第59話 豚と狼

 【二十四階層】



「おい、ちょっと待ってもらってもいいか?」


 オークのオルク──つまりオレは、狼男のウェルリンに声をかける。


「あ? なんだ? 豚人間オークごときがよ?」


 たしかにオレたちは、こいつに命を救われた。

 マフィアのこいつ、ウェルリン・ツヴァに。

 そのうえ、こいつはオレたちを舎弟にするという。


 同じ年とは言え、かたや生まれた時からのヤクザもん。

 かたや、こちらはただの学生だ。

 この男──オレたちが殺されかけてたもぐら野郎をしばき倒した狼男に逆らえるわけなんてない。

 だが。

 それでも、オレはリーダーとして、この狼男に確認しておかなければならないことがあった。


「一応、オレがこいつらのリーダーってことになってるオルクってもんだ。あんた、ツヴァ組のウェルリンだろ?」


「オルク……。オークがリーダー……? メデューサやケンタウロスがいるのに?」


 狼男がいぶかしげに目を細める。


「ああ、流れでそういうことになってる。分不相応なのは自分が一番わかってるよ」


「で、なんだ? そのリーダーさんがよぅ?」


「命を救ってくれたことは、ありがてえ。シンプルに感謝する。だが、舎弟になるって話の前に、あんたに聞いておかなきゃいけないことが二つばかしあってな。そっちで言う、義理人情ってやつに関してだ」


「……いいだろう。言ってみろ」


 みんなが心配そうな目でオレを見つめている。

 そらそうだ。

 オレは持ち上げられてリーダーを務めてたとはいえ、そのじつ、ただの豚人間オークなわけで。

 それは、オレだけじゃなく、みんなも十分に理解している。

 でも、だけど。

 だからこそ、束の間任されてたこのチームの責任を取る必要もある。



「まず、ひとつ目は……そいつだ」



 もぐら悪魔のグララを指す。


「コカトリスのトリス、デュラハンのヌハン。そいつに殺されたオレたちの仲間の名前だ。もし本気でオレたちを舎弟にしたいんだったら、この二人の名前も覚えておいてくれ」


「……わかった」


「で、だ。二人を殺したそのもぐらとこれから一緒に舎弟ですよ、なんて言われて、素直に従うほど薄情でも馬鹿でもね~んだわ、こっちは。まず、それが一つ」


「グラ……そんな雑魚の魔物のことなんて知らんグラ……」


 バキィ──! ドカァ──!


「黙ってろ、てめぇは!」


「わ、わかったグラ……黙るグラよ……」


 ちぎり取ったダンジョンの壁材を叩きつけられたグララがシュンとうなだれる。



「二つ目は──オレたちは、フィードを殺す手伝いはしねぇってことだ」



「あぁ──!?」


 ギロリと殺気の込められた視線がオレを刺す。

 瞬間、体の中を流れる血液の温度が数度下がったような気がした。


「オ、オレ……オレ、たちは……」


 身がすくんんで、言葉が詰まる。


「オレ、オレ……たちは……」


「あぁ!? どういうことだ!? 命を助けてやったオレ様の命令が聞けないってか!? あぁんっ!?」


 膝が笑ってる。


 豚と狼。

 被食者と捕食者。

 カタギとヤクザ。

 弱者と強者。

 配下と支配者。


 永遠に超えることの出来ない、お互いをへだてる壁。

 それが、ずっしりと立ちはだかる。


 しかも相手は、五百年以上生きている上級悪魔直属の悪魔を勢いで眷属化するようなヤバい奴。

 なんの取り柄も、スキルすらないただの豚人間オークのオレがそんな相手に、これ以上なにか言おうだなんて……。


 心の折れる音が聞こえそうになった────その時。


 背中に、誰かの手の感触を感じた。


 デーモンのエモ。


 振り返ると、エモがオレの目を見つめて頷いていた。


 ああ、こいつ……。

 スキルを奪われて軽率になったからか……。

 前のエモなら、絶対こんなヤクザもんに楯突くようなことしなかったよな……。


 騙し扉ダミートラップを発動させた、チーム一番のお荷物と思われてたエモ。

 それが、スキルを失ったおかげで、こうやってオレを励ましてくれてるってんだから、なんとも皮肉な話だ。


「むぼっ!」


 突如、口になにか突っ込まれた。 


「これでいいのかい?」


 メデューサのデュドが押し込んだマンドレイクのマイク。

 それが、オレの口で頷くように揺れる。


「ぶぼぼ……! ハァハァ……! ちょ、ちょっとお前ら!」


 パァンっ!


