Ep7.×Y.Minakata
薄いグリーンの壁に北欧調の家具が並ぶ、さながらインテリアショップの一画にあるモデルルームのような部屋ではのんびりとした空気が流れていた。
白いフリースにグリーンのタートルネック、濃いグレーのカーゴパンツを履いた
「おいこら、座るとこないじゃん」
「侑太郎の席ねーから」
「お前の上に座るぞ、マジで」
「それは困る」
慌てて体を起こす土屋に微笑んで
「あざす」
「いえいえ、なにか言うべきことがあるんじゃないすか?」
「お誕生日おめでとう?」
「疑問符いらん」
疑いが含まれた祝福の言葉を一蹴する土屋に、南方は困ったように笑った。手厳しい、と漏らして土屋が大きく笑った。年相応の快活な笑みだ。
「誕生日おめでとう、生まれてきてくれてありがとう」
「どうせみんなにそう言ってんだろ」
「言わん言わん、こんなこと」
「えー、嘘だよ絶対。いっちゃんとかに言ってるんでしょ、どうせ」
「いっちゃんは『出会ってくれてありがとう』だよ、言うとするなら」
感謝の種類が違うと語る南方。土屋は、喜んでいいのか、似たようなことを結局言ってるじゃないかと詰ればいいのか分からなくなっている、複雑そうな表情を浮かべている。
「それ、どうちがうの?」
「亜樹に対しては、亜樹の存在と才能が世界にあることに感謝してる。斎に関しては、俺と友達でい続けてくれてることに感謝してる」
「……ううーん、俺もどっちも欲しい……」
「欲ばりだなあ」
分かるけど。南方は視線を落として穏やかに笑う。土屋の欲深さの発露は、南方にとってむしろ喜ばしいものだった。卑屈でいられるより数倍マシ、そしてかつては延々と卑屈だったから。
「なにをいちばんに言うか、のちがいだから、斎の二番目には生まれてきてくれて~だし、亜樹の二番目には出会ってくれて~だよ」
「こじつけじゃない?」
「あ? じゃあなんだ? キスでもすりゃいいのか?」
「要らない要らない! キスは要らない! あっち行け!」
後頭部に回されかけた南方の手をはたき落とし、土屋は威嚇した顔付きのまま大きく後退する。さながら蛇に睨まれた兎だ、小動物の精一杯の威嚇。まあ背は175cmほどで、まったく小さくはないのだけど。
「キスはだめかー」
「なんでいいと思ったの? うちで許されるのはサーシャだけだぞ?」
「透か、あいつか、あいつはまあ、許されるか……そうか……」
何故かメンバーの共通認識において『キスされても許される』
※ ※ ※ ※ ※
「メンヘラに磨きがかかってるなあ」
「最初からなに? 喧嘩?」
「喧嘩しない」
やめてください、なんて他人事のように土屋を遠ざけた南方だ。やめてください、はお互い様である。いきなり人のことをメンヘラ呼びとは何事か。
「お前って俺のときだけはメンヘラ呼び嫌がるよね。他はわりと受け入れるのに」
「受け入れたことないが??? 普段俺のなにを見てるんだよ???」
「
「あのふたりにそんな強く言えるわけなくない?」
「それはお前のここ次第じゃん?」
ここ、と南方が叩いたのは自身の二の腕だ。
腕の見せ所、ってことか? うるせーな、と土屋は吐き捨てる。
「のでさんもみなもんも『紐引っ張っても鳴らなかったクラッカー』みたいなとこあるじゃん?」
「あー、不良品ってこと?」
「お前怒られるぞ、不敬罪で」
「不敬罪は怒られるっていうか処罰される」
最悪死ぬ、なんて真顔で南方が言うものだから土屋はおかしくて仕方がない。声も出さずに腹を抱えて笑っていた。
「不良品は冗談としても、でもなんか分かる。急に掘り起こされて致命傷を突いてきそうな怖さがあるよね最年長組」
「それなんだよ。あとメンヘラではない! と言いたいけど、否定できない自分もいるからね」
「辛かったらみんなやめてくれるから、まあ、あんまり思い詰めず」
「そこまで思い詰めてない、と思う」
自己申告がやや信頼できない土屋の発言に、南方が視線を逸らす。下手に、そうか? と問うこともできなければ、そうだね、と同意することもできない。
