生き返れ「地獄、異界」編

地獄

第73話 おもらし鬼

 めそめそ、めそめそ。


 陰気な泣き声で目を覚ます。

 薄暗い。

 ひんやりとした空気。

 流れる水の音。

 ジャリジャリとした小石の感触。


 ここは……河原、か?


「ひぃ……! お兄ちゃん、ちゃんと死んでる? なんか……肌の色明るくて変だよ?」 


 子供……? さっきの泣き声の主か……?


「ここは……?」


 記憶をたぐりながら体を起こす。


 そうだ、オレは引きずり込まれたんだ。

 大悪魔が伸ばしてきた細い手に、足首を掴まれて。

 ダンジョンから切り離されたとは言え、あの重量の相手にぶら下がられては、共に落ちる以外に方法はなかった。

 さいわい、何重にもかけ続けた【高速飛行スピード・フライト】と、落下の瞬間に発動させた【斧旋風アックス・ストーム】のおかげで、どうにか一命はとりとめたようだ。


「ぐっ……!」


 体が痛い。



 名前:アベル・フィード・オファリング

 種族:人間(?)

 職業:鑑定士

 レベル:108

 体力:7

 魔力:22



 うわ……ほぼ死にかけ。

 体力も魔力も限界に近い。

 よく生きてたもんだよ、これで……。

 そうだ……プロテム。

 プロテムは無事なのか?

 それに……大悪魔。

 ヤツが死ぬとダンジョンは崩れ、中にいるオルクたちも死んでしまう。

 奴が生きてることも祈らなくては……皮肉なことだが。


 それに、この目の前にいる子供はなんだ?

 地底で生活してる魔物か?

 今のオレは瀕死だ。

 たとえ相手が子供でも、襲いかかってこられたらひとたまりもない。

 スキルは出せてあと一発か二発が限界だろう。


 最悪──殺さなければならない。


 この子供を。


「ヒィィィぃ!」


 オレの殺気を感じ取ったのか、子供が怯えて後ずさる。


「キミは誰だ」


「ヒィィィィ! ボクは、ただの餓鬼だよぅ! おねしょらしの罪で、ここで三日間おしっこ我慢できたらようやく次の輪廻に行けるんだ、だからおしっこを……あぁ……! また、おしっこ出ちゃった! せっかく六分間も我慢したのに、これでまたやり直しだ!」


「おしっこ……? 輪廻……? なにを言っているんだ……? ここは一体……」


 目が薄暗さにも慣れてきて、ようやく話してる相手の姿をハッキリと認識できるようになった。


「キミは……」


 真っ赤な肌。ツルツルの頭。口から突き出た牙。尖った耳。鋭い爪。子供体型ながら中年男性のように突き出たお腹。葉っぱで作った腰みのだけを身に着け、自分の出した体液で濡れた地面にぺたんと腰を落としている。


「めそめそ……めそめそ……ここは地獄だよぅ……ボクは生前、おねしょした布団を隠した罪で、ここでおしっこを我慢しなきゃいけないんだ……。そうしないと、次の輪廻に回してもらえないんだよぅ……」


