Ep8.×T.Moritomi
カメラが回った瞬間、ひとりの人間が入ってくる。
インテリアショップの一区画に存在するモデルルームの一室、かのような部屋だ。薄いグリーンの壁、家具はすべて北欧調で揃えられている。中心にある木製のローテーブル、ソファにはアイボリーのカバーが掛けられており、ラグマットは幾何学的な模様を彩っていた。
そんな部屋にいた男、
その『誰か』はすぐさま判明する。部屋に入ってきたのは背の高い青年、グレーの綿シャツに薄めのオーバーサイズニット、ダークブラウンのワイドパンツを履いている。
彼は
「ちっか」
「え!? ごめん! でも亜樹は近い方が好きじゃん……?」
「なんか人聞き悪くね? 近いの好きって、あ~近い近い! 圧がすごい! 体の大きさ分かってる???」
土屋にじりじりと近付く森富。土屋は最大限体をそらしているため、ほぼ森富が押し倒しているような形だ。
体の大きさを指摘され、森富は多少落ち込んだ素振りを見せながら適切な距離をとった。土屋亜樹、175cmちょっと。森富太一、184cm強。身長差およそ9cmである。
「亜樹お兄様から離れろって言われたので離れました! 悲しい!」
「やめろやめろ、言い方に気を付けろ」
「先生こいつです」
「先生って誰だ!?」
森富が差した人差し指をはたき落としつつ、土屋はけらけらと笑う。年齢はひとつ違いだが、仲の良さは折り紙つきだ。森富もいたずらが成功した子供のように笑う。
「そうだ、亜樹くんお誕生日おめでとう!」
「おー、ありがと、んぎゅ」
恒例の誕生の祝いの言葉を言いつつ森富が土屋を抱き締めるが、あまりの力の強さに土屋は言葉を発せなくなってしまった。しばらくすると土屋は森富の背中を叩く、なにするんだこのばか、と息も絶え絶えな様子であった。
「背骨折れるかと思った……」
「えへへ、ちょっと力が入っちゃった……」
「ちょっとでこれなら、お前の本気は電柱を砕き折れる」
「そんなに……? っていうか亜樹がまた痩せたんじゃないの?」
「ややややや痩せてねーし……」
「痩せたんじゃん! 不自然にどもってる! みなさんこいつです!」
「その第三者に俺の醜態晒すやつやめろ!」
みなさんって誰だよ、と叫ぶ土屋。恐らく視聴者だろう。
「ちゃんと食べて運動しないと……」
「う、体質一緒なはずなのにぐうの音も出ない……」
「だって俺は食べて運動してるからね! 最近ちょっとずつ筋肉ついて体重増えてきたんだから!」
「偉いなあ……お前……」
土屋も森富も所謂『食べても太りづらい』体質だ。年齢的なものもあるだろうが、このふたりは今までの人生で一度も『BMIが標準にのったことがない』というハードゲイナーっぷりで周りを驚かせたことがある。他メンバーだと
「いっちゃんに食事管理してもらって、筋トレメニュー作ってもらったら大分増えてきたよ」
「お前の努力もすごいけど、いっちゃんのメニューもすごいんだな……」
「亜樹も作ってもらえばいいじゃん」
「作ってもらったとて実行できるかは微妙だし」
「いややるんだよ!!!」
森富の強い圧に、とほほ、とでも言いたげに肩を落とす土屋。そもそも土屋は運動が好きではないのだから、消極的になるのも致し方ないだろう。しかし森富が心配する気持ちも分かる、さすがに最近は痩せすぎだ。
「……20歳の目標にします」
「一緒に頑張ろー!」
「おー……」
やる気なく掲げた土屋の手は森富に取られ、より上に上げさせられる。来年に乞うご期待、であった。
※ ※ ※ ※ ※
「お前が俺に懐いた理由とか覚えてる?」
「懐く……や、どうだろ、好きになった理由は覚えてるけど」
「それ懐いた理由とほぼ同じじゃん」
懐いた、と、好きになった、はどう違うのかと土屋が問えば森富は「どう違うんだろね」と返した。単純に自分の使いたい方の言葉を使っただけらしい。
「好きになった理由は、俺が入社して初めて色々教えてくれたのが亜樹だったから、ってのが最初に来るんだけど」
「教育係やってたからな」
ヤギリプロモーションでは、基本入社歴の長い練習生が入社歴の浅い練習生の世話をすることになっている。ただし入社歴が長すぎる、浅すぎると呼ばれる仕事も異なるため接点があまりない。基本は一年違いの先輩から色々と教わるのだ。
「亜樹が2014年入社で、俺が2015年入社でしょ? 妥当といえば妥当」