「信頼できない語り手……」
「なにそれ」
「こっちの話。まあしんどくないなら良いけど、多分これからずっと忙しいだろうし」
「今以上に?」
「今以上に」
確信を持った言葉を告げられた土屋は、顔を大きく歪めた。アイドル保護(モザイク処理)案件だ、南方が慌てて顔をクッションで隠す。
「見せられないよ!」
「そんなひどい顔してた!? もう大丈夫だから! クッションどけて!」
「……良かった……、“
「どんな顔してたんだよ俺」
少なくともアイドルとしては表に出せない顔だった、と南方は思っていたがあえて言うまい。
閑話休題。
話はこれからの忙しさについて、に戻った。
「今はグループの活動メインで個人活動サブ、って感じだけどそのうち個人活動もメインレベルの量になるんじゃない?」
「……断れないのかなあ」
「断ってもいいけど、お前が音楽の仕事断れると思えないんだよ」
「あー、それはそうだ」
そうだそうだ、首を縦に振りまくる。
土屋は仕事が好きなのかどうかよく分からない部分があるが、『音楽は好き』という共通認識はグループのメンバー全員に持たれている。
しかし南方はその更に一歩先、音楽と土屋との深い繋がりに関して察知していた。これは、土屋と共に過ごした期間の密度由来の確信である。
「亜樹は、なくなったら困る?」
「なにが? なにを?」
「音楽」
音楽がなくなったら困る? 改めて南方が問いかければ、土屋は困ったように視線を泳がせた。気まずいというより、本当に困っている表情だった。
「なくなるものって認識がなかったから答えに困る、想像ができなくて」
「そりゃそうか。じゃあ、んー、出会わなければ良かった、とか思う?」
「それはない」
一転、今度の土屋は断言した。そのあとも断言口調で言葉を連ねる。
「音楽に出会わなかったら、みんなに出会えなかったしただの穀潰しになってただろうし」
「出会いの部分には胸キュンだな。穀潰しに関しては、そんなことないと思うけど」
「そう?」
「ちがう道で大成してた可能性はあるんじゃない? 起業できそうだし」
「……いや向いてないよ」
みんなに好かれたい人間は上に立てないから、と土屋はリーダー・
「つっきーが言ったの? あの愛されリーダーが? どの口が?」
「どの口がって……なかなか痛烈すぎない……?」
「まあどの口が、は言い過ぎにしてもだな。あの人ってああいうの、打算なしでやってるのか。すごいな、育ちが良すぎる」
月島の配慮、気遣い、柔らかさ、すべてとは言わずともある程度は計算ずくかと思っていたのだが。そういうことではない、ということに南方は驚いていた。
「天性ってあるんだなあ」
「あるよ、天性のものっていうのは」
「となると、亜樹の天性は音楽だから出会えて良かったんだろうな」
「……よくよく考えると、『音楽に出会わない』世界って謎じゃない?」
「飽和した業界ではあるからね。ただ、作ることに出会わなかった可能性はあると思うな」
飽和した業界だから、と南方は再度呟く。
確かに、と土屋はその言葉には納得した。
※ ※ ※ ※ ※
「すごくひどいこと言うんだけど」
「え、なに、こわい」
「お前って、クリエイターである以上、不幸で生きづらくないといけない、とか思ってない?」
「予想以上にひどい言葉がきたな……」
心を抉る言葉とはまさにこのことか。佐々木
「ちなみにみなもんには何と?」
「『直したがってる面倒臭い部分もぶっちゃけ好きでしょ?』って」
「ぁはははは!!!」
「反応速すぎない!? そんなに笑わなくても!」
「ごめんごめん、いやー、流石みなもんだ。俺らができないことを平然とやってのける、痺れるし憧れる」
「……侑太郎的には同意なの?」
「同意? どこに?」
水面の発言に同意か、と問われれば「ちょっとちがう」と返さざるを得ない。それが南方の見てきた土屋亜樹像である。
「亜樹が自分のことなんとなーく嫌いなのは見てて分かる。ずっと不甲斐なさそうだし、居心地も悪そう。その部分が『実は好き』とかは、俺は思わないな」