「いっ──!」


 今度は、背中を思いっきり平手打ちされる。


「私は、人の心を操るスキルは失ったんだけど、どう? こうやったら緊張がほぐれない?」


 少し震えながら、サキュバスのサバムが笑いかけてくる。


「お前なぁ──! それにしても、力加減ってもんが……! って……あれ?」



 震えが、止まっていた。



「リーダー! トリスとヌハンのこと言ってくれて嬉しかったぜ! オレもそんなクソ悪魔と一緒に舎弟になるなんてお断りだぜ!」

「くくく……よくぞ我らの意見を代弁してくれた……それでこそ、我らが主よ……」

「オレたちもフィードには複雑な想いがあるからな……殺すってのは……ちょっと、な……」

「それにセレアナ様に敵対するつもりも、ありません!」

「マフィアの舎弟になるだなんて、母上に聞いてみてからじゃないとちょっと……」



 一部だけ変な意見もあるが、みんながオレを支えてくれている。

 喋れないミミックのミックは足元に寄り添ってきて、でっかいノミ姿のラスト・モンスターのスラトは後ろからオレの両肩に前脚をかけてくる。


 恐怖が、おさまった。

 次は、勇気が湧いてきた。


「オレたちはフィードにスキルを奪われた奴がほとんどだ。ゆえに奴を恨んでる」


「なら……」


「だが、そりゃ半分は自分たちの責任だって割り切ってんだよ。三十日間、弱い人間を監禁していたぶって──その挙げ句、スキルを奪われたからって逆恨みして殺す? ハハッ、ダサ過ぎにもほどがあるだろ、それ。むしろ、人間ごときに出し抜かれてスキルを奪われた自分を恥じて生きるべきじゃね~のか? あいつはあいつでやるべきことをやっただけだろ。で、オレたちは、フィードに上手いことヤラれちまったってわけさ。ただ、それだけのことだ。これを教訓にしてこれから生きていくさ。──ここから、出られたらな」


「てんめぇ……」



 ビキビキビキッ──!



 狼男のこめかみに血管が浮かび上がる。

 一瞬、また威圧されそうになるが、大丈夫。

 オレには、みんながいる。

 ちょっと強いヤクザだからって、ここで引いたらこれから先、本当に誇りも信念も何も持てない、惨めなマフィアの手先として生きていくことになっちまう。

 種族として弱いがゆえに、ずっと他の強い種族から搾取され続ける同族の様子を見てきた豚人間オークのオレだからわかる。


 なら、ここで意地を張ってやろう。

 筋を通してやろう。

 殺されるか? 殺されるだろうな。

 でも、それならオレ一人の犠牲でみんなは助かるかもしれねぇ。


 なら、御の字だろ。


 せっかく分不相応なリーダーの地位に祭り上げられたんだ。

 せめて最後まで背伸びしたまま死んでやんよ。



「それに、大悪魔とのゲームに勝たないと、どっちみち死ぬからな、フィードも、オレも。それからルゥとリサも」



「………………は?」



 ポカンと口を開け、間抜けヅラを晒すウェルリン。

 その表情に、さっきまでの迫力は見る影もない。



「えっ…………? リサちゃんが……死ぬ……? おい……おいおいおい……なんだそれ……なんだなんだなんだ……! 聞いてねぇ! 聞いてねぇぞ! オイ、この糞インプ!!!」



 ガボッ──!


 ウェルリンは自分の口に腕を突っ込むと、赤黒い小鬼を指で摘んで顔の前にぶら下げた。


「ヒ、ヒィィ──! い、いや、聞かれなかったから──!」


「テメェ、オレの記憶を全部読んだんだろうが!!! それで言わねぇってことは、オレをナメてるってことだろうが!!! あぁ!???」


「ヒィ~……! 違う違う! 違いま……あっ……」


 なんっか聞き覚えのある声なんだよな~と思いながら、文字通り首根くびねっこを掴まれてぷらんぷらん揺れてる小鬼を見てると、不意に目が合った。

 気まずそうな……なんか……まるで、知り合いとでも会ったかのような顔。



 ────ハッ!



 口の中……?

 あくび……くしゃみ……。記憶の飛んでる時間……。そして……聞き覚えのある声……!



「おい! そこの小鬼! テメ~、オレの中に入ってやがってただろ!! フィード達と一緒にいた時に!」


「ヒィ~! 知らない知らない! そんな動きが鈍くてローパーにボコボコにされたオークなんか知らない! 村を上げて学校に送り出されたはいいものの、全く結果が出せず一度も故郷に里帰りできてないオークのことなんて……! あっ……」


「なぁ、ウェルリンさんよ……そいつ、ちょっとオレに渡してもらってもいいかな……? ちょっと個人的に用があるんで……」


「あぁ……? こいつは、オレが記憶を取り戻すのに必要なんだよ。なんでテメェにくれてやんなきゃいけねぇんだ……?」



 一触即発。



 流れでこうなっちまったんだ。

 仕方がねぇ。

 オレのバラされたくないことまでベラベラ喋りやがったこいつは今、ここで殺す──。



 ブシュウゥゥゥゥゥゥ!



「──は!? これって──! ……ゲラ」


 ふいに立ち込める煙。


 騙し扉ダミートラップの笑気ガス!

 なんで、今!?


「そこのもぐらが、こっそり逃げようとドアノブ回して……クス!」


「おい、テメェ、なんだこれ──ギャハっ!」


「グララララ! 隙を見てこっそり逃げようとトラップなの忘れて、ついドアノブ回しちゃったグラ~! グラララララ!」


「ゲラ! ミック! う、団扇に……擬態しろ……! ゲラゲラ!」






 こうして。


 笑気ガスでなんやかんやグダグダになったオレらが、お互いの話をすり合わせた結果──。


 ウェルリンは、元バンパイアのリサを救うために。


 オレは、オレが生き延びるために。


 それから、もぐら悪魔の穴から今すぐにでも脱出できるはずのクラスのみんなは……。

 オレはすぐに脱出した方がいいって言ったんだけど「世話になった恩を返したいし、本当の出口を探すなら人手が多いほうがいいだろうから」って言って……オレを生かすために。


 本当に奇妙な成り行きなんだが……別にウェルリンの舎弟になるということもなく(もぐら悪魔とインプだけは、悪魔の契約で舎弟にさせられてた)、このダンジョンに隠された『本当の出口』を探す「新チーム」として力を合わせることになった。



 【タイムリミット 二日十八時間五十八分】

 【現在の生存人数 三十三人】

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