「逆にお前が侑太郎といっちゃんとはそこまで接点がなかったことに驚いたんだけど」
「ゆうくんといっちゃんは、だって、入社したときから普通の練習生とは一味ちがったらしいじゃんか」
「……まあそれは確かに」
ヤギリ入社において最も高い難関と言われる非公開オーディションを通ってきた
南方も御堂も練習生当初から社の大御所アイドルのバックについたり、他の事務所から仕事に呼ばれたりしていた所謂エリートだ。
反面土屋は、基本的に社内の仕事しかオファーがなかった『一般的な練習生』といえる。
「俺だってそうだし、亜樹に限らず普通にデビューしてる先輩にもそういう人は多いし」
「そうなんだけどさ、でもお前は入社して一年ちょっとでデビュープロジェクト呼ばれてるエリート側の人間だよ」
「いやそれは、」
そうなんだけど、と森富は尻すぼみに応える。
何だかんだ言ってもこの森富太一という男、入社してからは社内のバックダンサーが主な仕事だと宣っているが、実際はその独特なあどけなさと大人っぽさからモデルの仕事も何件か引き受けていた。現在持っている雑誌のレギュラーモデルの仕事は、その延長線上だ。
「俺は音楽しかなかったから、うん」
「そういうとこが好きなんだと思う」
「……お前の話?」
「うん、俺が亜樹のどういうとこが好きかって話」
話を戻そう。元々ふたりはどうして仲良くなったのか(土屋は森富に『懐いた理由』を問うていたがつまりはそういうことだろう)を話していたのだ。
「色々できてこそのアイドル、みたいなのはやっぱりあるじゃん。歌って踊っては基本、曲作ったりお芝居したりモデルやったりバラエティやったり」
「まあまあ」
「うちの会社はそこまでマルチタレント性を求めないけど、それでもみんな基本『そこ』をめがけてやってるでしょ? まあうちのグループはそこまでその色強くないけど」
メンバーで明確に、音楽以外の仕事も目標にしているのは演技に力を入れている
「そういうグループの方針は、亜樹の意見に強く影響されてると思う」
「……控えた方がいい?」
「控えないで!? むしろそれがうちの良さなのに!」
楽曲プロデューサーじゃん! と喚く森富に、それはそうなんだけど、と表情を曇らせる土屋。何となく、自分の我儘なのではないかと感じてしまい居心地が悪い。
「亜樹だけの我儘ならゆうくんがぶちギレない……? 大前提として」
「マジでそうだわ。いや、そうだわ、侑太郎がキレない訳ない。あいつのことだから、『グループは共有されてるものなの。私物化していい訳ないことくらい分かってるよね?』くらい言う」
「言う~~~~!!!」
嫌味ったらしく言う~! と森富は盛り上がる。南方の(虚妄の)発言にひとしきり笑ったあとで土屋は真顔に戻った。
「私物化してないことは分かったから良いけど、俺の思想の強さでリファインをアーティストグループにしてるんならそれはちょっと申し訳ない気がする……」
「誰も不満を言ってないから良いんじゃない?」
「不満を言えない空気を作ってるかも知れないじゃん、俺が」
「考えすぎだよ。そんなことない」
真っ直ぐに「そんなことない」と言われてしまえば土屋は黙らざるを得ない。この末っ子は体の圧もでかければ、自分の信ずるところから生じる言葉の圧も強いのだ。
「亜樹がゆうくんと共謀して空気を作ってるならまだしも、亜樹だけでそんな空気が作れる訳がない」
「軽くディスられてる? 俺だってできると思うんだけどそういうこと」
「いいや、できない」
まさかの断言。相変わらず言葉の圧が強い。
「亜樹は、なんだかんだ気ぃ遣いすぎだもん。そういう空気になった瞬間、自己嫌悪に入っちゃう。絶対そうなる、俺には分かる」
※ ※ ※ ※ ※
「結局亜樹の好きなとこ話してないね」
「懐いた理由な? でも何となく分かった気がする」
「『音楽しかない』って発言が好き、ってだけで?」
それはないな、森富はドヤ顔で土屋を牽制する。「ないな」とはどういう意味なのか。不穏そうに表情を歪ませる土屋は、森富の次の言葉を待った。
「俺がどれだけ亜樹のことを尊敬してるかその言葉だけじゃ分からないはずだよ」
「待って、尊敬?」
「ほら分かってないじゃん」
まさか尊敬とは。驚く土屋だが、では逆にどのような感情を抱いていると思っていたのか。なんか好きだなあ、くらいのものだと考えていたのだろう、そんな訳がない。