「……そう、だよな。そうだよ、好きなわけない」
「ただそこを疎ましがってる自分に酔ってる可能性はあるかなと思い」
「ひどいこと言われた!!!」
ひどいことを言われた!!! と土屋は喚き立てる。耳をつんざくような声だったが南方は変わらず、にやにやとした笑みを浮かべていた。
「別にクリエイターが不幸でなくちゃ駄目、なんて規則はないんだよ。パートナーとハワイに旅行してもいいし、家にねこちゃんやわんちゃんがいてもいい、朝マックを楽しみに早起きしたって誰も文句は言わないんだから」
「妙に具体例がリアルだな……ご経験が?」
「最初のは『パートナーと』じゃなくて『家族と』って変換してもらえれば、まあ大体ある」
そもそも不幸とはなんだろう、と南方が首を傾げるのを見て土屋も同じように首を傾ける。
不幸とはなんだろうか。水面は世界の解像度が高すぎることを生きづらさに繋げて発言していたが、世界の解像度が高すぎることは不幸なのだろうか。
「遠因かなあ。解像度が高すぎると、見たくないものまで見えるし。でもそれを不幸にするのは、周りの人間と自分の環境とが関係するから一概には言えない」
「俺は、」
土屋は息を一旦、思いっきり吸って、言葉を発した。
「自分のこと、そこそこ『可哀想』とは思ってたかもしれない」
「……そうかあ」
「多分きっかけにあったと思うんだよ、曲作るきっかけに。でも今はどうだろ、どうしても『楽しい』が来ちゃうんだよな」
「いいことじゃん」
いいことかなあ、と土屋が問えば、いいことだよ、と南方は返す。南方の顔はひどく嬉しそうだった。
「好きなことって楽しいことのはずだから、亜樹は音楽が好きなのに楽しいとは言わなかったからずっと心配してた」
「……そんな言ってなかったっけ」
「少なくとも俺は聞いたことないね」
マジかあ、なぜか驚く土屋である。言っているつもりだったのだ、嬉しいも楽しいも面白いも、しかしそれは完全に心の中の声でしかなかった。南方が聞いたことない、ということはそういうことなのだ。
「もっと楽しく生きてほしい。大変なことは沢山あるだろうけど、それでも」
「今度、永介とサーシャと遊園地行こうって話になった」
「えっ、いいじゃーん。お土産頼んだ」
「……そこで、俺も連れてけ! とはならないんだよなあ、侑太郎は」
「ならないなあ。空気を結構読むんですよ俺は」
同い年とだけで遊びたいときもあるでしょう、と南方は理解がある風に言う。この『理解がある風』というのが土屋は苦手だ。苦手というか、もっと追っかけて来てくれないものかと考えてしまうというか。
「そういう意味では相性良くないんだよな、俺らって」
「放置しておくお前と、追い駆けられたい俺だもん。相性は最悪だよ」
「でも、目では追ってるから、ちゃんと」
「えー? 目で? 目だけ?」
「目と耳だけ。だから助けられる訳だし」
「……感謝はしてますが」
「伝わってます」
語尾にかっこ笑いがつきそうな口調、これに土屋は大きく溜め息をついた。心の底から、この男を振り向かせるのは難しいんだなと感じた。
特に変な意味では、更々ないのだけど。
※ ※ ※ ※ ※
「誕生日プレゼントね、書きやすいボールペンです」
「名前が印字されてる!? 高かっただろこれ」
「そこまでだよ、ちょっと持ってみて」
「……うん、程よく重い。覚えててくれたんだ?」
「重い方が好きってやつね、正直うっすらとだったから当たってて良かった」
「お前が俺のことでなにか忘れてたことないから、まあ大丈夫でしょ。自信持てよ」
「そうだっけ? 俺、亜樹のこと可愛がりすぎてる? もしかして」
「……もうちょっと甘やかしてくれてもいいんじゃね? とは感じるけど」
「それはないっすね、ざんねーん」
「くそう! そっちは駄目なのか!」
「可愛がるのは兎も角、甘やかしたらお前どんどん萎んでいきそうだから」
「……よく分かってんだよなあ……。プレゼント、ありがと」
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