園内設備のチェック。

 事前に決められた箇所を一つ一つ目視で確認するだけの単純作業ではあるが、

 広大な学園内を行ったり来たりするのは中々に骨が折れるものであった。


 それにこのチェックは学園上層部が視察に来る創立記念日に向けたものである

 ということもあり、シンプルな内容ながら案外重責なのである。


「ふー、こんなものか」


 暖かくなり始めた日差しを背に、ペンを持ったままの手で額を撫でる。

 バインダーに挟まれた分厚い紙束の重さに腕の疲労を感じつつも残りの項目を

 確認していく。


 マップ右側の魔術師科のエリアのチェックはほぼ完璧。

 残るは左側の魔導師科のエリアを残すのみとなっていた。


「(この調子ならあと数日もあれば余裕で終わらせられるだろう。

 なら少し休憩しよう…………偶にはサボっても文句は言われないだろう)」


 そうして近くにあるベンチに腰を下ろす。

 すると数分もしないうちに俺の元までやって来て声を荒げる。


「ちょっと貴方!」

「――――?」


 突然の怒声に首を傾げつつも、一応応対をする為に声の主へと視線を向ける。

 と、そこには黒髪で細身の長身女性が一人立っていた。


「なんでしょうか?」

「アンタ、魔術師生でしょ? ここは魔導師科のエリアよ。

 さっさと出ていきなさい!」


「…………」


 唐突な彼女の発言に一瞬、理解が追い付かなかったが、

 すぐさまそれが差別的な警戒心むき出しのセリフであったことに気が付く。


 なのでできるだけ事を荒げない様に、相手を刺激させないような言葉を選び

 返答を試みる。


「申し訳ないのですが、自分は現在風紀委員の活動中ですのでそれはできません」

「風紀委員?」


 ギロリと彼女は流し目で俺の腕に着けられた腕章を見つめる。


「へぇ、仮入隊風情が随分と偉そうなことを言うのね」

「…………」


 ――――言葉遣いと言い、俺を見つめる鋭い眼光と言い。

 彼女は明らかな敵意を持っているのは自明の理である。


 制服を見るに魔導師科の三年生と推測できる。

 とすると彼女もまた学科の違いによる差別意識の被害者の可能性が高く、

 魔術師科であり、仮とはいえ風紀委員に属する俺を毛嫌いするのは何も不思議な

 ことではない――――か。


「少しとはいえ魔導師科のベンチで休んでいたことは謝ります。

 しかし先程もお伝えした通り今は委員会の活動中です。ですので今すぐここから

 出て行けというのは無理な話です」

「――――」


 俺がそう告げると彼女は目を丸くし心底意外そうな表情を浮かべる。

 直後、自身の威圧的な発言に怯むことのなかった俺の態度に腹を立ててか、

 自らの奥歯をギリリと軋ませる。


「貴方、名前と所属は?」

「最上司。所属は一応風紀委員長補佐です」


 その言葉を聞き、またしても彼女は瞠目した様子を露にする。


「ゆづはの補佐?」


 彼女は親し気に風紀委員長である染谷ゆづはの名を呼び、分かり易く顔を顰める

 みせる。


「ということはつまり、緋音が推薦したっていう転校生か」

「そういうことになりますね」


「(はぁ…………やはりというべきか。魔導師科の三年である以上、ほぼ確実に

 先輩の知人だよな…………となれば尚更無下には出来ないよな…………)」


 もしここで彼女と何かしらのトラブルにでもなり、先輩との関係に少しでも

 歪みが生まれようものなら俺にとっては最悪の何物でもない。

 ここは出来るだけ穏便にお引き取り願おう。


「失礼ですが貴方は。見たところ魔導師科の上級生とお見受けしますが」

「そうよ。私は魔導師科三年の日坂捺美よ」


「本来なら魔術師科の奴なんかに名乗りたくもないんだけど、緋音の知り合いなら

 そうはいかないから答えてやったわ」


 相も変わらず敵対心はたっぷりで皮肉めいた言い方だが、

 状況を判断して名乗れる辺りを見るに最低限には会話が成立しそうで少し安心

 した。


