第10話 未必の故意

「ま、待てっ!」


 教室から出ていこうとするインビジブル・ストーカーに声をかける。

 が、インビジブル・ストーカーのよろよろと進む足は止まらない。

 突然見えるようになった己の姿に戸惑いつつも、オレを危険とみて本能的に離れようとしてる。


 このまま出ていかれたらマズい……!

 突如として失われたインビジブル・ストーカーのスキル。

 きっと原因究明の調査が入るに違いない。

 そしたらオレのスキル吸収能力がバレる可能性も、うんと跳ね上がる。


 クッ、ここはなんとしてでも、奴の気を引いて足を止めさせなければ……!


「そんな姿で、どこに行く気だ! インビジブル・ストーカー!」


 ピタリ。


 痩せた裸の男の足が止まる。


「なぜ自分が透明でなくなったのか、知りたくはないのか!?」


 捨て猫のような男がこちらを振り向く。


(よし、どうにか足は止めた! あとは……)


 すでに発動している【狡猾モア・カニング】の効果で、駆け引きでは負ける気がしない。

 こうなったら、もうこっちのものだ。

 しかし──。


 引きとどめて、それからオレが彼にすること。


『人』の彼にすること。

 そう、人。

 人なのだ。

 もし、彼を「殺す」ということをすれば、オレは文字通り「人殺し」となってしまう。


 殺せるのか?

 人を。


 魔物なら全員でも殺す覚悟をしていた。

 オレをこんなところで監禁、虐待して最後には殺戮しようとしている魔物たち。

 そいつらに対して、オレは慈悲の心など持ち合わせていない。

 そもそも、冒険者は魔物を倒すものだ。

 そこに躊躇ちゅうちょはない。


 だが。

 今、目の前にいる男。

 これは人なのだ。

 魔物じゃない。

 人を殺す覚悟は──まだ、ついていない。




「お、お前が……い、一体どうやって……」


 インビジブル・ストーカーが震えながら声をかけてくる。

 きっと生まれたときから透明だったのだろう。

 気の小ささが見て取れる。


「オレはスキルを吸収できるんだ」


 言った。

 言ってしまった。

 ついに話した。

 でも、おかげで完全に興味を引くことが出来た。

 もう後戻りはできない。

 こいつは──ここで始末するしかなくなった。



「は? きゅ、吸収……?」


「ああ、オレはスキルを奪った。お前の【透明メデューズ】をな」


「は? いや、おまっ、なんで、ふざけっ……」


 インビジブル・ストーカーは、よろよろとこちらへ向かって歩いてくる。


 いいぞ、もっとこっちに来い。

 檻の中のオレの手が届く距離まで。


「信じられないか? なら、見せてやろう」



透明メデューズ



 スキルを発動させると、オレの視界から手足が消え失せていく。

 続いて胴体。

 おそらく頭も消えているのだろう。


(なるほど……こういう感じなのか……)


 そんなに変な感じではない。

 触れば体はあるし、足の裏は檻の底に触れている。


 ただ、透明だ。



「おいぃ……! おまっ、うそだろ、オレっ、オレのスキル……!」


 オレは顔だけ透明化を解いてみる。


 おっ、出来た。

 こういう使い方も出来るんだな。


「聞けよ、オレの話を。オレはスキルを『吸収』出来る。そして、逆に『付与ふよ』することも出来るわけだ」


 もちろんハッタリだ。

 オレは吸収は出来るが、付与なんて出来ない。


「ふ、ふよ……?」


 警戒しながらも半歩、また半歩と近づいてくるインビジブル・ストーカー。


「お前のスキルを返してやれるってことだよ」


「ほ、ほんとかっ!? 返して、くれっ……!」


 必死の形相で懇願してくる。


「ああ、いいぞ。ただ、代わりに一つ頼まれてくれないか?」


「な、なんだ?」


 トントンっ。


 檻の錠前を叩く。


「この鍵を持ってきてほしいんだ。出来るよな? お前なら」


「あ、ああ、オレなら簡単だ。その……スキルさえ、返してくれれば」


 オレは、にっこりと笑いかける。


「大丈夫だ。ほら、今スキルを返すから、こっちに来てくれ。もうちょっと。もうちょっと近くだ」


 近づいては来るが、さっきのパンチを見てるからか、オレの射程圏内には絶対に入ってこようとしない。


 だが。


「ああ、そこ。そこでいいよ」



身体強化フィジカル・バースト



 透明になったままの右手が振り下ろされる。

 通常であれば届かない距離。


 ガキッ──!