「地獄……? 地獄って……あの?」


「……あの?」


「本とかに出てくる地獄? 賽の河原とかがある……」


「本? 本はわからないけど、賽の河原なら──ほら」


 振り返り、子供が指を差した先を見る。


 巨大な河口。

 紫色の不気味な空。

 河原では、たくさんの鬼たちが「ううう~」「あああ~」とうめきながら、延々石を積み上げ続けている。


「え……本当にあるんだ、賽の河原……。じゃあ、オレは……」


「めそめそ……お兄ちゃんは、まだ死んでないよぅ……。こんな顔色のいい死人はいないよぅ。生者が地獄に居ると、大変なことが起きるよぅ」


「大変なこと?」


「うん……川の向こう岸から、菩薩と悪魔が、帳尻を合わせようとやってきて大変なことになるんだよぅ……」


「えっと、元の世界に戻る方法とか知らないかな?」


 スッ──。


 子供は、川の上流を指差す。


「閻魔様に話して、元に戻してもらうしかないよぅ」


「そうなんだ、ありがと」


 やるべきことが決まった。

 閻魔に会って、地上に戻る。

 そうと決まれば、さっさく出発だ。

 ……っと、その前に。


「ねぇ、ローパー見かけなかった?」


「ローパー?」


「うん、触手がいっぱい生えてるの」


「触手……? わかんないけど、つるつるの丸いのはあっちの木の方へ。大きい塊は水の中に落ちていったよ」


「木? よかったらそこまで案内してもらってもいいかな?」


「い、いいけど……」


 もじもじと足をすり合わせる子供。


「ボクがおしっこしたこと、言わないでね……?」


「ああ、大丈夫。秘密にしとくよ」


「こっちだよ」


 ホッとした様子で、子供は小石の敷き詰められた河原を歩き出す。


 じゃりっ、じゃりっ。


 この子供は小鬼……ということになるのだろうか。

 ためしにちょっと鑑定してみる。



 名前:トラジロー

 種族:餓鬼

 レベル:0

 体力:0

 魔力:0

 スキル:なし



 餓鬼……多分、鬼の一種なのだろう。

 教科書にそういうのが載っていた気がする。

 ちゃんと勉強しとけばよかったな。

 地獄。

 空想でしかないと思っていた場所。

 ちゃんと実在するうえに、まさか自分が来ることになるとは……。

 しかも生きたまま。


 おっと、そういえばオレの魔力も残り少ないんだった。

 あまり鑑定も使わないようにして節約していかないと。


 じゃりじゃりと小石を踏み鳴らし、餓鬼のトラジローの後をついていきがてら、辺りを確認してみる。

 よく見ると、石を積んでいる鬼(多分、あれも餓鬼なのだろう)の他にも、いろんな鬼がいる。


 なまず人間? の前で、ひたすら正座して頭を下げている鬼。

 しょぼくれた顔をして、番傘に高下駄でフラフラと歩いている鬼。

 鼻にほっかむりをし、警備の鬼の真ん前に置かれている行灯あんどんを盗もうと必死に体をくねらせている鬼。

 川の中から息継ぎをしに一瞬だけ顔を水面に出すタコ鬼。

 そのタコ鬼に向かって石を投げつける鬼。

 頭の上に乗せたカゴに枯れたお花を活けている鬼。

 そして、餓鬼たちの積み上げた小石の山を次々と蹴り壊していく鬼。


 トラジローの言う通りなのであれば、彼らもそれぞれ次の輪廻に向かうための贖罪しょくざいをしてるということなのだろう。

 そもそも、輪廻というものが本当にあるのかすらよくわからない。

 神がいて、悪魔がいて、人間がいて、魔物がいる。

 人間界があって、魔界がある。

 それが世界の常識だ。

 だから、どちらにも当てはまらない地獄なんてものは、ただの道徳の授業で子供を怖がらせるためにあるんだろうくらいにしか思っていなかった。


 だが、こうして餓鬼と一緒に賽の河原を歩いている。

 なんとも不思議な体験だ。

 とはいえ、あまり気分のいい体験でもない。

 さっさとプロテムと大悪魔を回収して脱出したいもんだ。


『脱出』


 また、脱出だ。

 この三十日間、ずっとこの言葉に囚われ続けている。

 檻からの脱出。

 学校からの脱出。

 魔界からの脱出。

 ダンジョンからの脱出。

 そして今は、地獄からの脱出。

 ハァ……どれだけ囚われ続ければ気が済むんだ、オレは……。


 自分のことを考えても気が滅入ってしまうので、トラジローに話しかけてみることにする。

 ここで会ったのもなにかの縁。

 もしかしたら、彼の力になれるかもしれない。


「トラジローは、おしっこを我慢できたら輪廻出来るの?」


「え!? ボク、お兄ちゃんに名前言ったっけ?」


「お兄ちゃんは、その人の名前がわかるんだよ」


「へぇ、すごい! あっ、あぶなっ……驚いて、おしっこ漏らしかけた……」


 そう言って股を押さえるトラジロー。

 そうか、あんまり脅かさないようにしなくちゃなんだな。

 オレのせいでお漏らしされた日には、こっちも寝起きが悪い。


「それにしても、おしっこを我慢すれば輪廻できるなんて変わってるね」


「うん、三日間我慢して罪を晴らす必要があるんだって」


「三日もおしっこ我慢するなんて出来るのかな? 膀胱破裂しちゃうよ?」


「大丈夫だよ、ボクたちは精神体みたいなものなんだ。魂そのものっていうの? だから本当はおしっこなんて出ないんだ」


「でも出てる」


「うん、だからそれはボクの心が弱いからなんだって。心の弱さがおしっことして出てきてるんだってAIちゃんが言ってた」


「AIちゃんって?」


「働き鬼のAIちゃん」


「へぇ。いろんな鬼がいるんだね」


「うん、色々いるよ。前世で犯した罪の数だけ色んな種類の鬼がいるんだ。お漏らし鬼は、ボクだけかな」


 ちょっと恥ずかしそうに告げるトラジロー。

 わかる、わかるぞ、その気持ち。

 オレもおねしょをした時は、どうやって誤魔化そうかと頭を必死にひねったもんだ。


「いろんな鬼の中でも一番面倒なのは……」



 ジャジャジャジャジャジャジャジャッ!



 河原を何者かが駆けてくる足音。


「わっ! わっ! わっ! きたっ!」


「来たって、なにが?」


折檻せっかん鬼! 生前に子供を甘やかしすぎた罪で、ここでは子供を叱って折檻するのが仕事なんだ! ボクがお漏らしする度に、お尻を叩き来るんだ!」


 まさに鬼の形相で、着物をはだけながら駆け寄ってくる鬼婆の姿が目に入った。


「ふぅん……前世の罪を償うためとは言え、いたいけな子供に手をかけるってのは感心しないな……」


「うわぁぁ~! もうダメだ! また折檻されるぅぅぅ!」


「ちょっと待ってて」


「え?」


 オレは、ダッ──と駆け出すと、トラジローへと走り寄る鬼婆の行く手を阻む。


「キィ~! なぁに、アナタっ! 私の教育を邪魔する気っ! 邪魔するなら容赦はしないわよッ!」


「容赦しないならどうするってんだ?」


「決まってるデショ!?」


 鬼婆は大きく腫れ上がった右手をガバァと振り上げる。


「折檻よッ!」



 【魅了エンチャント



「……は?」


 キョトンとした表情を見せる鬼婆。


「鬼婆。お前に命令を下す。お前は、


 一瞬、なにかを躊躇ちゅうちょした後、鬼婆はくるりときびすを返すと再びジャジャジャジャ……と河原を駆けていった。


「す、すげぇ! お兄ちゃん! 鬼婆を追い返しやがった!」


「これで、しばらくは安全だと思う。その間に、トラジローもおしっこを我慢できるように頑張ろう」


 貴重な魔力を使ってしまったが、世話になったトラジローのためだ。

 まぁ、よしとしよう。


「うん!」


 笑顔で応えるトラジロー。


 最初はめそめそ泣いてたから不気味だったが、なんだ、笑顔だといいじゃないか、この子。


「そういえば、心が弱いからおしっこが出ちゃうんだったな。それなら……」


 トラジローにアドバイスをしようとして彼の方を見た時。


 オレたちの向かっていた行く先に。


 千切れた触手が落ちているのが目に入った。

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