「で、最近は緋音とも仲良くやっているそうだけども。

 どうやって彼女に擦り寄ったの?」

「擦り寄ったとは人聞きの悪い。自分は只、先輩に気に掛けてもらっているだけ

 ですよ」


 日坂捺美。

 彼女のこの感じを察するに、俺と先輩の関係性はある程度知っているとみて

 間違いはない。


 実際、中学時代の話は真実ではあるし、元より仲がいい方ではあるから学園内で

 先輩と顔を合わせれば不自然でない程度には会話くらいはする。

 だから当然、見ず知らずの人物に恨まれるよう関係では決してないはずなのだが。

 どうも彼女からは先輩に対する心酔にも似た感情が読み取れる。


「日坂先輩は緋音先輩とは仲がいいのですか?」

「悪い?」

「いいえ。ただ随分、緋音先輩のことを気に掛けている様子でしたので」


 日坂捺美はその鋭い視線を少しも緩めることなくしばしの間閉口する。

 そして幾許かの時間の後、小さく息を漏らした。


「ふう、なるほどね。最上……司だっけ。アンタは随分肝が据わってるみたいね」

「恐縮です」

「褒めてないわ。それにだからといって私はアンタが緋音といるのは認められない」

「どうしてです?」

「それは当然、アンタが魔術師だからよ」


 魔術師だから――――そう言い放つ彼女の眼力は本物だ。

 きっとその根底には学科間の格差や差別的意識による被害者としての認識が

 根底にあるに違いない。


「学科間によって格差があることは緋音先輩からも聞いています。

 ですが俺は転校生。元より差別意識もなければ、これからも風紀委員の一員と

 してそういった行為をするつもりはありません」

「さてそれはどうかしらね――――」


 続けて日坂捺美は告げる。


「アンタ、魔導師科を助けたそうね。それで風紀委員会に入れたって?」

「えぇ」

「その時、どんな気分だったのかしらね。緋音にいい所を見せる為?

 それとも端から委員会に入る為の内申点稼ぎだったのかしら?」

「残念ながらあの時は俺も必死だったので、あまり覚えてはいないんですよ」


 彼女の棘のある言い方に心折れることなく辛抱強く言葉を返す。

 こういう手合いにはそれが一番効くはずだ。


「それじゃあ何? 委員会に入れたのは運が良かったから?」

「そうですね。もちろん緋音先輩の推薦あってこそですが」


 ピリピリとした重たい空気が周囲を包み始める。

 心なしか魔導師科の生徒たちの視線も集まってきているような気もする。


 杞憂ではあるだろうが、俺も最近はいじめの件といい、委員会への加入といい

 少し目立ちすぎな部分がある。

 もし仮にこの現場を見た他の生徒が『例の転校生と魔導師科生徒が一触触発

 だった』なんて噂されれば後々面倒なことになる――――とすればここは多少、

 癪に障るとはいえ、こちらから引き下がった方が良さそうだ。


「(幸い委員会の活動も今日のノルマ分は達成しているから問題はないしな)」


「――――少し長話が過ぎましたね。ではとりあえず今日のところは俺は戻ります」

「待ちなさい」

「まだ何か?」

「最後に一つ質問に答えなさい」

「なんでしょうか」

「アンタ、さっき自分は差別はしないって言ったわよね」

「はい」

「だったら教えて頂戴。魔術師と魔導師が対立した場合、アンタはどっちの味方に

 付くのか」

「それは――――」


 予想以上に真っ当な質問に思わず視線が揺らいでしまい、言葉に詰まる。


「やっぱり。所詮はその程度よね」


 その様子を見て彼女は今まで以上にハッキリとした敵意の視線をこちらへと

 向ける。


「この際だからはっきりと言っておくわ。最上司、アンタは遠乃緋音には

 相応しくない。それが今はっきりしたわ」

「何が……言いたいのですが?」

「まだ分からない? 今後一切彼女には関わらないで。そう言ってるのよ」

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