「それしかない、って怖いことだと思うんだよ。俺は多分、そういうことはできない」
「……できるできない、じゃなくて、するしかない、って話なんだけどな」
「でも亜樹なら、無理矢理でも方向性を変えることくらいできたと思うよ。この場合は音楽だけじゃなくてプラスアルファ、たとえば語学とかアウトドアとかでキャラ立ちすることもできたんじゃない?」
「買い被りすぎだ」
土屋は気のない声で呟く。その声には、言われてみれば確かに、という納得も含まれているからである。
「そういえば昔言われたな、『なんでマルチリンガルとかアウトドア好きとかで売ってかないの?』って。当時は意味分かんなかったけど」
「音楽で売れる、っていうのが亜樹の誇りだったってことでしょ? という俺の解釈」
「誇りかあ」
考えたこともなかった。それは土屋の率直な感想だ。
確かに音楽は好きだし、それしかないとも思うし、それしかないという自分の狭さが嫌になることもある。趣味だった頃は逃避の一手段で友達がいないのを、ギターを弾いたりピアノを弾いたり歌を歌ったり曲を作ったりすることでやり過ごしてきた。
仕事にしよう、なんて、実際に曲を聴いたヤギリのスカウトマンに誘われるまで思いもしなかったのである。
「誇りは、烏滸がましくない? 流石に」
「どこが!? あんなに鬼軍曹なディレクションするくせに!?」
「そ、それはあ……」
土屋のディレクションは『褒めて伸ばす』南方と比べればかなり厳しい。その厳しさは、メンバーを最大限追い込み、実力以上のものを求めるために絶対不可欠であるが、それでも厳しいことに変わりはない。
泣かされたことは誰もないが、欲を出されて同じフレーズを散々歌わされた経験は全メンバーに等しくあった。
「こだわりがある、っていうことは誇りがあるってことだよ。譲れないものがあるってことだもん。そこはちゃんと自覚的にならないと」
「なんかすいません……」
「……俺が練習生なりたての頃、亜樹が指導係として初めてついてくれたライブの、バックのこと覚えてる?」
「うん。
はっきりと覚えている。Seventh Edgeの秋ツアー大阪凱旋公演。グループに関西出身者が多いため、メンバーやスタッフの気合いが段違いだった。よく覚えている。
「亜樹、曲全部歌えるようにしてたじゃん。自分はマイクなんて持たないのに。なんでそこまでするんですか? って俺が訊いたら、あなたなんて言ったか覚えてます?」
「……なんて言いましたっけ」
これは覚えていない。土屋は、そんな会話を森富としていたことすら忘れていた。
「『俺らは後ろで踊るだけだけど、一曲一曲魂が籠ってる。歌詞の一文字、音の一節が全部最適解なんだ。それを無視してしまうのは、申し訳ない。』って」
「青くてはずかしい……」
「でも俺は、そのおかげで先輩方の曲をめっちゃ聴くようになった。今まで聴いてただけの曲も、もっと噛み砕いて聴くようになったし」
まったく忘れていたその記憶、しかし発言には『自分がそう言った』ことへの妙な説得力がある。
「俺の曲への向き合い方の基本は亜樹が教えてくれた、だから尊敬してるし大好き」
森富からの真っ向勝負な褒め言葉に、ただただ土屋は押し黙って照れるしかなかったのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「誕生日プレゼントさ、どうしようかと思って。こういうの本当にセンスないから……」
「こういうのはセンスより気持ちだろ。なにをいただけるんですか?」
「お洒落なトートバッグです」
「結構なブランドのだ!? た、高かっただろ! いいの!?」
「いやいや亜樹が普段着てる服とか、普段使いのバッグと比べればリーズナブルだよ!」
「あれは貰い物だから……ええ、ありがとう……大事に使う……雨の日とか持ってかない……」
「頼むから普段使いとしてほしい……」
「いやだ、汚したら俺が泣く」
「そしたらまた新しいの買ってあげるよ」
「今日! 貰った! これに! 意味がある!」
「そんな区切って言うこと? ……分かった、大事に使ってください」
「うん……、ありがと……」
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