 肩を外して腕を伸ばす!


 ゴッ──!


 透明ゆえ、鍛えたこともなかったのだろう。

 アゴを捉えられたインビジブル・ストーカーはあっけなく意識を失った。


「……っと」


 その髪を掴むと、檻の前まで引き寄せる。


「さてさて、どうしたもんか──」


 トドメをさすか。


 否か。


 人殺しになるか。


 否か。





 答えが出ないまま、夜になった。



 【十一日目 夜】



「ちょ、ちょっとなによ、これ! 誰これ! なんなの!?」


 両手いっぱいに食べ物を抱えたリサが開口一番問い詰めてくる。


「あ、彼、インビジブル・ストーカー。なんか放課後、一人でコケてさ。気を失ったらこうなった」


「ええ!? 透明人間って気を失ったら見えるようになるの!? 新発見じゃない!」


「ほら、彼らも弱点は必死に隠してたんじゃないかな?」


「そ、そんなものなのかしら……?」


 ここで一旦、話を変える。


「そういえば、昨日の狼男どうなったの?」


「あ、あいつね。その辺に捨てていったわよ」


「生きて……るよね?」


「ええ、狼男ってのはタフな種族なのよ。あれくらいじゃ死なないわ」


「もしかして、今日も近くに来てる?」


「気配は感じるわね。でも、昨日あんだけ醜態晒したわけだし、最悪でも次の満月までは姿を見せないと思うけど」


 よし。

 

「あ、このインビジブル・ストーカーさ。よかったら、どこか外に置いといてくれないかな?」


「はぁ? なんで私が?」


「ほら、オレここでは微妙な立場だからさ。檻の前で倒れたりしてるのをクラスのみんなに見られたら……わかるだろ?」


「ハァ。ほんっとに下僕って弱いのね。あんな下級種たちのイジメが怖いんだなんて。それなら、いっそのこと私の眷属に……」


「それにほら、オレとリサが過ごす時間に、こんなのが居たんじゃ落ち着かないだろ?」



 一瞬、リサは固まった後、壊れたブリキ人形みたいに動き出した。



「そ、そ、そそそそ、そうね! た、た、大切なげげげ下僕と私の時間ですからねっ! わ、わかった、わかったわよ! 今すぐ外に連れて行くから待ってなさい!」


 顔を真赤にしてそう言うと、リサはインビジブル・ストーカーを抱えて、窓から飛び立っていった。



 ……これでいい。

 狼男は、きっと見てるはずだ。

 愛しのリサが裸の男を抱えて飛び立つ姿を。


 あの狼男の性格からしたら、嫉妬で殺すに違いない。

 確率の問題だ。

 だが、その確率は極めて高い。


 なにしろ、これは「未必みひつ故意こい」だからだ。


 今のオレに、人は殺せない。

 人を殺してまで脱出するべきなのか、という覚悟が決められない。


 そして、そのオレの曖昧さが、こうやってリサと狼男にオレの正体のバレる可能性──きずを作ってしまった。

 その瑕を埋めるには、必要だ。



 サキュバスの【魅了エンチャント】が。



魅了エンチャント】を使って、リサと狼男に今夜のことを忘れさせる。


 ああ、なんてこった。

 雪崩式に次々と問題が連鎖していくじゃないか。

 でも、もう止まることはできない。


 奪うしかない、明日。


魅了エンチャント】を。

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